【㈱ 博多まるきた】
という辛子明太子製造業では老舗でトップクラスの「辛子明太子製造業者」が民事再生法の適用を申請したという。(2008年12月24日)
【帝国データバンク速報】
辛子明太子製造
株式会社 博多まるきた
民事再生法の適用を申請
負債114億3700万円
世界恐慌が、自動車業界だけでなく、食料品製造業にも波及してきたらしい。
というのは、私の知り合いが、この会社ではないが同じような「辛子明太子製造業」に勤めているのだが、去年(あの世界恐慌の前)需要増に応えるため新工場をオープンした矢先に世界恐慌のあおりを受けて、設備投資したばかりの新工場を売却する羽目に陥ったと聞いていたからである。
何故、世界恐慌が明太子にまで波及するかのカラクリを訊ねたところ、御想像通り、銀行による資金貸し渋りにあったという訳である。
よく聞いてみると、その会社が直接貸し渋りにあうというよりも、その工場から購入している「明太子」販売業者への資金供給が絞られたことが主要な原因らしい。
これまでであれば一定の在庫を置きながら、順次販売と在庫購入を繰り返しながら営業を行っていたところが、在庫を購入するための資金繰りをしてくれなくなったから、現在の在庫を掃かせるまで新規購入を控えたのだと言う。
在庫を殆ど売り尽くしたところで、その販売代金を次の商品購入に回すらしい。
従って、販売業者の在庫消化までの一時的なもののはずなのだが、中小・辛子明太子製造業者にとっては、その一時繋ぎ資金にも事欠き、泣く泣く新工場を売却したらしい。
当然、そこで働く予定だったパートさんも、働けなくなった。
これは、一辛子明太子製造業者に限った話ではない。
金融機関の不祥事から起こった世界経済の破綻が、そういう貸し渋り、貸し剥がし、資金供給のストップなどを通じて、全ての経済活動の首を絞めつつあるというのが、現在進行形の事態なのである。
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帝国データバンク速報より引用
「福岡」 (株)博多まるきた(資本金2000万円、福岡市西区石丸4-9-15、代表北風喜志男氏ほか1名、従業員55名)は、12月24日に福岡地裁へ民事再生法の適用を申請した。
申請代理人は、黒川忠行弁護士(福岡市中央区赤坂1-16-13、電話092-715-4461)など4名。
当社は、1951年(昭和26年)6月に水産加工を目的に創業、その後休眠していたが、67年(昭和42年)10月に再開、73年(昭和48年)7月に法人改組した辛子明太子製造業者で、塩干物などの海産物小売も手がけていた。
当社独自の香りや風味の調味液を用いた 「博多あごおとし」 として商標登録するなど商品の差別化にも努めていた。
94年に工場を増設、2004年には中国に第2工場を新設するなど生産力を増強し、水産物卸業者や商社、大手量販店などを得意先に2003年6月期は約189億1700万円の年売上高を計上するなど、辛子明太子製造業ではトップクラス に成長していた。
しかしその後は、競合の激化や消費の低迷で、2008年6月期の年売上高は約199億3000万円とやや伸び悩んでいた。さらに、消費者の中国製品に対する不信感の増幅で、中国工場の商品の売り上げが低迷。このため、中国から国内へ生産をシフトするなどの打開策に取り組んでいたものの、原材料価格の上昇などで収益も低調に推移していたことから、自力再建を断念、今回の措置となった。
負債は、2008年6月末期時点で約114億3700万円。
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博多まるきた 「博多あごおとし」
インターネット販売もしていたようです。 「NETSEA」
「博多まるきた」 差別化図ってきたが、身の丈を超えた戦略が仇
九州企業特報 2009年01月03日 07:00 更新
西日本新聞 2008年12月25日付
めんたいこ製造老舗 博多まるきた
再生法を申請 負債114億円
西日本新聞 2008年12月25日 02:40
辛子めんたいこ製造販売の老舗「博多まるきた」(福岡市)が24日、福岡地裁に民事再生法の適用を申請した。負債総額は114億3700万円に上るとみられる。営業は続ける。
信用調査会社の東京商工リサーチ福岡支社などによると、博多まるきたは1951年に個人創業し、73年に法人化。自社の辛子めんたいこをスーパーなどに卸しているほか、一部直販も手掛ける業界大手。年間の売上高は200億円程度を維持し、2008年6月期も約199億円だった。
ただ、近年競争激化や消費低迷のほか、原材料価格の上昇などが収益を圧迫。また、04年に中国工場を増設したが、中国産食品への不信感の高まりから、同工場で製造した商品の売り上げが低迷し、資金繰りが悪化していた。
=2008/12/25付 西日本新聞朝刊=