珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

分けて考える6

2020-11-01 | 思うこと
このシリーズも6回目にもなったけど、一番書きたかったことを書いていなかった。
今回はだから特に重要。
それは、意見が違うことと、意見が違う人を分けて考えること。
掃除のおばちゃんは、実はこの整理整頓を最も得意としている( ̄∇ ̄) 
それはそれ、これはこれ、いうやつですね。

例えばコロナ記事とか、S問題のバリ活ユル活とか、詐欺とする認識等々に、私はとことん主張したり、時には容赦なくぶった斬ったりするんだけど、それはあくまでも意見に対してのこと。
それを主張する人は全然別ものとして見ているので、だからこそ、ここまで書けるんですよ。

これは昔から私の中では当たり前のことだったので、意識すらしたことがなかったんだけど、これを一緒くたにする人が多いと気づいたのは最近のこと。
異論=むしゃくしゃして人格否定して、鬱々がトグロを巻いてしまうめんどくさいに、つくづく言いたいわ。

分けて考えろーーー!!(海語)
モチつけーーーww(ネラー語)
好きな人格と意見の相違は別なんだってば(笑)

※これをマジで整理整頓しなはれ。

自画自賛するなら、私はこんなのは100年前(前世から?)朝飯前である( ̄∇ ̄) 
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NOという力3

2020-11-01 | S教団関係
私の書くS記事は賛否ありますが、
中でも「させられた」という文句や怒りが多い中、「断ればいい」と書くとダントツで賛同されない。
「否」の嵐(笑)

でも私は嘘を言ってるんじゃなくて、いろんなことが本当に簡単に断れた。
これは事実で、そんなことで悩んだこともないくらい。
仕事で断ったらクビになるとか、国家権力で物理的に抗えないとか、人間関係で信用や友情や恋愛を失うとかならわかるけど、Sの場合、そのどれもなかったもんね。
むしろ断ったからって「人間関係にヒビが入るとか、気まずくなることがないのがSのよさ」だと本気で思っていたくらい。(私だけ?)

ちなみに一度でも断ったことのあるものは、役職、財務、教学試験、書籍やDVDを買う、選挙支援、消極的な部員さんの会合連れ出し等々、だろうか。

「断る」って何か悪い印象があるかもしれないけど、その代わり受けたことは、やりたいという意思があるのだから、楽しくやったと思う。
だから愚痴や文句や後から「やらされた」とは言ったことがないと思う。

できないことは最初から断るけど、その代わり後になって愚痴や文句を言わないのが、まあ私の主義のつもりだった。

「だった」と過去形なのは、コロナ騒動で緊急事態宣言を断れなかったからである。
あれは私の何をもっても歯向かっても、国を挙げて旗をふられて、学校も仕事も店も閉められたら断れなかった。
結果…私は今でも「させられた」という怨念と敗北感がくすぶっている( ̄∇ ̄) 

今も昔も止むことのない、アンチブログに燃え上がっているこの「させられた」の恐るべしよ。
こうなる前に「断る」スキルをもっとつけるべしと思う。
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