珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

何度でも言われるコレ

2020-11-14 | S教団関係
ワタシはS会員ではなく、そんなS会員を疲弊させた中枢部に怒りを覚えるのです。
これはアンチブログで、まるで言い聞かせるように書かれはするけれど、実際は中枢ではなくて「そこまで疲弊しなかった末端会員」に、憎悪レベルの矛先を向ける人がいる。
何度でも書いてる(何度も言われるからね)、いわば「バリ活VSユル活」のテーマって終わりませんね。

本当にフォーエバーでリフレインでエンドレス~( ̄Д ̄;;
今日も言われてしまった。

チョイスは自分勝手で我儘な行動。
役職者全員がチョイスしたらどうなります?
私はチョイス活動家など認めないしそもそもチョイス活動家など存在しない。
活動していかなった人のかっこつけです。
そんな人は単なる未活動でそれ以外の呼び方はない。
そんな人に脱会したとはいえ創価のために必死になって責任をまっとうしようとした役職者を批評してもらいたくないです。

それらを必死でやり続け、やっとの思いで気づき、現実を受け入れなければと、もがき苦しみ、その過程の中で心が疲弊し、健康な状態を維持出来なくなっていく、そんな人達の、何が解るのか?
(鯛焼きさんのブログより引用) 

その反面、アンチブログには、チョイスどころか「放り投げろ」
「必死でやって、人にもそれを押し付けるからSは潰れないんだ」
という声がひっきりなしで、一体どっちやねん?と思うんだけどね。
まあ要するに「必死で頑張ってこられて本当にお疲れさま。でもそれは騙した中枢が悪いの。もうやらないでいいからね」と、一旦肯定(ねぎらい?)してから否定するのが好まれるというか。

ちなみにですが、私はこう見えてバリ活の「バリ活ゆえ」には、怒りの矛先を向けたことは一度もありません。
バリ活の個人を挙げて攻撃したこととなると、そんなことは皆無である。
尊敬と感謝していた幹部はいっぱいいたとは、何度も書いたことはあるし、それは事実だけどね。

そして言われるのは定番の「放り投げたくてもできない状況だったのよ」
まあ二世問題なんかそうなのかもしれないけど、ほぼ二世の私は、自分のそれを愚痴ったことは殆どないと思う。
何だろうね?「やりたくてもできない」なんて状況になると、むしろ燃えるんでしょうかね(笑)
そういう「言い訳が、さあどうぞと用意されている」というか「同情される感」というか、「いかにも」ってレールに敷かれるのが嫌いな性分なんでしょうかね。
まあワルグチならその辺りにして、不毛な攻撃はいい加減やめてください。

チンタラ、無駄、話が長いの他に、同じこと(殊更ネガティブなこと)を何度も何度も好きじゃないもので。
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