🔵「世界には、4種類の国しかない。」先進国、開発途上国、日本、そしてアルゼンチン。
これは、ノーベル経済学賞受賞のアメリカの経済学者、サイモン・クズネッツ博士が1960年代に
残した言葉だ。🔵博士は、日本を急速な工業化で高度成長した国、アルゼンチンは先進国だったが衰退した国と定義した。
アルゼンチンは,第1次世界大戦前は、世界でも特に豊かな国だったが、その後、低落した。
日本は、確かに高度成長したが、その後、失われた20年とかで、GDPでは2010年、中国に抜かれ第3位に、そして
2023年にはドイツに抜かれ第4位に、しかしその後一向に経済が回復しない、やがてアルゼンチンのようになるのではないかと
内外の専門家は危惧する。
🔵しかし日本の国内を見れば、国民は政治や経済の停滞をよそに、戦後、長きに亙り続いて来た平和にどっぷりつかって、低迷経済に立ち向かう気配はない。専門家は、これを極端な老化現象と言い、このままだとアルゼンチン同様、不遇の明日が必ずやって来ると予測する。今こそ、屈塾的な敗戦から奇跡の経済回復を手にした先人達の見事な心意気に学び、まずは当面する政治改革から、着手すべきではないか。(Yama)
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「昭和人の宿命」🔵夏が来ると思いだす。「もう戦争は嫌だ」。日本はいま、戦後80年目の節目を探る事になる。
そこで歩んだ昭和を振り返ると、まさに「昭和は遠くなりにけり」と実感せざるを得ない。
特に世界大戦の脅威に見舞われた昭和の初期は、皇統の日本史の中でも、特筆に値する「激動と恐怖の時代」だった。
🔵このような苦闘の時代があったからこそ、安寧な今があるように思えてならない。折に触れての時代の検証は、国にとっても決して欠かしてはなるまい。(Yama) ●(出典以外の写真は全て撮影、JTIRO)
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(92歳老の檄文)🔵敗戦の翌年、連合国軍の占領下、日本国民は、戦時国債の償還のため個人財産を拠出して、ディフォルトに耐えた。再独立を果たした挙げ句「日月火水木金土」土曜日の半ドンもなく国を挙げて働き続けた。その結果僅か19年で、先進国さえなしなかった超新幹線を創り出し、世界から多くの人々を招き、東京オリンピックを大成功に導いた。
🔵ところが戦後79年を経たいま、日本の政治は乱れ、いい加減な世情が跋扈、戦後日本の再興に取り組んだ先立ち達のマインドのかけらさえ伺う事は出来ない。
(⚫︎学歴詐称の都知事が再立候補の厚顔)
(⚫︎疑惑都知事を支持する都民のいい加減)
(⚫︎政権政党自民党のキックバック疑惑)
(⚫︎岸田首相の孤立と無責任答弁)
(⚫︎台湾有事に対する政治家の無関心)
(⚫︎憲法9条改正の有名無実)
(⚫︎果たして国思う国会議員がいるのか)
🔵岸田,小池、蓮ほう、心して聞け! 国民に対し失礼にも程がある 。
79年前の占領下時代の先輩達のマインドに立ち戻って、政治家として、あるべき姿や心構えについて、間違いなかりしか、推敲して欲しい。
国民のために、一身を投げ出す覚悟があるのか尋ねたい。この政治の記禄がいま、令和の史実に成ろうとしている。
🔵戦後日本の厳しくも素晴らしい再興の道筋を体感した年老いた戦争を知る日本人たちは、いま日本に介在する様々な許し難い事実に触れて、大きな怒りと失望に苛まやされている。
去る79年前、私どもの祖父や先輩が、命を賭して国を再興した事に思いを致し、この歪んだ政情や世情を正常に戻したいと願っている。(Yama) . . . 本文を読む
🔵ウクライナの戦争は自力で国を防衛する体制を整えることが、いかに
大切かを日本に教えてくれた。
