醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  289号

2017-01-11 14:42:27 | 随筆・小説

 三重の名酒「酒屋八兵衛」を楽しむ

侘輔 今日のお酒は何回か、楽しんだお酒だ。
呑助 お酒は何ですか。
侘助 三重県のお酒なんだ。
呑助 三重県だけじゃ、思い出すお酒はないなぁー。
侘助 春日部あたりではほとんどなじんだ酒はないよね。坂長さんが探してきたお酒なんだ。
呑助 あっ、思い出しましたよ。「酒屋八兵衛」じゃないですか。
侘助 そうですよ。今日は「酒屋八兵衛」の特別純米・無濾過生原酒の酒を楽しむ予定なんだ。
呑助 伊勢志摩サミットの時にどうだったんですか。
侘助 乾杯の酒は「作(ざく)」だったかな。「酒屋八兵衛」の酒は食中酒に採用されたようだよ。
呑助 へぇー、伊勢志摩サミットで採用されたお酒なんですか。
侘助 伊勢志摩サミットの一日目の晩餐会の食中手酒が「酒屋八兵衛」の純米大吟の酒だったようだよ。まぁー、今日はその同じ造りの酒じゃないけれどね、一切フィルターで濾すこともしていなし、炭で濾過することもしていない醪を絞ったまんまのお酒本来の味が楽しめるお酒のようだよ。
呑助 本物の日本酒ですね。
侘助 生だしね。火入れをしていない。
呑助 火入れとは、なんでしたっけ。
侘助 醪を絞って清酒にするんだけれどね。そのまんまだと雑菌が入ってお酒が腐敗する危険性があるんだ。だから螺旋状の細い管の中に絞ったお酒を通し、七〇度前後のお湯の中に漬けることを火入れというんだ。こうして雑菌を殺す。まだ生きていた酵母菌も死滅する。こうして出荷するんだ。
呑助 だから生酒の場合、少し炭酸を感じることがあるんですね。
侘助 そう、酵母が生きていると炭酸とアルコールを吐き出しているからね。
呑助 原酒とは、水で薄めていないということでしたよ。
侘助 そうだよ。純米酒だから醸造用アルコール、いわゆる甲類の焼酎で薄めていないしね。
呑助 醸造用アルコールというのは、焼酎ですか。
侘助 最近になって焼酎の場合、「本格焼酎」とラベルに書いてあるものが増えてきたが、その焼酎は皆、昔の乙の焼酎だね。
呑助 甲の焼酎というのは何なんですか。
侘助 醸造用アルコールというのが甲類の焼酎ということかな。宝焼酎とか、「純」、「ジンロ」とかあるでしよう。二回蒸留して、アルコールだけになった原酒を水で薄めたものが甲類の焼酎だよ。
呑助 本格焼酎とか、乙類の焼酎というのは何なんですか。
侘助 芋焼酎とか、麦焼酎とか、黒糖焼酎とか、いろいろあるでしょ。あれが乙類の焼酎ですよ。
呑助 泡盛もそうですか。
侘助 泡盛も蒸留酒に違いはないが、焼酎ではない。ウイスキーも蒸留酒に違いはないが、焼酎ではないように泡盛は泡盛かな。
呑助 じぁー、日本酒に宝焼酎を入れて飲んでも全然OKですね。
侘助 速く酔いたいと思った時には、日本酒に焼酎を入れて飲むと美味しいかも。一昔前、野田には醤油樽を造る桶職人がいた。彼らは味醂に焼酎を入れて飲んでいたという話を聞いたことがあるよ。その話を聞いて実際にやってみたことがある。飲んでみて仲間に飲ませたら、日本酒と間違えた。

