書店に「サッカーマガジン」という書名で、「五輪20年目の現実」という特集の雑誌が並んでいたことは7月下旬に気づいていました。
その時は表紙を見ただけでしたので、いわば特番発行だと思っていました。本日たまたま書店をのぞいた時、時間がありましたので、それを手にとってわかりました。
3年近く前に書名をいったん「ZONE」に変更したため、消滅していた「サッカーマガジン」誌が戻ってきたのです。
月刊「サッカーマガジン」として再スタートした今回の巻頭には「1966年6月1日に創刊したサッカーマガジンを(ちょうど)50年目に復活させます」という主旨の告知が掲載されています。
つまり、ちょうど50年の節目に復活させたというわけです。
巻頭告知を読んでわかったのですが、創刊当時は隔週刊だったようです。これは驚きでした。私が読み始めた1985年以降は月刊だったからです。でもわかります。1970年台半ばから日本サッカーは長い間低迷しましたから、当然発行ペースを落として月刊になったのでしょう。
その後月刊から隔週刊発行になったのは1991年台だったと記憶しています。1991年2月にJリーグ参加の10チームが発表され、いよいよJリーグ時代が近づいた時期でしたから。
「サッカーマガジン」は当分月刊誌でいくのでしょう。巻頭告知にもありますように「紙メディアの衰退が叫ばれて久しい」中での復活です。それでいいと思います。1991年当時なら、サッカーの詳細を知るすべはサッカー専門誌が中心でしたが、いまはネット、CSテレビなどがあり速報性の情報やコラム的な情報はそれで事足りています。
今回手にとった月刊「サッカーマガジン」誌、ページの後半には「告知『サッカーの素』が帰ってくる!」とか、「アマチュア情報局」とか「高校支局」といった、なつかしい定番企画が載っています。
もう一つ、再スタート版らしく、日本サッカー協会・田嶋会長インタビューも特集されていますが、そういえば昔も、サッカー誌御三家といわれていた「サッカーマガジン」「サッカーダイジェスト」「ストライカー」あたりは、JFAをはじめとした、いわゆる体制側の広報的な役割を感じさせる記事を載せていました。
JFAなどを指弾するといった反骨ジャーナリズム的な姿勢は極力避けていたのを思い出します。しかし「田嶋会長インタビュー」という記事は、私の中で「寝ていた子を起こす」ことになりました。
日本サッカー協会会長であり、FIFA理事でもある田嶋氏は、いわば功成り名遂げたわけで、声望を集める立場におられます。私も、田嶋会長の識見・力量に異をとなえる気持ちは毛頭ありません。そもそも氏の人品骨柄を知っているわけでもありませんから。
けれども一つの「わだかまり」は残っています。それは2009~2010年当時、ときの犬飼会長が、わずか1期2年で会長職を去らなければならなかった経緯のことです。
当時、犬飼会長に対して、いわば「引きずり下ろし」の力が働いたのではないか、そう指弾する気骨あるサッカージャーナリズムがありました。そのメディアは、その指弾によって「JFA出入り禁止」となりました。
それでもあえて追及していました。そのカギを握っていたのは誰なのかと・・・。
私はそのメディアを、そのジャーナリズムを、いまに至るまで称賛しています。そして、この先いくら時間がかかっても、その時の真実が明らかになるまで「わだかまり」を持ち続けようと思っています。
「サッカーマガジン」誌の復活というお祝いの書き込みが、いつの間にか脱線して、キナ臭い話になりました。手にとった今回の記事の中に、ちょうど「寝ていた子を起こす」記事があったためです。
サッカー界にある表向きの話と裏側の話のうち、ある意味、「サッカーマガジン」誌は表向きの話を聞かせてくれる雑誌として大切にしていきたいと思います。
へたに裏側を突くと「出入り禁止」になって、商売あがったりになる怖い世界ですから同誌にはそこまで求めないよう割り切りましょう。
幸か不幸か、私は徒手空拳、出入り禁止にもなりようがない身です。表向きの話もしますが、裏側の話題も避けずに取り上げていきますのでお許しください。書店には、裏側の話を恐れずに書いている気骨ある雑誌も並んでいますので、時間がある時、手にとってみてください。