■■■■■■■■■■■■■予期せぬ敗退■■■■■■■■■■■■■
■「無残な敗戦」
●東京オリンピック2020は、
・史上最多の33競技、339種目、
・参加国と地域は205、
・予測経済の効果は1兆6771億円、
・1万1092人の世界のアスリート
を集結した東京五輪は、酷暑の開催、メダルの重圧、更にコロナ禍という
難関の悪条件にも拘らず、17日間にわたる行程を無事やり遂げて閉幕した。
歴史に残る五輪だった。
●それから5日経つ。ようやく一段落しての大方の感想は「やはり やって
よかった」だった。そこには、様々な困難を克服した国民共通の大きな歓
びと自負があつた。しかも「スポーツは人を結びつける」事を実証した。
この言葉は、元サッカー日本代表監督のイビチャン・オシムさんの言葉の
だが、世界のアスリートが集うだけで、様々な事を話し合い友達になると
言う。
なにかと分断が進む世界情勢の中にあって、五輪スポーツの果たす役割は
大きい。どうあれ物事は何事も結果次第、良しとしたい。
●東京五輪の最後半の8月3日夜、期待がかかった日本対メキシコのサッカ
ー3位決定戦の終了直後、日本サッカーの権威で当ブログの常連執筆者の
松本光弘 筑波大学名誉教授から次の様な観戦談を頂いた。ご紹介したい。
●「昨日のサッカー競技3位決定戦はメダル獲得できず残念でした。
と言いながらメダルに固執する日本の報道が、少からず私にとっては異常
にすら感じられます。これは、私が、スポーツに求める精神性の表れかも
しれません。物質に価値をあまり持ちたくない、メダルという物質を追い
求めるのではない。メダルが全てを表すという考え方に少々反発していま
す。
私のつい身近なところに日本最高の金メダル保持者、体操競技の加藤澤男
氏がいます。金メダル8個獲得しています。これは世界的にトップクラス
です。
オーストラリアの20世紀トップアスリート20人に選ばれ、そこには”Sawao
Katou street” が あるくらいです。しかも加藤先生はいたって謙虚です。
精神面の話をする時、二人で相槌をうちあえるのが、私にとっては最高の
幸せの時です」(松本光弘 筑波大学名誉教授、前日本サッカー協会理事)
(クラマーコーチ)
■「クラマーコーチと大和魂」メキシコ五輪日本代表) 松本光弘
●「私は、このように全員が持てる力を全て出し尽くしたのを 見たこと
がない」。1968年10月24日、国際サッカー連盟(FIFA)から派遣されメ
キシコ五輪を視察したデットマール・クラマー氏は、地元メキシコを破っ
て銅メダルを獲得した日本の教え子たちに胸を熱くした。ピッチでは歓喜
に躍動した選手たちだったが、宿舎に戻ると全員がベッドに倒れこんで動
けない。水さえ飲めないまま寝入った。戦い抜いた姿にクラマー氏は涙し
た。
さかのぼること8年。東京五輪を4年後に控えた1960年10月29日、クラ
マー氏はドイツから来日し、日本代表コーチに就任する。当時の日本は、
インド、香港、フィリピンにも勝てず、アジアでも下から数えた方が早い
サッカー弱小国だった。リフティングも満足にできない選手たちに、クラ
マーコーチは基本を叩き込む。だが、それだけではなかった。
「ドイツにはゲルマン魂がある。君たち日本人にも 素晴らしい大和魂が
あるじゃないか。私に君たちの大和魂をみせてくれ」
少しずつ成長した選手たちは、晴れの東京五輪で8強まで勝ち上がる。
特に初戦で南米の強豪アルゼンチンを3-2の逆転で破った試合は、選手
たちに自信を与えた。
東京五輪後クラマーコーチはドイツに帰ったが、選手たちは「クラマーの
ために戦う」と4年後のメキシコに目を向け、強化を続けた。
メキシコ五輪代表18人のうち 14人が東京五輪代表、つまり、ほとんどが
「クラマーコーチの教え子」だった。
●日本は強くなっていた。
しかしメキシコには、五輪直前の強化試合で0-4と敗れている。アステ
カスタジアムで始まった3位決定戦は、序盤からメキシコペース。それで
も、じっくり守ってカウンターという作戦を立てた日本は慌てず、前半17
分と39分に杉山隆一、釜本邦茂の黄金のホットラインから2点を奪う。
残る時間、日本は全員で守り抜いた。GK横山謙三は後半開始早々のPK
さえ止めている。
大会後、報告書を作成した代表コーチ岡野俊一郎氏(故人 元日本サッカ
ー協会会長)は参加16カ国の実力を評価し、「個人技」で日本を最低の
75点とした。「まだまだ差をつけられている」。だが「精神力」は優勝し
たハンガリーと並ぶ100点。「宿舎に戻った選手たちは、口をきくことさえ
できなかった」と岡野コーチも振り返っている。
クラマー氏は日本人の見せた大和魂に胸を熱くした。約束を守りぬいた選
手たちの心に泣いたのである。7年後の1975年、ドイツの強豪バイエルン・
ミュンヘン監督として欧州チャンピオンズカップ(現・欧州チャンピオン
ズ・リーグ)を制覇したクラマー監督は、「今が人生最高の瞬間ではない
ですか」と記者に聞かれ、「いいえ」と答えた。「最高の瞬間は日本がメ
キシコ五輪で銅メダルを獲得したときです。私は、あれほど死力を尽くし
て戦った選手たちを見たことがない」
FIFAはメキシコ五輪からフェアプレー・トロフィーを設置し、最もフェア
な敢闘精神を発揮したチームを称えるようになった。
第1回受賞は日本代表。
そして、クラマーコーチは「日本サッカーの父」と呼ばれるようになった。」
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■「想い出の夏、東京五輪」
●日本は、東京五輪サッカー3位決定戦で、メキシコに敗れ入賞を逸した。
一方メキシコは、1968年地元メキシコ五輪で日本に敗れて以来53年
振りに日本を破り宿願を果たした。
東京五輪では、スポーツ不得手の私など 多くの事を学んだ。
サッカーが、聞きしに勝る戦略競技である事。チームとしての結束力が極
めて大事な事も知った。特に技能に勝る精神力や、最近、松本先生からは
「サッカー哲学」について聞かされ、その奥深さと真髄を知った。
東京五輪での私の驚きの新発見は、次の二つ、
・日本の若い世代の台頭、
・日本のスポーツ文化の奥深さ、
偏に コロナ終息の秋が待たれる。
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