醸楽庵だより  288号  白井一道

2017-01-10 14:49:58 | 随筆・小説

 秋田の名酒「雪の茅舎」を楽しむ

侘輔 今日の酒は羽後の酒「雪の茅舎」だよ。
呑助 「羽後」というと、東北の酒ですね。
侘助 そうだよ。秋田の酒かな。
呑助 秋田は日本で一番日本酒を消費しているらしいですね。
侘助 そうらしい。もう十年以上前になるけれども卒業生の結婚式に出たことがあるんだ。
呑助 へぇー、首都圏に住んでいた人が地方の、秋田に就職したんですか。
侘助 そうなんだ。懇意にしていた生徒でね。レスリング部の猛者だった。将来、彼が山村で生活したいと言ってね。就職を一緒に考えたんだ。日本地図を広げて、どこで就職したいといったら、北の方がいいというから、北海道あたりがいいかなぁ、と云ったら青森から秋田にかけての地域を指し、白神山地あたりがいいというから、ああ、ここは日本でも有数な広葉樹林の森が広がる所だというとここが良いということで決まったんだ。
呑助 そんなことで就職を決めたんですか。
侘助 私は早速、秋田県庁に電話をかけ、森林組合で人員募集している所はないかと聞いてみた。
呑助 白神山地の森林組合が若者を募集していたんですね。
侘助 森林組合の組合長さんが乗り気になってくれてね。電車賃、宿泊代をだすから、気持ちの変わらないうちに面接に来てくれと云うことになってね。一人で面接に行ったんだ。
呑助 面白いもんですね。
侘助 面接に行ったら、組合長さんの家に招かれ、御馳走でもてなされたようなんだ。面接と云っても秋田のショッツル鍋を御馳走になりに行ったようなものだったらしい。
呑助 いい面接ですね。そんな面接なら私も行ってもいいですね。
侘助 ただ、五年間は辞めるなよと、強く念を押しておいた。
呑助 その彼氏の結婚式によばれていったわけなんですね。
侘助 そうなんだ。その結婚式の乾杯は日本酒だったことを覚えているな。
呑助 「雪の茅舎」だったんじゃないんですか。
侘助 忘れてしまったな。彼は青森に近い方の能代から白神山地に入ったところに住んでいたからね。「雪の茅舎」は秋田市から南、山形県に近いほうだから。
呑助 「雪の茅舎」の特徴はどんなところにあるんですか。
侘助 「雪の茅舎」を醸す杜氏さんは私と同じ歳の人なんだ。
呑助 と、いうと七十歳ですか。
侘助 そう七十歳。我々が十代の後半から二十代にかけての頃は経済が高度成長した時代だったから地方から都市に若者が集まって来た頃なんだ。その時、地元に残り、酒造りの道に入った人なんだ。親と一緒に農業に勤しみ、農閑期に酒蔵に働きに出た。蔵人の下働きから始め、飯炊き、洗濯、釜炊き、洗い、米研ぎ、真冬の厳しい寒さの中での水仕事をした人なんだ。
呑助 苦労人なんですね。
侘助 そうなんだ。その人が今では日本一だと云われる杜氏さんになった。高橋藤一杜氏さんは酒は微生物・麹や酵母が醸すものだ。人間が手をかけて造るものではないと言っている。酒造り名人の言葉なんだ。

