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■予期せぬ敗退

2021-08-12 | ●松本語録

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■「無残な敗戦  
東京オリンピック2020は、
史上最多の33競技、339種目
参加国と地域は205
予測経済の効果は1兆6771億円
1万1092人の世界のアスリート
を集結した東京五輪は、酷暑の開催、
メダルの重圧、更にコロナ禍という
難関の悪条件にも拘らず、17日間にわたる行程を
無事やり遂げて閉幕した。
歴史に残る五輪だった。
それから5日経つ。ようやく一段落しての大方の感想は「やはり やって
よかった」だった。そこには、様々な困難を克服した国民共通の大きな歓
びと自負があつた。
しかも「スポーツは人を結びつける」事を実証した。

この言葉は、元サッカー日本代表監督のイビチャン・オシムさんの言葉の
だが、世界の
アスリートが集うだけで、様々な事を話し合い友達になると
言う。
なにかと分断が進む世界情勢の中にあって、五輪スポーツの果たす役割は
大きい。
どうあれ物事は何事も結果次第、良しとしたい。

東京五輪の最後半の8月3日夜、期待がかかった日本対メキシコのサッ
ー3位決定戦の終了直後、
日本サッカーの権威で当ブログの常連執筆者の
松本光弘 筑波大学名誉教授から
次の様な観戦談を頂いた。ご紹介したい。

    

「昨日のサッカー競技3位決定戦はメダル獲得できず残念でした。
と言いながらメダルに固執する日本の報道が、少からず私にとっては異常
にすら感じられます。
これは、私が、スポーツに求める精神性の表れかも
れません。物質に価値をあまり持ちたくない、
メダルという物質を追い
めるのではない。メダルが全てを表すという考え方に少々反発していま

私のつい身近なところに日本最高の金メダル保持者、体操競技の加藤澤男
氏がいます。
金メダル8個獲得しています。これは世界的にトップクラス
です。
オーストラリアの20世紀トップアスリート20人に選ばれ、そこには”Sawao
Katou street” が あるくらいです。
しかも加藤先生はいたって謙虚です。
精神面の話をする時、二人で相槌をうちあえるのが、
私にとっては最高の
幸せの時です」(松本光弘 筑波大学名誉教授、前日本サッカー協会理事)

(クラマーコーチ)
クラマーコーチと大和メキシコ五輪日本代表)       松本光弘
私は、このように全員が持てる力を全て出し尽くしたのを 見たこと
ない」。1968年10月24日、国際サッカー連盟(FIFA)から派遣されメ
キシコ五輪を視察したデットマール・クラマー氏は、地元メキシコを破っ
て銅メダルを獲得した日本の教え子たちに胸を熱くした。ピッチでは歓喜
に躍動した選手たちだったが、宿舎に戻ると全員がベッドに倒れこんで動
けない。水さえ飲めないまま寝入った。戦い抜いた姿にクラマー氏は涙し
た。

さかのぼること8年。東京五輪を4年後に控えた1960年10月29日、クラ
マー氏はドイツから来日し、日本代表コーチに就任する。当時の日本は、
インド、香港、フィリピンにも勝てず、アジアでも下から数えた方が早い
サッカー弱小国だった。リフティングも満足にできない選手たちに、クラ
マーコーチは基本を叩き込む。だが、それだけではなかった。

    

「ドイツにはゲルマン魂がある。君たち日本人にも  素晴らしい大和魂が
るじゃないか。私に君たちの大和魂をみせてくれ

少しずつ成長した選手たちは、晴れの東京五輪で8強まで勝ち上がる。
特に初戦で南米の強豪アルゼンチンを3-2の逆転で破った試合は、選手
たちに自信を与えた。
東京五輪後クラマーコーチはドイツに帰ったが、選手たちは「クラマーの
ために戦う」と4年後のメキシコに目を向け、強化を続けた。
メキシコ五輪代表18人のうち 14人が東京五輪代表、つまり、ほとんどが
クラマーコーチの教え子」だった。

      
日本は強くなっていた。
しかしメキシコには、五輪直前の強化試合で0-4
と敗れている。アステ
カスタジアムで始まった3位決定戦は、序盤からメキシコペース。それで
も、じっくり守ってカウンターという作戦を立てた日本は慌てず、前半17
分と39分に杉山隆一、釜本邦茂の黄金のホットラインから2点を奪う。
残る時間、日本は全員で守り抜いた。GK横山謙三は後半開始早々のPK
さえ止めている。

大会後、報告書を作成した代表コーチ岡野俊一郎氏(故人 元日本サッカ
ー協会会長)は参加16カ国の実力を評価し、「個人技」で日本を最低の
75点とした。「まだまだ差をつけられている」。だが「精神力」は優勝し
たハンガリーと並ぶ100点。「宿舎に戻った選手たちは、口をきくことさえ
できなかった」と岡野コーチも振り返っている。

クラマー氏は日本人の見せた大和魂に胸を熱くした。約束を守りぬいた選
手たちの心に泣いたのである。7年後の1975年、ドイツの強豪バイエルン・
ミュンヘン監督として欧州チャンピオンズカップ(現・欧州チャンピオン
ズ・リーグ)を制覇したクラマー監督は、「今が人生最高の瞬間ではない
ですか」と記者に聞かれ、「いいえ」と答えた。「最高の瞬間は日本がメ
キシコ五輪で銅メダルを獲得したときです。私は、あれほど死力を尽くし
て戦った選手たちを見たことがない」 

FIFAはメキシコ五輪からフェアプレー・トロフィーを設置し、最もフェア
な敢闘精神を発揮したチームを称えるようになった。
第1回受賞は日本代表
そして、クラマーコーチは「日本サッカーの父」と呼ばれるようになった。」

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■「想い出の夏、東京五輪
日本は、東京五輪サッカー3位決定戦で、メキシコに敗れ入賞を逸した。
一方メキシコは、1968年地元メキシコ五輪で日本に敗れて以来53年
振りに日本を破り宿願を果たした。

東京五輪では、スポーツ不得手の私など 多くの事を学んだ。
サッカーが、聞きしに勝る戦略競技である事。チームとしての結束力が極
めて大事な事も知った。特に技能に勝る精神力や、最近、松本先生からは
サッカー哲学」について聞かされ、その奥深さと真髄を知った。

東京五輪での私の驚きの新発見は、次の二つ、
日本の若い世代の台頭
日本のスポーツ文化の奥深さ
偏に コロナ終息の秋が待たれる
  


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