コロナ騒動には、連日「怖い、怖い」と煽られた。
何しろ世の中はそれ一色。
マスコミも、PCを開ければ、ヤフーニュースもそれ一色。
街に出たらマスクだらけで、どこもかしこもディスタンス、ディスタンスで、うっかり「怖くない」なんて言おうもんなら、非国民扱いにされてしまう雰囲気だった。
いや、雰囲気なんてとっくに越して、自粛というパワハラまで横行したしね。
ここまで連日騒がれたら、誰でも少しは「怖い」と思ってしまうのだろうか。
が、私の場合はどうやってもこのウイルスが「怖い」という恐怖を感じなかった。
正直、たった一日もない。
全くない。
決してひねくれていたわけでも、反抗していたわけでも、虚勢でもなくて、ニュースも全く疑いもせずに素直に見た。(疑い出したのは記事を書き始めた頃?)
日本語もわかるし、映像も見えるし、起こっていることも理解できるんだけど、でもどうやってもどうしても「怖い」が入ってこなかった。
この感覚は、S時代に「池田センセーを師匠と思いなさい」とか「尊敬しなさい」と言われた時と全く同じで、どんなに四六時中、雨あられのように言われても叩き込まれても、入ってこないものは入ってこなかった。(別に憎いも嫌いもなかったけど)
Sの場合は「そう思いなさい」という教えだから、心を押さえつけて無理やりそう意識するようにした人もいたみたいだけど、私はそういうことは全然ダメ。
心にもないことを言うことが苦手なのに、心にもないことを思うなんて、やろうとも思わなかった。
無理やりって本当に苦手なので、人にもこれはしたくない。