醸楽庵だより  287号  白井一道

2017-01-09 12:42:04 | 随筆・小説

 俳句を見てもらうと説明だと 

華女 野火句会の新年会は楽しかった?
侘助 うん、主宰者の孝夫さんは「行きも帰りも羽子板市の中通る」という句を特選に選んだ。
華女 何でもないただ事のような句ね。
句郎 一見するとそんな感じを受けるよね。でもそうじゃないようなんだ。
華女 年の瀬の羽子板市が表現されているのかしらね。
句郎 そうなんだ。「行きずりの人とも会話初参り」という句を詠んだ人がいた。この句は報告になっている。句になっていないというような説明をしていた。この説明に納得したな。
華女 そういうことなのね。
句郎 羽子板市が行われる近所に住む住人が用足しに「行きも帰りも羽子板市の中を通」って帰ってきた。その羽子板市では羽子板の人形を眺めて通ったに違いない。賑わいや知り合いに出会い、挨拶をかわしたかもしれない。そのようなことがすべて省略されている。ただ事実だけを述べ、羽子板市を表現した。だから俳句になっていると孝夫さんは主張していたのだと思ったんだ。
華女 どうしても余計なものを言いたくなってしまうのよね。
句郎 そうだよね。どうしても余計な言葉を使いたくなってしまうんだよね。
華女 そうよ。言わないと伝わらないと思ってしまうのよ。
句郎 「行きずりの人とも会話」。これは確かに報告というか、説明しているよね。説明では俳句にならないということのようだよ。
華女 説明でなく表現をしなくちゃ俳句にはならないのね。
句郎 そうなんだろうな。「雲雀より空にやすらふ峠哉」という芭蕉の句があるんだ。芭蕉は初め、「雲雀より上にやすらふ峠哉」と詠んだ。その後、推敲し「上に」を「空に」にした。なぜ芭蕉は「上に」ではなく、「空に」にしたのだと思う?。
華女 「上に」の方が分かりやすいようにも思うけれど。
句郎 「に」という助詞は使い方によって説明的になってしまうという話を聞いた。正木ゆう子という俳人が「すなどりの孤舟の上に寒昴」というNHK投稿俳句を「すなどりの孤舟の上の寒昴」と添削していた。その理由は「上に」は説明だと述べていたよ。
華女 確かに、「上に」だと説明のようにも思うわね。
句郎 そうでしょ。だから芭蕉は「上に」では報告というか、説明しているなと感じたんじゃないのかな。表現になっていない。そう感じて「上に」を「空に」と推敲したんじゃないのかな。
華女 芭蕉は三百年も前に現代に生きる人々にも大きな影響を与えているのね。
句郎 空高く舞い上がりなく雲雀より高い空に一服していると芭蕉は詠んだ。
華女 正に、俳句ね。
句郎 説明と表現。ちょっとの違いがある。それがなかなか分からない。どうしても説明して俳句を詠んだつもりなっている。だから余計な言葉を付けてしまう。自戒、自戒だ。
華女 説明だと余韻がでないのじゃないの。
句郎 そうなんだよね。表現してこそ、感動とか、余韻とかが響いて、隣の人にも伝わるということ

醸楽庵だより  286号  白井一道

2017-01-08 12:24:02 | 随筆・小説

 会津坂下の酒 「豊久仁」を楽しむ

侘輔 今日のお酒はお馴染みの福島県会津坂下の酒蔵豊国酒造さんの「豊久仁純米大吟醸」山田錦精米歩合四十%、全国新酒鑑評会金賞受賞酒のお酒なんだ。
呑助 全国新酒鑑評会で金賞受賞したお酒なんですか。
侘助 そうだなんだよ。それもね、マイナス二度の冷蔵庫で三年寝かしたお酒なんだ。
呑助 どうしてそんなお酒が手に入ったんですか。
侘助 坂長さんが蔵を訪ね、蔵の倉庫に眠っていたお酒を唎酒して、注文したお酒のようなんだ。だから、坂長さんにしか出荷していないお酒のようだ。そのお酒をね、今日は楽しもうと思っているんだ。
呑助 なんかわくわくしてきましたよ。値段はいくらなんですか。
侘助 四千八百円かな。
呑助 その値段は高いんですか、それとも安いんですかね。四千八百円というとちょっと高そうにも思いますけれどもね。
侘助 そう思うでしょ。蔵としては、その値段では割に合わない値段のようだよ。なぜかというとね、原料米の山田錦でしょ。精米歩合が四十%の大吟醸でしょ。その酒を冷蔵庫で三年寝かしているんでしょ。まぁー、最低でも一万六千円ぐらいで赤字ならないぐらいらしいよ。
呑助 じゃー、どうして四千八百円という超安値で売ってくれたんですかね。
侘助 今じゃ、一万六千円、新酒鑑評会金賞受賞酒というコピーでは売れないそうだよ。二十年前だったら売れても、今じゃ、売れない。それだけ需要は冷え込んでいるみたいだよ。
呑助 じゃー、蔵じゃ、捨て値で出荷したということですか。
侘助 そうなんじゃないのかな。冷蔵庫に置いていても、売れる見込みがない以上やむを得なかったのかもしれない。
呑助 我々はそういう偶然に巡り合うことができたということですか。
侘助 名酒を楽しむ喜びを続けているとたまにはいいこともあるということなりかな。
呑助 三年も熟成させたお酒は古酒になっているんではないですかね。
侘助 老香と書いて「ひねか」と読むんだけれどね、黄色に変色し、紹興酒のような香りがする一種の老臭、臭みがするのを老香というんだけれどね、全然ないと坂長さんは言っていたよ。
呑助 保存が良かったんですかね。
侘助 そうだと思う。本当に良く、熟成していると言っていた。マイナス二度で貯蔵していたということが良かったのかもしれない。
呑助 常温で保存したら、ダメだったのかもしれませんね。
侘助 そうかもしれない。人間も熟年になると角がとれて丸くなり、人間関係も滑らかになるでしょ。お酒も熟成すると丸くなり、余分にあったいろいろな雑味がとれてすっきりしたものになる。酒のおいしさだけがすっきりと喉を潤してくれるようになる。
呑助 綺麗なお酒になるんですかね。
侘助 そうらしい。日本の伝統文化としての味は素材の美味しさそのものを取り出すところにあるようだからね。三年熟成させたお酒は正に日本伝統文化の味そのものかな。

