「徹子の部屋」で大病を越えた辺見マリ71才が
ころころ笑いながら
「もう、希望しかありません」と言っていた
20代初めに叔母の家で 叔母に向かい
岸洋子
「希望という名のあなたをたずねて遠い国へとまた汽車に
乗るあなたは昔の私の思い出ふるさとの夢はじめての恋
けれど私が大人になった日に黙ってどこかへ立ち去った
あなたいつかあなたにまた逢うまでは私の旅は終わりの
ない旅」
が好きだと言ったら、
9才年下の従兄弟が即座に「僕はそんな歌は、嫌いだ」
と言い切った
彼はその後東大を出て、運輸省に入った
私は当時、追い込まれていて歌謡曲など嫌いだったのに
絵を描きながら、前川清「神戸 泣いてどうなるのか」を
流し、下宿を畳む時、
尾崎紀世彦「また逢う日まで逢える時まで別れのその訳は
話したくない」を
繰り返し聞き、人生初の挫折を味わった
現在、私の仕事といえば事務3と庭仕事位の日々を過ごし
いつしか「希望」という言葉は浮かばなくなっていた
コロナに罹患したくないというのも 希望か
左足の痛みが完治しない間に右足も痛くなり
それもいつかは治るだろうと思っているのも 希望か
夫の仕事継続を望むのも 希望か
家族皆無事生き延び健康であれという願いも 希望か
「希望しか、ありません」
このコロナの時代に仕事を失い
これは追い込まれた者の言葉なのか
長い髪を切り、グレイヘアにし、
ころころと明るく笑って
そう言ってのけた 辺見マリに
強い、若さを感じた
パンドラの箱に
残された「希望」よ
この暗く、厳しい時代に
立ち上がれ
R3.6.11
また、写真がいい。