■■■■■■■■■■チェンライの2月■■■■■■■■■■
(歴史の言葉)
中西英樹
タイ王国チェンライ市在住、ロングステイヤー
■■「タイの米」
🔵11月から2月までは乾季で,旅行のベストシーズンである。
(タイを象徴するタイ航空TGのエアーバス)
まず,雨の心配がない。乾季だから全く降雨がないという事
はないが、チェンライの2月の平均降水量は8mm/月だ。
東京の2月の平均降水量は56mm/月も比べると少なさがわ
かる。気温も最低気温は15度前後, 最高気温は31度前後、
平均気温は22.4度と快適だ。ただ日中の気温差が15度くら
いあるので, 朝晩の冷え込みで風邪をひく人もいる。
8時過ぎには,テニスコートでラケットを振っているが,気温
は17,8度、青い空には燕の群れが飛び交っている。
先日, 新入りの英国人が「このコートのいいところはどこか
ね」と訊いてきた。そりゃ,もちろんお金を請求されない事
だよ。十数年ここでプレーしているが コート代を払った事
がない。仲間と楽しくプレーできることが一番だが,二番目
の魅力は,週5日もコートを使わせてもらっているのに, タダ
という事ではないかと思う。
(観光客で賑わうナイトバザール)
🔵2月は中国正月,春節があるので交通機関が混みあう。
何年か前は,チェンライにも中国ナンバーの車が我が物顔に
走り回って結構,事故っていた。でも今年は中国経済の悪化
の影響で春節にチェンライに押し掛ける中国人は少ないの
ではないか。
2019年にタイを訪問した外国人観光客数は4千万人弱,その
うち1千万人以上が中国人だった。外人観光客の 4人に1人
は中国人だった。
でも2023年, 昨年タイを訪れた中国人観光客はコロナ後で
あったにも拘わらず,351万人と激減している。訪日中国人
の数も同様な傾向を示している。
■■「タイ農業の変化」
🔵12月から2月にかけてチェンライの田んぼでは田植えが
行われている。チェンライでは1年を通して米が 収穫でき
るのであるが、気温の関係か乾季に田植えを行う田んぼが
多い。別に収穫期に台風が来るとか, 霜がおりるとかの 心
配はないから、適当な間隔をあけて田植えが行われる。
12月から2月にかけての田植えと, のんびりしていられる
のは常夏の恵まれた気候のお蔭だ。
十数年前は田んぼに村人が十数人入り込んで、和気藹々と
田植えをしていたが,昨今は自動田植え機が主流, 日本並み
に整然と苗が並んでいる。田植え機も2,3カ月に亘って 稼
働するから効率がいい。日本のように農家毎に耕運機や田
植え機を揃える必要はない。
米の収穫には大きなトラクターがやってきて1ヘクタール
ほどの田んぼでも 30分くらいで籾を収穫し、稲藁は粉砕
して田んぼに撒きちらしていく。
刈取り脱穀機も長期間稼働できるから収穫作業は専門業者
に委託するようだ。
(殆どの重機は,日本のクボタ,とヤンマー製)
タイの稲作作業の大型化,専門化が進んでいることはアジア
経済研究所のタイの稲作農業における経営規模分布:機械化
と農業サービスの影響という研究でも示されている。
機械化が進むと農業の経営規模の大型化が進む。(タイの稲
作農業における経営規模分布:機械化と 農業サービスの影
響, タイの稲作農業における経営規模分布:機械化と農業サ
ービスの影響 (ide.go.jp) など)
■■「タイの日本米」
🔵自分がチェンライに来た2009年には,日本米は本当に限
られたところで手に入る貴重品だった。でも今ではスーパ
ーでも手に入る。機械化、品種改良で日本米の生産拡大が
進んだのだろう。
タイでササニシキ、ひとめぼれなどの銘柄米、最初は随喜
の涙で味わっていたが,日本に帰国してみたら,日本の米は
タイの日本米のはるか先を行っていることに気づいた。
日本の米はご飯をおかずにして食が進むほど美味しい。
MOMOKA JAPANでも外国人が日本のお米はどうして こ
んなに美味しいのか、と愕然としている。南欧をはじめ欧
米でもコメを食べるが、主食ではなく野菜扱いのせいか銘
柄米の話は聞かない。日本米の味を知った外人から日本米
の需要が世界に広がるかもしれない。
中国人が日本の米を買って帰国するという話はあった。中
国人も日本米のおいしさを知っている。そこで日本米を中
国に輸出しようという動きがあったが, 関税,防疫制度など