醸楽庵だより  285号  白井一道

2017-01-07 15:38:04 | 随筆・小説

 新春大歌舞伎(市川右近改め三代目市川右團次襲名披露)を見る

 「新年と襲名を寿ぐ豪華顔あわせの初芝居」というチラシを受け取り一月五日新橋演舞場に友人と二人入場した。前から九列目の席だった。開演の午前11時にはまだ時間があった。歌舞伎を見るのは四回目である。内容が分かりやすいといいなぁーという思いでチラシを見ると演目「雙生隅田川(ふたごすみだがわ)」の粗筋を説明している。ざっと目を通してみても内容がぼーっとしていて今一分からない。いやはや困ったなぁーと、思っていると友人が言った。今日の演目は一大スペクタルらしいよ。
 見終わっての感想を一言で言うと近松門左衛門作の物語をショウ仕立てにした歌舞伎だった。親子三人が舞台から宙に吊られて劇場の天井を移動していく。本物の水が天井からざぁーざぁーと流れ落ちてくる。溜まった水の中で刀を持った武士たちが大立ち回りをする。太鼓が鳴る。拍子木が打ち鳴らされる。義太夫が声を張り上げて物語る。何を言っているのかさっぱり分からないが、三味線の音に調子を合わせ、迫力がある。
 花道で役者が見栄を切ると天井から「オモダカヤッ!」と声が降って来る。スーパー歌舞伎とは見世物なんだと納得した。

醸楽庵だより  284号  白井一道

2017-01-06 12:06:04 | 随筆・小説

  朝日新聞を読む 

 元日の朝日新聞一面を読んで思った。民主主義がソクラテスを殺した。こんなことがよみがえった。今、また民主主義が先進資本主義国を代表するアメリカを殺そうとしている。民主政治が最も進んでいるイギリスが民主主義によって殺されそうになっている。そのような危機感が朝日新聞を埋めていた。同時にこの記事には新しい年への展望がない。ポピュリズム、デマゴギーに流されていく世相を嘆き、手をこまねいているだけである。新聞の使命を忘れた論評である。
 ソクラテスを殺した民主主義はデマゴギーだった。アメリカの民主主義を殺そうとしているのはポピュリズムだと朝日新聞記者は主張している。アメリカに蔓延したポピュリズムが新アメリカ大統領トランプを出現させた。イギリスのポピュリズムがEUからイギリスを離脱させた。
 ポピュリズムはデマゴギーだ。大衆に迎合した結果が、トランプの出現であり。イギリスのEU からの離脱という結果を招いたのだと主張している。ポピュリズムは大衆に追従することであり、大衆に迎合することだ。ポピュリズムによって民主主義は崩壊していくと危機感を述べたつもりになっているようだ。
 沖縄、高江では、オスプレイのヘリパッド建設を止めてくれと、高江の住民を中心に沖縄県民が基本的人権の尊重を求めている。ここにはまさに民主主義実現を求める営みがあるが朝日新聞は報道しない。オスプレイが名護市安部(あぶ)の海岸付近に墜落した。この事実を政府が「不時着」と言うと朝日新聞も墜落を「不時着」と表現し、報道した。これが民主主義なのか。オスプレイは運転が可能だったため、海水に不時着したのか、それとも運転が不可能となったため海岸付近の岩礁に墜落したのか。オスプレイは運転ができなくなったため、海岸付近の岩礁に墜落した。朝日新聞がオスプレイの墜落を「不時着」と報道したことは政府発表に迎合したプロパガンダをしたのだ。
 政府広報機関であることを朝日新聞は紙面をもって表明した。政府広報新聞がポピュリズムを批判する。これは自分が自分を批判し、笑うことでしかないだろう。朝日新聞自身がポピュリズム、デマゴギー宣伝の機関となっているのだ。
 メディアがデマゴギーをプロパガンダするようになると独裁政治が出現する。民主主義を破壊する独裁主義、ファシズム、ナチズムが生まれる。このような経験を人類はしてきた。ドイツの民主主義、ポピュリズムがヒトラーを生んだ。合法的な手続きによって民主的に独裁者ヒトラーが誕生した。このような言説が流布している。この言説には嘘がある。謀略事件、国会放火事件を起こし、ドイツ共産党の仕業だと報道し、言論、報道の自由を奪う緊急大統領令を発布し、選挙し、その結果ナチ党が多数を占めた。その上で突撃隊に包囲された中で全権委任法は成立した。全権委任法(授権法)は自由な状態の中で成立した法案ではない。ヒトラーは民主的に選出された首相ではない。緊急事態状況を作り出し、その中で民主的な状況のない中でナチスの独裁が実現した。
 朝日新聞は政府におもねることなく、沖縄の現実の事実を事実として報道してもらいたい。またポピュリズムに迎合することなく、新聞の使命を自覚してもらいたいものだ。


