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(ファーブル昆虫記を読む

2024-09-11 | ●北條語録

■■■■■■■ファーブル昆虫記を読む■■■■■■■
   
北條俊彦
経営コンサルタント・前 住友電工タイ社長

■■ファーブル昆虫記を読む■■
🔵自然豊かな西播磨の地で暮らし始めて、最近色んな事
に気づかされる。見るもの全てが新鮮
で,実に興味深く,ま
た、日々新しい発見に驚か
されている
今朝,庭で『ダイコクコガネ』が鹿の
糞を一生懸命巣穴に
運び込むところを偶然見
つけたのが, 体長2㌢〜3㌢程の
糞虫である。
糞虫(ふんちゅう)とは動物の糞を餌とする
コガネ
ムシ科の昆虫の総称である。


       (写真)ダイコクコガネと鹿の糞:我が家の庭で撮影


     (写真)ダイコクコガネと鹿の糞:我が家の庭で撮影

ダイフクコガネは、糞を転がし糞球をつくるフンコロガシ
ではないらしく, 動物の糞を
そのまま巣穴に運びこみ、糞
に含まれて
いる腸内壁のカスや腸内細菌を餌としているそ
うだ。そして、彼らによって分解され
た糞の繊維質は土に
帰って行く。

日本に多くの糞虫が存在するが、奈良公園では,唯一のフン
コロガシ『マメダルマコガ
』が活躍中である。
体長2〜3㍉程度
でしかないが、体長よりも大きな鹿の糞
を作り、転がし,中に産卵するのである。彼らそのような
行動により、蠅の発生が
抑えられ、糞の土への自然循環が
早まる
のである。


子供の頃, ファーブルの『昆虫記』を何度も読み返した。
最初に登場するフンコロガシの
行動についての観察記は、
とても興味深い
もので, 今もはっきりと覚えている。私の
記憶
では、仏蘭西プロバンス地方のフンコロガシは放牧さ
れている牛などの糞を大きな球体にし、
逆立ちの状態で後
ろ足を使って球体化させ
た糞を転がすという独特の行動を
とる。

糞を見つけると、先ず彼らは頭部先端部の突起を使って糞
を切り出す。そして後足で糞
を球体に整え, 更に 切り取っ
た糞を前足で
球体に付け足していく作業を繰り返すことで
大きな球体にして行くのである。
フンコロガシは, スカラベ(スカラベは昆虫類コガネムシ
科タマオシコガネ属の語源で古代エジ
プト語)とも呼ばれ、
その種類は約3万種に
のぼる。
体長は種によって0.2㌢〜17㌢と
まちまちであるが、総
じて自分の身体の何倍
もの大きさの糞球を独力で作りあげ
るのだ。
尚、古代エジプト人は糞球を太陽に見立てスカラ
ベを太陽神ケプリと見なしていた。

🔵『昆虫記』の著者フランスの博物学者ジャン・アンリ・
ファーブルは, 昆虫の行動研究の先駆
者であり彼の研究成
果(虫の習性)をまとめ
たものが『(ファーブル)昆虫記』
である。


写真)フアーブル:出典ameba欲のない学者フアーブル昆虫記

彼は,1823年南フランスのサン・レオンに生まれる。
深い愛情と長期に亘る努力と
忍耐で昆虫を観察、そして推
論と実験を
重ね昆虫の本能と習性をつきとめようとした。
また、どのような小さな命にも其々の役割と意義があると
の信念に基づき、昆虫という
多様な生き物の命の営みを探
究し続けた。
昆虫の観察から知り得た客観的事実と研究成
果の一つ「アラメジカバチの観察と
実験の違い」から
虫の本能は進化するものでも、後に獲
得されるものでもな
く元々備わったものであ
る。』としてダーウインの「進化
論」に真っ向
から異を唱えた。

敬虔なカトリック教徒でもあったファーブルはあらゆる命
の基盤となる「神が与え給うた自
然と生物の多様性」を維
持することが如何
に大切であるか読者に訴えてたのである。


                 (写真)ダーウイン:出典英音研
生物の多様性にとって 不可欠な構成要素である昆虫は, 植
物の花粉を媒介し 受精を
促す。また 他の昆虫や 動物の食
物連鎖を
支える貴重な食資源ともなる。そして生物的防除
(バイオコントロール)による植物の
病虫害や雑草の防除
の役割をも担う。

それだけでなく有機物を分解することで水域浄化や土壌肥
沃の維持を行ってくれるなど、
生態系におけるインフラ基
盤を支えてくれて
いるのだ。

更には、昆虫の知的行動、即ちAIでも難しいとされる状況
認識や判断を瞬時に行う
昆虫脳など、驚くべき昆虫の知能
を先端技
術に応用するための研究も進む。

蛇足だが、食糧自給率を含め「食の安全保障」などお構
いなしの愚かな我が国の政
治家達は、欧米では使わない危
険な農薬
を使わされ、更には“高タンパクで有益”だと「昆
虫食」というものを国民に薦めようとする。
ワクチン、薬
剤、農薬そして食糧と日本人
は米国のモルモットではない。
そんなものは河野蟋蟀デジタル担当大臣にでも食わせてお
けば良いではないか。

🔵話を戻すが、最近,糞を食べ糞の中に産卵するフンコロ
ガシなどの糞虫は温室効果ガス
による地球温暖化に対抗で
きる一つの有効
な手段として大いに期待されているらしい。
農畜産業が排出する温室効果ガスの半分が メタンであり、
大型反芻動物のゲップやオナ
ラ、そして糞を通じて排出さ
れ、世界のメタン
排出量の約3分の1を占める。またメタ
ンは
CO2以上に温室効果が高いといわれている。
既に、牧草地における糞虫の活動によるメタン発生量削減
効果を検証する実験も行われ
ている。その答えはYesで, 発
生量は明らか
に減っているらしい。