この20年間、8月15日には終戦と敗戦について日本人としての考えを記してきた。
尽きるどころか毎年のように新しい課題が生まれてくる。
約30年前ソ連が崩壊し、大きな戦争はほぼ世界から遠のいたと思っていた。
しかしいつしか小さな火種が発火点になり、中東、ウクライナ、台湾へと危機が募る。
全て大国のの覇権が絡むだけに、危機は周辺にも普遍する。
国連機能も集団自衛権も完全に機能するとは言えないだけに、自衛は各国の裁量という事になる。
🔵先日、産経新聞の世界価値観に関する若者調査を読んだ。
「戦争になると、国のために戦うか」と聞くと、9割近い青年が「ノー」と答えたと言う。
しかも「攻めてきた敵ではなく、侵攻を許した国を責めるという。」なにおか言わんやである。
根底には戦後教育(日教組)の影響が大きいと思う。
成熟社会の悪い部分があらわに露呈したことを憂いたい。(Yama) ●標題の写真は、タイ王国バンコクの国立中央デジタル図書館のシンボルの図柄)
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●第2次世界大戦後、世界で戦争をしなかった国は世界193ヶ国中、僅か8ヶ国だという。日本は、その中で最大の先進国である。大いに誇るべき話だが、裏返せば平和である事がいかに難しいかを物語る確証でもある。戦争には、小競り合いから大国間の覇権争い迄、枚挙にいとまがない。中でも宗教間や民族間の争いとなると、なかなか収拾がつかない。特に大国の覇権が絡むと、妥協が難しくなる。大国には其々の思惑があり、外交でその主張を押し通そうとする。
最近では実力ある小国が、核をもつ事で他国の侵略を阻止するのが常識となったが、そのために核の脅威が増大するという二律背反的な結果を招いた。
世界の共通概念では平和志向ながら実際では争いになってしまう。現実の難しさがある。
●かつて日本は、資源不足が起因の戦争を始めたが、無残にも戦い破れた後、平和国家を標榜して
雌伏70数年、やっと世界各国の共感を得るところまで辿り着く事が出来た。しかし戦争の体験者が減少する折から、次に続く人たちが、平和志向をよく引き継いで、
世界平和の構築に全力投球するよう期待したい。(●標題の写真は、大阪、難波神社の大きな鬼面のある能舞台)
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●「先の戦争をどう伝えるか」・令和時代、戦争の伝え方・「失敗の本質」から学ぶ。・再びの敗戦を絶対に回避せよ。・敗戦の教訓は今の日本にも通じる。・日本の敗北は必然ではない。予測不能の壮烈な戦いだった。「昭和の戦争」
論争自体が退潮しつつある。人々の関心は「戦後」に。・「昭和の戦争」は、いま記号化されつつある。●これらの言葉は、8月15日の終戦記念日に因んだ新聞や雑誌の「ヘッドライン」のフレーズだ。 さすがに言いえて妙。だが戦争を知る世代が少なくなり、76年前の敗戦の記憶がゆるやかに後退して、先の戦争をどう次世代に伝えるか.「かたりべ」である80歳以上の日本人は、全人口の1割を切った。まさに伝承の危機である。(Yama) . . . 本文を読む
●またまた敗戦記念日が訪れる。75回を数える。移り替わる世の中で、戦争を知る世代が、毎年のごとく少なくなりつつある。と同時にあの忌まわしい大東亜戦争が、物語に化していく事に大変な危惧を覚える。2度と戦争を起こさないために、どんな体験であれ、戦争の事実、戦争の恐怖をどんどん次世代の人たちに語り継いで欲しい。体験ほど強烈な印象はない。戦争を知る世代は、既に95歳を超える。銃後の体験者にしても90歳に近い。語り継ぐいい方法はないものか。世界の平和のために知恵を出し合って欲しい。
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