醸楽庵だより  283号  白井一道

2017-01-04 14:25:05 | 随筆・小説

 事実と俳句の事実とは違う

句郎 先月、孝夫さんが事実と俳句の事実は違うということを説明していたよね。どう違うのか、難しね。
華女 分かったつもりで詠んでみても俳句の事実にならない。
侘助 そうだよね。写生とは、どういうことを言うのか、結構、難しい問題があるようにも思うんだけどね。
華女 写生は写生でしょ。正岡子規が言ったことなんでしょ。高校の頃、美術の先生が言っていたわよ。見えるように描きなさいとね。言っていたわよ。自分の目に見えたように描くのが写生でしょ。小学生にも分かることよ。
句郎 そうだよね。問題は見えるように木だって、葉っぱだって、鳥だって、飛んでいる蜻蛉だって見えるようには描けないんだよね。
華女 そりゃ、そうね。飛んでいる蜻蛉を見えるように絵に描くなんて、そう簡単には描けないわね。
句郎 見えるように描くには訓練が必要だよね。
華女 そりゃ、そうでしょ。だから絵描きはデッサンなんかして修行しているんでしょ。
句郎 きっと文章でも同じことが言えるんじゃないのかな。
華女 文章もと、言うことは俳句も同じだということなのかしら。
句郎 そうなんじゃないかな。私も同様でね、分かっちゃいるけど、詠めないからね。
華女 空っぽの蜂の巣に二匹の蜂がいるのを見つけ、そのまま詠むことが写生じゃないと孝夫さんは述べていたわね。たとえ本当に二匹の蜂が空っぽの蜂の巣にいたとしてもね。
句郎 写生とは事実をそのまま詠むことではないんだ。事実をそのまま詠んでも事実は事実にならないということのようだ。
華女 写生とは事実をそのまま詠むことではないのね。
句郎 見た事実を詠まなければ写生じゃないからね。事実を詠むんだけれども、目に入る事実は無限にある。その無限の事実の中から一つの事実を選び、足りなかったら何かを付け足す。
華女 だったら空っぽの蜂の巣に一匹、秋の蜂がいたと詠んだら、句になったのしら。
句郎 それはわからない。秋の蜂を表現するため空っぽの巣に二匹の蜂がいたことに作者は秋の蜂の姿を見たのかもしれないけれども、それでは秋の蜂を表現したことにならないと孝夫さんは述べていた。。
華女 問題は「秋の蜂」を表現することなのね。
句郎 「冬蜂の死にどころなく歩きけり」という村上鬼城の句があるでしょ。よたよた歩いている冬蜂の姿に鬼城は冬蜂の本意を見たんじゃないかな。
華女 じぁー、「空っぽの巣」の句は「秋の蜂」の本意を詠んでいないと孝夫さんは言ったのかしら。
句郎 そうだと思うけど。「蜂」の季は春でしょ。咲き始めた花に群がる蜂の姿には若々しい活力が漲っているけれども秋の蜂の巣は抜け殻になってしまっている。その侘しさ、寂しさのようなものをどう表現するかということが俳句を詠むということなのかもしれない。
華女 なるほどね。帰る宿を失った秋の蜂という視点はとても良かったんじゃないのかしらね。
句郎 確かに、そうだよね。あと一歩と言ったのかも。

