ムンクの「叫び」は、
ポスターを見て初めて知った
スーチンの「祈る男の横向き上半身」のような
衝撃は、受けなかった。
昔20才頃、鎌倉の美術館で「ムンク展」があり、
当時下宿近所に住んでいた友人の1人・現在の夫に
(今日観に行かない?)と誘うと
(今日猫が死んだから、行かない)と断られ、
まるで女みたいだなと思いつつ、1人で観に行った。
彼の「生命力」に、打たれた。
ベーコンのように「僕を見て」という感じはせず、
ひたむきな彼を感じた。
やはり彼も、描き始めてから25年目に、くるっていた。
彼は母と姉を結核で失い、死が身近だった。
「病と狂気と死が、私の揺りかごを見守る天使だった」
と語っている。
解説には
「病的なまでに鋭敏な感受性に恵まれたムンク。
説明しがたい不安を表現する事に才能を発揮した」
とある。
私は、20才で彼と出会った。
この先が予測できない状態で、大江健三郎にハマり、
彼に感染し、生まれて始めて、欝を体験していた。
ムンクは、健三郎のように不安を煽るような事はせず
不安に同調してくれた。
因って、一気に魅かれた。
私が魅かれた作品を、描かれた順に述べると。
「不安」「マドンナ」「思春期」「病める子」
「The Kiss」「生命のダンス」「水浴をする男たち」
私は、当時、不安だったのだ。
今は、懐かしく振り返ることもできる。
彼は最初世間に認められず、後に認められた。
彼はその後、精神が安定すると、
絵の輝きが消えていった。
ムンク、あの時、ありがとう。
あの時、私は、強烈にあなたに出会った。
あの、時、出会えて嬉しかった。
そうして、
それから
今の、私があります。
R3.6.4
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