    

そのメカニズムは、糞虫やその幼虫が糞球の中に穴を掘る
(或いは、食する)ことでメタンガスの発
生そのものが抑
えられているのである。

しかし、逆に亜酸化窒素の発生量が増加することも分かっ
ており、トータルでどの程度の削減
効果があるかの検証が
今後の課題だそうだ。
ただ、自然環境の破壊による糞虫の
激減(絶
滅危惧種もあり)や大型反芻動物の飼育方法の変
化(人エ建屋内による飼育)等の自然
循環システムそのも
のが、大きく損なわれつつ
あることを認識しておく必要が
ある。


🔵最終的には、やはり人の意識や 生活様式を変えなけれ
ば、効果的な対策にならないであろう。
人口の爆発的増加
により、人が自然との共生
をやめた時点で、都市化と経済
優先の地域開
発により自然環境は大きく損なわれてしまっ
た。

森林開発や地球温暖化も相まって、野生動物(含昆虫)の
生息域も縮小し、人と野生動物の
距離も縮まっている
獣害被害、そしてコロナ等
頻発する新興感染症などは野生
動物と共存す
るウイルスがその調和を乱され、人社会に入
り込
んできた結果であろう。

いまだに物質文明にどっぷりと浸かり、個人も国家も唯物
主義と自己欲求の充足のみを
追求、また、国際社会では大
国の力による
エゴが罷り通る。その独善的な行動は世界
に紛争の火種を撒き散らし、環境破壊を
続けているのが現
実である。

宗教と民族の対立、そして領土問題や主義主張の違いによ
る戦争もいまだ止むことがない。
そして今、環境問題は国
家の利権と金儲けの
方便と化している。これで人は本当に
進化してきたのだろうか?

AI技術の急速な進化によりシンギュラリテイが現実視され
つつある今こそ、「人としての心や精神の成長」について
世界各国で真摯に議論
すべき時ではないか。
『昆虫記』は「どんな命にもそれぞれの役割と意義がある。
人は生物の多様性と昆虫の
力強さ、懸命さそして謙虚さに
学び、命への
真摯な眼差し、そして優しさと愛情を心の中

にしっかり養うように。』とのファーブルのメッセージで
ある。

🔵養老孟司は次のように述べている。

命の大切さといった問題は、現代社会と深い関係がある。
現代社会は都市社会、
つまり人間の作ったものしかない意
識による
世界である。人間の意識はものを同じにしていく
働きを持つので、都市化が進めば単
調化し多様性を認めな
い社会となる。

多様性を認めない都会の人の考え方ではかけがえのない命、
命の大切さという言葉は、
空(カラ)の言葉にしか聞こえ
ない。
命の大切さということを子供に直接解くよりは、例えば虫
捕りを子供に勝手にやらせてみる。
だんだんいろんな虫が
いることに子供たちは
気づいてくる。いろんな虫がいると
言う生物の
多様性に気付かせるようにする。
感覚で捉えられるものはみんな違うものであるということ
を、子供たちに教えるというより、
どのように身につけさ
せるかを考える必要が
ある。』
やはり自然環境に負荷をかけないようバランスを考えた社
会の再構築が必要であろう。都市型イン
フラの過剰な整備
による都市化や人口集密は環
境問題に対してより脆弱とな
るため、都市と地方
のバランスを考慮し、よりコンパクト
で自然環境と
共生できる地方や地域の開発を進めてほしい。

例えば、太陽光発電事業開発は自然の景観を損ねるだけで
はなく、立地造成、或いは熱放射に
よる自然破壊など各地
で二次災害を引き起こし
ている。老朽化した太陽光パネル
は環境負荷物
質として産廃処理は極めて困難である。

           (写真)静岡県熱海市土石流 出典:アフロ、AFP


            (写真)静岡県熱海市土石流 出典:毎日新聞、AFP

🔵静岡県熱海市で起きた土石流問題は,
立地造成において
自然環境との共生を無視
したために起こった人災であろう。
環境対策の
ために環境破壊を推進する太陽光発電事業、
これを容認してきた静岡県のトップは環境問題についてど
んな知見と判断基準を持っていたの
だろうか?

地球環境に優しい”などとは 人の傲慢な思い上がりで,電
気自動車も、ライフサイクルでの環
境エネルギーへの切り
替えや、リチウム電池の
安全性とリサイクル性など根本的
な課題は、
未解決のままである。

中国が良い例であろう。今、過剰生産された電気自動車は
あちこちで放置廃棄され、各地
に死の山を形成、また実用
上も電池火災など
世界中で問題を引起こしている。
現在の環境問題は産業革命以降の物質文明の追求によって
もたらされた結果であるが、
中国では鄧小平が『金儲けは
悪ではない』と
偏った資本主義を奨励し『金儲けのためな
ら何をしても良い』『金さえあれば何事も許される』と中
国国民に誤解させ、今世界中が
彼らの悪意・悪事・悪想念
によって汚されて
いるようなものである。

 

-
🔵我々、日本人は、明治以降迎合してきた物質文明の負の
面を精算し、長久に続く我が
國體と,その文化や伝統を踏ま
え、新たな日本
社会の価値を創造し、日本人の矜持として
世界に発信すると共に, 我らが次代に繋いでゆくべきであろ
う。
幸いなことに、我々は先人達の偉大な精神と知恵と経験を継
承しているではないか

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