醸楽庵だより  282号  白井一道

2017-01-03 17:07:38 | 随筆・小説

 切字とは

華女 野火の句会に出て何か、学んだことはあった?
侘助 うん、一つは「茶の花」が冬の季語だということを知ったよ。
華女 お茶の木は冬、白い花をつけるよ。
句郎 そうなんだ。小さな花なのかな。
華女 二センチぐらいの花よ。黄色い雌蕊を白い花弁が囲んで咲くのよ。
句郎 「茶の花や午後の日差のぬくもりぬ」という提出句に対して主宰者の孝夫さんが▽を付けたんだ。なぜ▽を付けたのか、分からなかった。
華女 そうね。どうしてなのかしらね。分かったわ。切字が「や」と「ぬ」の二つが入っているということなんじゃないの。
句郎 正解。その通りなんだ。句に切れ字は一つがいいんだっけ。
華女 そうなんじゃない。
句郎 そうだよね。分かっていてもすぐには気が付かない。言われてもすぐには分からない。困ったことだよ。
華女 句郎君は分かっていたの。
句郎 うん、分かっていたよ。有名な句を知っているんだ。「降る雪や明治は遠くなりにけり」。
華女 中村草田男の句ね。
句郎 「降る雪や」と「けり」と、二つの切字が入っている有名な句だよ。
華女 成功している句もあるのよね。
句郎 「降る雪」と「明治は遠くなりにけり」のバランスがいいんじゃないのかな。降っているのは雪だなぁー、明治は本当に遠い昔になってしまったなぁーという感慨が深い思いを読者にあたえているんじゃないのかな。
華女 素人にはなかなかこのバランスがとれないのよね。
句郎 そうなんだろうね。だから切字を二つ、入れると句の焦点が絞れなくなってしまうということなのかな。
華女 確かに、そうね。お茶の花が咲いているわ。午後の日差がぬくいわと、言うのでは、やっぱり焦点がぼやけるわね。お茶の花が午後の日差の温みの中に咲いているのがとてもきれいだわと、詠んだ方が良いわね。
句郎 そうだよね。だから孝夫さんは「茶の花や午後の日差のぬくもりに」と添削した。
華女 完了の助動詞「ぬ」の終止形「ぬ」を連用形「に」に変えたのね。
句郎 「に」に変えたことによって「茶の花」を修飾する語句「午後の日差のぬくもりに」になった。これで季語「茶の花」に焦点が絞られたということかな。
華女 さすがね。
句郎 読んですぐ感じるということは長年の経験がそのような感覚を作っているんだろうね。
華女 でも理屈でわかることが初めなんじゃないの。
句郎 理由がしっかり分からなくちゃ、また同じような過ちを犯してしまうからね。確かに理屈でわかることが出発かな。
華女 句法というのかしらね。数学で言えば、公式のようなもの、その理屈を知ることね。その理屈が経験によって感覚にまで高まると俳句があふれ出すのかもしれないわよ。
句郎 そうだといいんだけどね。なんでもそうなんだろうね。数学なんかでも高校生の頃、公式ができるまでを何回も練習して初めて公式が持つ意味を実感した経験があるからね。
華女 原理が大事なのよ。

