珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

自分で気づくまで無理

2020-11-17 | S教団関係
「自分で気づくまで無理」
これはSアンチブログで、決め台詞のように使われている言葉である。
私もそう思う。
人が何と言おうと「自分でそうだな」と納得しない限り、自分の心は決まらない。
まして、一生懸命になんて絶対にできない。

それは教団にいた時も同じで、いくら誰から何を言われようと指導されようと「自分でそうだな」と納得しない限り、人は他人の考えは動かせないと思う。

先日書いた、
S活動は「必死になる使命」ではなく「善意のボランティアの範囲」で、必死になって責任感をもつべしは仕事や家庭と思った。それに差し障りがあることはノーと言った。
というのは、結局は「自分でそう思ったから」

私だって雨あられのように「そう指導された」という環境にいたのは違いないんだけど、いくら言われてたとしても自分でそう思わない限り、影響されないというか、身にはならないと思う。
「自分で気づくまで無理」と同じように。

気に入らないことは簡単に「やらされた」というけど、都合のいいことは「自分で気づくまで無理」となるのは何故だ?

「やりたい時はやって、やりたくない時はやめた」は不人気で、「コントロールされていた」が人気なアンチブログ。
でも、それが救いになることは解る。
それこそが大切にしなければならないことだとも、思う。

私も両方書いてみたけど、個人的に「好き」なのは前者。
不人気を受けても(笑)前者。
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捨てると現れる女神3

2020-11-17 | 日記
元々好きだった、掃除と片付けと不要なものを捨てることを、改めて本気で見直してから約2カ月経った。
以降、これでも一日もサボらずに「今日はこの引き出し一つ」「ここの汚れを一つ」でも、どこかしらを断行した。
今年中を目標にしていたけど、一応先日、最後の窓拭きを終わらせて「コンプリート!!」と心で叫んだ。

不要なものを捨てるって、本当に本当に本当に本当に気持ちいい!!!!
不思議なんだけど、モノを捨てると同時に不要な執着も消えていく。

私がここ数年、心の奥底ではどうしても叶えたかったことがあったんだけど、同時に
「でも今の私じゃ残念ながら無理なんだろうなあ。もっと修行して、もっと執着を捨てて、もっと徳を積まないとダメなんだろうなあ……」
と思っていたことが、今朝、ふって沸いたように叶った。
とてもとても静かに。

捨てると現れる女神様。

私と相性の合う神様は、やっぱり当面これかな(笑)


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