🟡「たちまちの秋」/彼岸前日の夕刻、慌ただしく外に飛び出したところ、一瞬、爽やかな涼気が、あらわな肌を駆け抜ける。「秋が来た!」 昨日まで、いつになく残暑厳しい9月と思いきや、忽ちにして秋の到来である。
しかし歳が行くと、心なしか「忽ち」が「やがて」に代わり、「なかなか」となり、記憶のスピードが落ちていく。
感性が鈍るのか、前のことを忘れて今の出来事に痛く感動する。老化現象とは言え、虚しく悲しい。
🟡「質秋立つ」/しかし季節は、決して老けることは無い。逆に進化を繰り返しているのかもしれない。毎年の事ながら、多くの人間や動物や自然を包含して生命を育む。とりわけ日本の秋は、偉大な大地の収穫の季節でもある。それは巡り来る四季の秋とは言え、「神の配剤」としか言いようがない。新たにめぐり来た日本の秋を、もう一度、検証してみてはどうだろう。(Yama) ●表題の写真は、チェンマイのホテルにおけるタイ伝統舞踊のショー、
. . . 本文を読む
●日本とチェンマイとのお付き合いは古く長い。戦争中は、ビルマ戦線の平坦基地として、ここに約3万人の日本兵が常駐しもたという。
そして戦後15年の1960年には、梅棹忠夫率いる大阪市立大学東南アジア調査隊が、バンコクから陸路チェンマイに入り、既に,ここで
写真館を開く日本人3人と会うという劇的な記録が残っている。それから後には、ODAによる、タイ北部地方の基幹的な産業高速道路(俗称
タクシン道路)の建設では、多くの日本の建設コンサル企業や道路建設の人たちが、ここチェンマイに住みついて、道路建設に当たったという。その道路は、いまもなお北部タイ地方の産業の動脈として大きな役割を果たしている。チェンマイのほとんどの人たちは、その道路建設に貢献
した日本に対してひと時も畏敬の念を忘れない。2000年からは、村田製作所はじめ、多くの日本企業が進出し、約3000人の日本人ロングスティヤーが海外居住している。まさにお隣さんと言える間柄である。
. . . 本文を読む