醸楽庵だより  281号  白井一道

2017-01-02 15:19:16 | 随筆・小説

 将棋界の不祥事

 三浦九段は数千万円の損害を受けた。時代の流れに追いつけなかった将棋界が起こした不祥事だった。強い人工知能に将棋棋士たちがおたおたしてしまった。その犠牲になってしまったのが、三浦九段だった。強い人工知能の前に人間としての弱さを露呈したのが三浦九段を疑った棋士たちだ。三浦九段に負けた棋士たちが三浦九段は将棋ソフトを利用したと噂を立てたとしか考えられない。将棋に勝った棋士は疑っりしないだろう。棋士は負けても相手を讃える心の気高さがあることに私たち将棋ファンは将棋の魅力を感じてきたのだ。
 谷川会長以下の執行部の方々の深い反省を求めたい。不祥事を起こしたのは三浦九段ではなく、谷川会長であり、青野専務理事以下の者たちである。三浦九段を貶めるような発言をした者たちである。

醸楽庵だより  280号  白井一道 

2017-01-01 15:40:00 | 随筆・小説

 
 「元日や手を洗ひをる夕ごころ」 芥川龍之介

 俳句は写生と聞いたが、この句は写生じゃないなぁー。写生とは何なの。

 句郎 先月、孝夫さんが事実と俳句の事実は違うということを説明していたよね。どう違うのか、分かったのかな。
華女 もちろん、分かったわよ。分かったなんて、失礼じゃないの。
侘助 そうだよね。写生とは、どういうことを言うのか、結構、難しい問題があるようにも思うんだけどね。
華女 写生は写生でしょ。正岡子規が言ったことなんでしょ。高校の頃、美術の先生が言っていたわよ。見えるように描きなさいとね。言っていたわよ。自分の目に見えたように描くのが写生でしょ。小学生にも分かることよ。
句郎 そうだよね。問題は見えるように木だって、葉っぱだって、鳥だって、飛んでいる蜻蛉だって見えるようには描けないんだよね。
華女 そりゃ、そうね。飛んでいる蜻蛉を見えるように絵に描くなんて、そう簡単には描けないわね。
句郎 見えるように描けるようになるには訓練が必要なんだよね。
華女 そりゃ、そうでしょ。だから絵描きはデッサンなんかして修行しているんじゃないの。
句郎 きっと文章でも同じことが言えるんじゃないのかな。
華女 文章もと、言うことは俳句も同じだということなの。
句郎 そうなんじゃないかな。私も同様でね、分かっちゃいるけど、できないからね。
華女 空っぽの蜂の巣に二匹の蜂がいるのを見つけ、そのまま詠むことが写生じゃないと孝夫さんは述べていたわね。たとえ本当に二匹の蜂が空っぽの蜂の巣にいたとしてもね。
句郎 写生とは事実をそのまま詠むことではないんじゃないかな。
華女 写生とは事実をそのまま詠むことではないのね。
句郎 見た事実を詠まなければ写生じゃないからね。事実を詠むんだけれども、目に入る事実は無限にあるでしょ。だからその無限の事実の中から何を選び取るかということなんじゃないかな。
華女 だから空っぽの蜂の巣に二匹、秋の蜂がいたと詠んだんじゃないのかしらね。
句郎 でも、それでは句にならないと孝夫さんは言っていたよ。多分、秋の蜂を表現するため空っぽの巣に二匹の蜂がいたことに作者は秋の蜂の姿を見たのかもしれないけれども、それでは秋の蜂を表現していないということなんじゃないのかな。
華女 問題は「秋の蜂」を表現することなのね。
句郎 「冬蜂の死にどころなく歩きけり」という村上鬼城の句があるでしょ。よたよた歩いている冬蜂の姿に鬼城は冬蜂の本意を見たんじゃないかな。
華女 じぁー、「空っぽの巣」の句は「秋の蜂」の本意を詠んでいないと孝夫さんは言ったのかしら。
句郎 そうだと思うけど。「蜂」の季は春でしょ。咲き始めた花に群がる蜂の姿には若々しい活力が漲っているけれども秋の蜂の巣は抜け殻になってしまっている。その侘しさ、寂しさのようなものをどう表現するかということが俳句を詠むということなのかもしれない。
華女 なるほどね。帰る宿を失った秋の蜂という視点はとても良かったんじゃないのかしらね。
句郎 確かに、そうだよね。だから写生は難しい。