「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

大勢いるだろう、サッカー大好きおじさん

2012年06月17日 17時27分29秒 | インポート

直前のブログで、1986年のJSLカップ決勝のことに触れた関係で、85-86JSLリーグ戦のことをネットで検索していたら「武藤文雄のサッカー講釈」というブログにヒットした。

この方は、日本代表サポーターの中では重鎮格の方だろう。プロフィールをのぞかせていただくと、マラドーナとカレッカと同年同月に生まれたとある。2012年の今年52歳になるようだ。

たまたま見つけたブログには、1986年3月22日に観戦した85-86JSL最終節、三菱VS全日空戦のことが書いてあった。この試合で全日空は試合開始直後から9人しか入れずに戦ったようで、全日空のチーム内紛に起因することなどを、いまも怒りが収まらないとばかり書いている。先月5月11日付けのブログのようだ。

ブログの記事本数も半端じゃないようで、書籍も出版されているのだろう。すごいものだ。数日前のブログは「シドニーにて」とかになっているので、今も元気に日本代表サポーターをやっているようだ。

この人は出身地が当ブログの書き手と同じなので、おそらく出身高校も同じかも知れない。出身高校は結構サッカー強豪校で、正月の全国大会にも何度か出場している。書き手は高校時代、まったくサッカーと縁がなかったので話の共通点がないが、少しは同郷面(づら)をしたくなる。

このあとの人生の中で、もしかしたら、どこかで接点ができるかも知れない。

当方も相当な「おじさん」をウリにしているが、全国には大勢いるのだろう「サッカー大好きおじさん」が。

そして武藤さんのように、凄い経験をお持ちで、講釈も独自のものを展開しておられるに違いない。ある人は現在も「おじさんチーム」で若々しいプレーを続け、ある人は少年少女サッカーを指導しておられ、ある人は飲食店のオーナーとして日々若い人たちのよき話し相手になっておられ、そう、いろいろな形で「サッカー大好き」を続けておられるに違いない。

いつの日か「サッカー文化フォーラム」をオープンできたら、そういう人たちが集う場もいいなぁ。どういう集まり方を希望されるだろう。各時代のスーパーな選手たちとかに来てもらうとか、あるいはサッカーおじさん自身が使用料無料のブースを一つ開いて、お互い自慢し合うというのがいいかも。

なんといっても、自慢できる場が一番ではないかと思う。

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1986年の6月をHDDに収納中です。

2012年06月17日 16時57分23秒 | インポート

いまから26年前の1986年6月といえば、ワールドカップメキシコ大会、マラドーナがスーパースターに上り詰めた大会として歴史を刻んだ大会、今月は、その6月に収録された映像をVTRからHDDに変換して収納中です。

作業していると、いろいろな映像が出てきて、ついつい皆さんにお伝えしたくなる。

86年ワールドカップ大会の直前特番のような形で、テレビ東京が約1時間30分(CMが全部カットされている正味映像がこれだけですから、実際は2時間番組だったと思います)を放送していました。この大会は5月31日開幕のようですから、放送は5月下旬でしょう。

司会はテレビ東京「三菱ダイヤモンドサッカー」の名物アナ、金子勝彦さん、ゲストに釜本邦茂さん、松本育夫さん、そして漫画家の望月三起也さんである。望月さんのことをネットで確認したら今年74歳になられるようだ。お元気だといいが。

番組のタイトルが「テレビ東京スポーツスペシャル サッカーワールドカップ闘いの半世紀」であり、まずワールドカップが誕生してから約50年、過去12回の大会を振り返っている。

そのあと、メキシコ大会の大予想。さきの3人だけの予想ではなくスタジオに出場国24ケ国のうち12ケ国の日本駐在外国人を招いている。近年は、世界中の国の人々が留学やビジネスで日本に滞在しており、日本語も堪能、サッカーも大好きという外国人を呼ぶのが普通になっているが、当時はそういかなかったようで、呼んだのはほとんど大使館職員。

でも、大使館職員とはいえ、サッカー関係番組でこれだけ大勢の国の人をスタジオに呼んだのは、これが初めてなのではないでしょうか?

テレビ東京とNHK、日本が参戦しているわけではない大会をこれだけ熱心に取り上げて、それが日本のサッカーファンを増やしていったことは疑いないわけで、トヨタカップと高校サッカーを手掛けていた日テレと並んで、1986年以降の日本サッカー初期において功績大きいテレビメディアということになる。

6月の大会期間中、NHKのサンデースポーツなどもワールドカップにまとまった時間を割いて放送していたようだ。当時、サンデースポーツは現役引退後、華麗なる転身でスポーツキャスターを務めていたのが星野仙一氏だ。現地からレポートする釜本さんとのやりとりはレア物かもしれない。

この釜本さんのレポートの中で、いまでこそ当たり前に行なわれているパブリックビューイングがメキシコシティの広場で行なわれている映像が紹介された。メキシコはサッカーが盛んな国なので誰もがスタジアムで観戦したいがチケットがない。その当時のメキシコ市民の所得水準では高すぎて買えないというわけで、行政の粋なはからいとして実施されたとレポートされていた。なるほどである。

今回、HDDに収納した映像にはワールドカップも終わった7月、当時の日本リーグのカップ戦、JSLカップ決勝がある。古河電工VS日産自動車、会場は名古屋・瑞穂球技場、直前のJSLリーグ戦を制した古河電工、お正月の天皇杯を制した日産自動車、しかし試合は4-0で古河電工の圧勝。1985年頃から1987年頃の古河電工は強かった。読売、日産の2強時代に入る直前ということになる。当時、テレビ放送というと、ほとんどが前半途中からの放送開始で、時間枠が70分から80分程度。この試合も民放の放送でCMがすべてカットされているが正味70分だ。

まだ86年ワールドカップ大会の映像収納が続くので、次回もご紹介したい。しばらくお付き合い願いたい。

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