の制限があって拡大しているとはいいがたい。
その前に中国では,日本米をルーツとする「稲花香」とい
う米が開発され、銘柄米として人気を呼んでいるという。
偶然に開発されたというが日本の銘柄米を掛け合わせて 改
良したことは明白だ。
無断でなんだよ,となじると中国の農業専門家は、もともと
稲作は中国から日本に伝わったものだ、何の問題があると、
開き直るそうだ。(最近のDNA研究によると縄文人が日本
から大陸に渡って殷以前に稲作を教えたという)
テニスの行き帰り,道路際から広がる青田を眺めて 心が洗
われるような気がしている。でもタイはもとより, 世界中
どこの国でも,日本の米を越える美味しい米は 生産できな
い。これだけは日本を信じている。
🔵安全保障,インテリジェンスに詳しい江崎道朗という評
論家がいる。自分もこの人のファンである。台湾有事に関
してこのような発言をされていた。
(評論家・江崎道朗氏と著作)
中国人民解放軍は台湾侵攻のための軍事演習を盛んに行っ
ている。2023年には人民解放軍の軍用機, 艦船が中台の中
間線を越えて侵入した。
また台湾周辺では航空母艦「山東」が演習を実施している。
だが江崎さんの話によると, 人民解放軍発足以来 ,毛沢東の
時代から地方で解放軍が演習を行う場合, 演習に係る費用,
即ち,解放軍の移動費用,糧秣,燃料, 宿営地の確保等は すべ
て現地の省政府の負担になるそうだ。
だから演習が,度重なると地方政府は疲弊する。昨今の中国
経済悪化で省によっては公務員の給与も 支払われていない。
南シナ海や尖閣列島付近に1000隻を越える中国漁船が押し
寄せたことがあった。この漁船群の燃料代や 休業補償料は
福建省や広東省が支払っている。漁船も 支払いがなければ
遠くに行かない。要するに北京政府は地方政府の力を削ぐ、
参勤交代のように北京を守っているわけだ。
■■「文化は歴史から」
🔵江崎さんは,中国の地方苛めは毛沢東以来と言われてい
る。あれ,それより前に,とネットで元寇を検索した。
元寇は,日本の鎌倉時代中期に、モンゴル帝国および 属国
の高麗によって2度にわたり行われた対日本侵攻である。
蒙古襲来とも呼ばれる。
・1度目を文永の役(1274年)、
・2度目を弘安の役(1281年)
という。
(蒙古襲来の絵図)
弘安の役では、元軍, 高麗軍、旧南宋の連合軍の兵士15万,
軍船4400艘という世界最大規模の艦隊が襲来したが, 軍船
の造船は高麗、南宋に命じられた。また兵士の8割は高麗、
旧南宋出身だった。
クビライは2度の敗戦にもめげず、弘安の役直後の1282年、
1283年,1284年と, 毎年のように日本侵攻を計画したが, 造
船に使用する木材の払底と部下の諫言により1286年に正式
に第三次日本侵攻を断念する。この知らせが 江浙の軍民に
伝わると,軍民は歓声を上げ,その歓声は 雷のようであった
という。
中国共産党のもとにある浙江省、福建省政府なども台湾侵
攻の演習や漁船動員の費用捻出で疲弊していると思われる。
習近平主席が台湾併合を断念すれば、台湾有事を担当する
東部戦区(江蘇省,上海市,浙江省,福建省,江西省,安徽省)の
軍民は歓声を上げ, その歓声は雷のようになる(はずだ)。
中国共産党もモンゴル帝国と同じ用兵をする。これも中国
の文化の一つなのだろう。
■■「追記」
🔵クビライが 、3たびの日本侵攻を断念した理由の一つに、
服属していたベトナムのチャンパ王国がモンゴル帝国に反
旗を翻し,その戦況が思わしくなかった、があげられる。
(モンゴル帝国の支配地図)
この紛争には本来,日本侵攻用であった艦船や兵士が 動員さ
れたが,モンゴル帝国はベトナムでも壊滅的な敗北を喫する。
南宋遺臣の鄭思肖は,,チャンパ王国が元朝に背いた理由につ
いて「弘安の役で元軍が敗れた後,日本がチャンパ王国へ 使
者を送り、元朝と戦わずに属国でいることを責めた。
チャンパ王国は元朝に背くことを決めた]と書き残している。
俄かには信じがたいが, 先頃訪問したベトナムが少し身近に
感じられる逸話だ。
「何故,中共を経済封鎖しないのか」と,日本が
ベトナムを責める日が来ないものか。
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