枡形 ますがた
徳川家康が慶長6年(1601)に宿場を制定した際 西国大名の謀反に備え、江戸への侵攻を少しでも遅らせるために設けたものです。
毅然とした猫でした。
下嵯峨屋 (しもさがや)
当初、長屋であったものです。妻籠宿における庶民の住居を代表する形式をとどめています。
石仏「寒山拾得」像 (せきぶつかんざんじっとくぞう)
国内唯一とされる、石仏「寒山拾得」像。双体像は他に類例がない。
散策時間は40分
短いなぁ
枡形 ますがた
徳川家康が慶長6年(1601)に宿場を制定した際 西国大名の謀反に備え、江戸への侵攻を少しでも遅らせるために設けたものです。
毅然とした猫でした。
下嵯峨屋 (しもさがや)
当初、長屋であったものです。妻籠宿における庶民の住居を代表する形式をとどめています。
石仏「寒山拾得」像 (せきぶつかんざんじっとくぞう)
国内唯一とされる、石仏「寒山拾得」像。双体像は他に類例がない。
散策時間は40分
短いなぁ
バスツアーの最初の目的地、妻籠宿です。
江戸と京を結ぶ中山道は、山深い木曽路を通ることから木曽街道とも呼ばれていました。
中山道六十九次のうち江戸から数えて四十二番目となる妻籠宿は、中山道と伊那街道が交叉する交通の要衝として古くから賑わいをみせていました。
高札場 こうさつば
今日でいう「官報掲示板」で幕府が庶民に対し、禁制や法度等を示したものらしい。
鯉岩 (こいいわ)
大きな鯉の形をした岩で中山道三名石の1つでしたが、明治24年の濃尾大地震で、形が変わったらしい。
江戸時代の面影を残す猫
うそです。
つりがね草
妻籠宿本陣
妻籠宿本陣には島崎氏が任命され、明治に至るまで本陣、庄屋を兼ね務めました。
島崎藤村の母の生家で、次兄広助が養子に来ています。
長野県天然記念物 ぎんもくせい
神官・矢崎氏の庭木として、代々愛育されてきた巨木です。
今回はここまで