なんだか、書物のタイトルのようなテーマだ。
おとといのブログで、6月14日の記念すべきサッカーシーンを取り上げ、最後は2002年W杯での韓国の試合での誤審問題や、トルシエ監督の「日本程度のチームは準決勝あたりまで勝ち上がるべきではない」発言問題など、サッカー界にまつわる光と影に話が及んで終わった。
あの晩、寝床に入ってから、サッカー界の影の部分に思いが及び、特にワールドカップでの出来事が、実は次から次へと繋がっているような感じがして寝付けなかった。
それらについて書いておきたい。
2002年W杯の韓国の試合をめぐる誤審問題、それらの餌食になったのは、ポルトガル、スペイン、イタリアである。揃って南欧のチームだったのは天の配剤か。それら3ケ国のその後はどうなったか。
2006年はイタリアの優勝だ。例のジダン事件によって。2010年はスペインの優勝だ。スペインの場合は物議をかもす事件なしに優勝したようだが、言えることは、これでイタリアもスペインも2002年のことを声高に語る必要がなくなった。残るはポルトガルだ。しかしポルトガルは世界制覇を果たすには、まだ力不足と思われており現在、徐々に地力を付けつつある段階と思われているだろう。
そう考えるのは、単なる思い過ごしか、はたまた、影でうごめく得体の知れない力が働く、信じられない世界によるものか。
ジダン事件と書いたが、1990年代に入ってから、なぜかスーパースターがからむ事件が続いている。1994年大会のマラドーナ事件、1998年大会のブラジル・ロナウド事件、そして2006年大会のジダン事件。まさにスーパースターたちである。
しかも、必然的な事件とはいえない。なぜマラドーナがドーピングに呼ばれたか? なぜブラジル・ロナウドが不可解な体調不良に陥ったか? なぜジダンがあれほど執拗な口撃にさらされたのか?
マラドーナは86年メキシコW杯大会でスーパースターに上り詰めたが、その後、いろいろと物議を醸すことが多かった。そのマラドーナが1994年大会では見事な復活を思わせるスタートを切った。そんなマラドーナがまた主役になるようなことがあってはならない、そう考えると何かがあっても不思議ではない。
1998年大会、開催地は欧州だ。しかしブラジルが決勝に勝ち進み、へたをするとブラジルの連覇ということもある。開催地フランスの優勝、それが望ましいシナリオだ。ブラジル・ロナウドが本調子でなければ、かなりの確率でフランスが勝てるだろう。そう考えると何かがあっても不思議ではない。ブラジルは2002年優勝して、ロナウドも大会記録を更新するゴールをあげてキチンと落とし前がついた。
そして2006年である。イタリアとフランスの決勝となった。イタリアは2002年大会、餌食になった過去がある。フランスは98年大会にロナウド事件があって勝った。今度はイタリアの番であり、間違ってもジダンが活躍してフランスが勝ってはまずい。そう考えると何かがあっても不思議ではない。
そう考えるのは、単なる思い過ごしか、はたまた、影でうごめく得体の知れない力が働く、信じられない世界によるものか。
そうなると背筋が寒くなるのは、クリスチァーノ・ロナウドもリオネル・メッシも例外ではないのか、たとえ一度は栄光に包まれても、そのあとの大会で、いつ事件に巻き込まれるかわからない。マラドーナ、ブラジル・ロナウド、ジダンときて、もしC・ロナウド、メッシも、などということになると、完全にワールドカップは世界中から疑惑の目で見られるだろう。
果たしてどうなるか。
サッカーの世界は、人種、言語の壁を超え、貧富の差さえも忘れて夢中になれる世界だ。サッカーの世界のすべてが当てはまるとはいえないまでも、実に大きな可能性を秘めている。その世界に対する希望と確信を失いたくはない。しかし、その光を手のひらでさえぎり、影の部分を垣間見ると何がしかの疑念をぬぐいきれない世界がそこにはある。
当ブログは、その部分も見過ごしたりはしない。どの程度切り込めるかは未知数だが、避けて通ることは断じてない。
そうした影は日本サッカー界にも、いろいろと垣間見える。したがって当ブログは、それらにも例外なく切り込む。おそらく、まともに切り込んでしまったら、どこからともなく圧力がかかるだろう。いわば虎の尾を踏むということになったらである。あくまで虎の尾を踏んではいけない世界だ。踏まないようにして切り込むにはどうしたらいいか、そういう智恵も働かせないと長くは生き残れない。
サッカージャーナリストと言われた方々のうち、まさに虎の尾を踏んだ方は、どうなったか、これについても、いずれ、詳細レポートしようと思う。
やるべきことは尽きない。