🔵国際交流の現場では、多くの事を学んだ。そして多くの人たちと知り合った。
世界には、さまざまな生き方や、いろんな考え方がある事を知った。しかし年を経るごとに、貴重な記憶がどんどん遠のいていく。
日本では子供の頃から時間に厳しく躾けられ、正確さと誠実さを求められてきた。
電車や航空機は、規定の時間に必ず出発するし、役所も学校も会社も、時間に沿って正確に業務をすすめる。
🔵一方のタイは、おおらかで自由奔放、時間という観念はない。定刻に人が集まることはないし、電車が定時に出発する事はない。転勤の際に,前任者は後任者に「業務の引継ぎををしない」これもこの国のしきたり。誰もそれを気にしない。タイでは、その自由な気風を「マイペンライ」と言う。
🔵この様な気風の違いは、地政から来るのか、民族性から来るのか、向学のために確かめたいと思つている。
2国が協働するに際して相手国の性格は、別の相手国からすると大きな魅力になる。はたまた異国のもの同志が協働すると、格別の相乗効果が生まれる。これまた不思議だ。改めてその実績の記憶を辿ってみた。国際交流の仕事が、未知の探検にも似た魅力的な活動に思えてきた。(Yama)
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「人生の流儀」
🔵役員定年後、あるきっかけで取り組んだタイとの国際交流事業は1999年、日本政府の新しい社会奉仕の公的認証法人NPOの発足がきっかけだった。
当初は一人の発想で、骨格を固めながら外堀から埋めていった。
国際と文化というカテゴリーは、在職中から格別好きな仕事領域だった。
しばしば新しくできた大阪府のNPO所轄部へ足を運んで、NPO設立の
手続きなど知識習得に努めた。68歳の春だった。気分はルンルンの気概だった。
🔵多くの仲間の力添えを貰った。しかしその後の道筋の多くを覚えていない。嫌なことばかりか必要な事も忘れている。
その私も91歳、寄る年波で物忘れが激しい。折も折、美貌の脳科学者中野重子さんの著書を読んで、当時の行動の記憶を辿りながら記しておこうと考えた。その時時のドキュメントは、写真やブログに記してある。
当時の仕事を振り返ることで新しい発見が生まれる。脳の活性化にもなる。貴重な日タイ国際交流の記録でもある。そして新しい発見にもつながる。(無敵老人91歳、Yama)
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