今回はこれ。
S信者というのは、個人の信教の自由を、親子とか夫婦になると強制するのですか?
これこそ、私が一番書きたかったテーマです。
じゃあこの際、いつにも増してとことんエグって書くゾ~( ̄∇ ̄)
Sには「未来部」なんていう、巧みに練り上げられた、組織を挙げてのあれこれがあるのは事実。
が、ががが、これに乗るかどうかは、これこそ人によるんですよ。
子供(やりやすいから特に)や配偶者を自分の好きなように意のままにしたい人と、そうではない人にパキッと分かれる。
※これ、本当に分かれます。(声を大)
嫌いな人は、どんな誘導をされても、ワナをしかけられてもダメ。
「する」のも「される」のも、受け付けられないんだもん。
こんな感覚の相違はそれこそ「どんなに対話を重ねたところで一生変わることはない」と思う。
正体はSではなくて、
他人を自分と同じようにコントロールする(される)のが好きな人と、それが生理的に嫌いな人とで、二分されるというかね。
コントロール「された」と言いたがるほど、立場が変わると今度はなぜか、他人まで自分の思うように説得しがる、というかね。
人のせいにするより、この自分の「性根」というものに向き合うべしでは?