「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

通訳・ダバディ氏のトルシエジャパンにまつわる発言から

2016年08月20日 19時15分08秒 | サッカー選手応援
相変わらず、リオ五輪でのニッポンの活躍は目覚ましいものがあります。欧州サッカーシーンはスタートしており、ロシアW杯アジア最終予選の足音も少しづつ高まっていても、やはりサッカーワールドはオリンピックに押されっぱなしです。まぁ、いいことですけどね。

そういう状況ですから、前回の書き込みのように、録りだめしていたサッカー番組を見たり、ネットのサツカー情報をいつもより細かく読み込んでいます。

今回の話題は、そんなネットのサッカー情報から取り上げてみます。

先日、ネット情報のタイトルに『「俊輔を外したのは間違いだった」。ダバディ氏が語る日韓W杯の真相』という項目を見つけましたのでアクセスしました。

2015年04月16日(木)17時55分配信の記事とあります。もう1年半も前のものを、今頃読むのも間抜けかも知れませんが、ネットのいいところは、そういう古い記事でも目に留まることです。

このタイトル、2002年日韓W杯の代表からトルシエ監督が中村俊輔を外したのは間違いだった、トルシエ監督もそう認めており、それが真相だ、みたいに読めます。

この話を、時の通訳、フローラン・ダバディ氏が語ったのは「フットボールチャンネル 」というWeb動画サイトのようです。月刊誌の「サッカー批評」や不定期刊「フットボールサミット」の編集部が運営しているサイトだそうです。

その「フットボールチャンネル」の一つにJリーグ応援番組「J.Chan」があって、そこに出演したフローラン・ダバディ氏が、2002年日韓W杯にまつわる話をいろいろ披露したようです。その様子を動画で見ることができました。

まず、ネットのタイトルにあった『「俊輔を外したのは間違いだった」。ダバディ氏が語る日韓W杯の真相』なるものが、どういう話だったのかを確かめてみました。

どうやら、ダバディ氏の個人的見解であって、トルシエが示している見解ではなさそうです。ダバディ氏曰く「中村俊輔選手については、単に2002年だけのことを考えて選考するのではなく、その後の2006年も見据えてメンバーに加えておくべきだったのではないかと残念に思っている」そうです。

でも、その話って、それこそ通訳の人の見解ですね。2002年W杯で決勝トーナメント進出を果たすために雇われたトルシエ監督には、2006年も将来を見据えた選考なんて眼中にないはずです。2002年のノルマを果たすために、トルシエのフィロソフィーに沿って選考するだけの話だと思います。

トルシエ監督自身は、とにかく中村俊輔選手をスタメンで使うつもりはさらさらなかったようですし、今も彼を外したことについて間違いだったとは思っていないでしょう。

将来を見据えて選考できる監督は日本人監督だけでしょう。現に1998年フランスW杯で岡田監督は将来を見据えて小野伸二選手を選出しています。外国人監督にそういうことは期待はできません。

長らく日本で活動しているダバディ氏、「将来を見据えれば中村選手を選んでおくべきだった」と感じるのは、彼にも日本人的なメンタルが醸成されているためかも知れません。

まぁ、2002年W杯での中村俊輔選手落選にまつわる話については、一件落着ですが、ダバディ氏の話には他にも示唆に富んだ話がありました。

その一つは、当時、守備のスタイルで流行語になった「フラット3」のキーマンです。当時、スリーバックの守備ラインを一糸乱れずコントロールして相手の攻撃をオフサイドトラップにかけながら安定した守備を保つのが日本代表のスタイルでした。

その守備ラインをコントロールするキーマンに指名されたのが森岡隆三選手です。その森岡選手、日本中が熱狂したW杯初戦のベルギー戦でケガをしてしまい交代を余儀なくされてしまったのです。

フローラン・ダバディ氏は、2002年W杯に関して残念だった2つの出来事の一つに中村俊輔選手落選をあげましたが、もう一つは、この森岡選手の負傷交代だったといいます。

このあと日本は、もう一人のラインコントロールマン・宮本恒靖選手を投入してベルギー戦を引き分けで凌ぎます。その後、ロシア戦、チュニジア戦に勝利して、守備陣の要は宮本恒靖選手という評価が定着していきます。

ところがダバディ氏によれば、トルシエ監督の評価は全く別で、森岡隆三選手に対する絶大な信頼は、とても宮本選手が遠く及ばないものだったといいます。それは何故か、その理由を聞いて私は唸りました。

森岡隆三選手のラインコントロールには、マニュアルどおり高い位置でラインを保つことだけでなく、相手FWにラインを押し上げると見せかけて切り替えて3mライン下げて混乱させるという遊び心が生かされていたというのです。

トルシエ監督は、こうした、ピッチ上で臨機応変にやんちゃな遊び心を発揮できる森岡選手こそがフットボーラーであると高く評価していたわけです。これまでトルシエ監督といえば、自らの枠にがんじがらめにはめこむ融通の利かない監督というイメージが先行していたように思います。

その基準にあてはめれば、宮本選手はまさに優等生、トルシエ監督の求めるラインコントロール術を忠実に実行できる選手でしたが、トルシエ監督が求めていたのは、それだけの選手ではなく、自分のアイディアや遊び心を駆使して相手の裏をかく自在な選手だったのです。

このエピソードは日本人の気質、日本人のサッカースタイル全体に共通するものだと言えるのではないでしょうか。よく言われるのは「日本人は真面目で教えたことを忠実にやれる。しかし、それが日本人の限界にもなっている。日本サッカーがもっと強くなるためには、場面、場面で機転を利かせてサッカーする必要がある」

私は、森岡隆三選手が日本のサッカージャーナリズにおいて、思いのほか評価が高くないことも、日本のサッカージャーナリズム自体が日本人の気質から抜け出していないためではないかと感じました。その意味で、今回のダバディ氏の話は意義深いと思います。

もう一つ、ダバディ氏の話で意義ある発言は2002年W杯だけの成績で日本サッカーの是非を考えるのではなく、1993年から現在に至るまでの流れの中で2002年の大会を見る必要があるという点です。

ダバディ氏はこう言っています。「2002年で日本はベスト16で終わったのに韓国はベスト4まで行った、という話がよく出ます。ではその後、韓国と日本は大きく差がついてしまったかと言えば、そんなことはありません。その後も似たような歩みを続けています。」

つまり、日本は1993年にJリーグがスタートして1998年にW杯初出場、そして2002年W杯以降も連続してW杯出場を続けているのであり、2002年はその大きな流れの中で確実にプロセスを果たした大会だと、彼は言うのです。

確かに韓国がベスト4に入ったからと言って、その後、見るべき変化があったのかと言われれば、そのとおりです。ダバディ氏のように物事を見るべきなのかもしれません。

森岡隆三選手の遊び心の件、2002年W杯の日韓両国とその後の件、いずれも、ネイティブ日本人には思い至らない考えかも知れません。長く日本で活動しながらもやはりフランス人はフランス人ですね。

(8月21日、タイトルを変更しました。)



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