今回はこれ。
S活動ってボランティア活動なんですか?
これは「無償で働いている」という意味では、確かにボランティアなんだけど、会員の大半は、ただの組織運営の係のようなものとは違う信仰という認識だった。
使命で、仏道修行で、宿命転換ができて、福運が積めて…と普通の感覚では形容し難い独特のものというか、それ故、その責任感は、人によっては仕事以上に感じる人もいた。
ちなみに私個人は、会員時代からこの感覚がどうも受け入れられずに、全部じゃないにしても、基本は信心とは別の組織運営の係という意識でいた。
そういう活動をしていると、結果的に精神が鍛えられたり「情けは人のためならず」というような因果はあるかもしれないけど、それは一般のボランティアでも同じことで、それ以上のものではないと思った。
「仏から与えられた使命」だとか、「仏道修行」だとか、「宿命転換ができて福運が積める」なんてのは自分の中には入ってこなかった。
まあチョイスしなかったことですね。
ちなみに一度この曖昧さをはっきりさせようと、現役支部長さんに追求してみたことがある。
その時は「180キロの剛速球を投げてくるピッチャーの球を、何とか受け取る感じで答えた」と言われ(笑)、その実は、やはり「ただのボランティアではない」という認識なんだと思った。
実際、現場では雨あられのように、これは使命で、仏道修行で、宿命転換ができて、福運が積めると言われていた。
それは事実である。
実際、退会の意思を告げた時、担当していた会館清掃の後任を心配して
「新しい人が決まるまで掃除はやりますよ?」と申し出たら、
「信じていない人に任せることはできません」と即答された。
やはりそれは会員にとっては「ただの掃除」じゃなくて信仰なのであった。
が、がががが、ですよ。
昨今の会員の老齢化や人手不足から、一部の地域では「信じてもいない信者じゃない、ただの業者が」
仏から与えられた使命であり、仏道修行であり、宿命転換ができて、福運が積める新聞配達を任されるようになった。
ただのボランティアではない信仰が、ただのボランティアに変わった瞬間、というか「認めた瞬間」でしたね。
これを機に会館掃除でも何でも、外部にドンドン委託するか
会員にも潔く、ガッカイ活動かは組織運営上の善意のボランティアだから、あくまでその範囲で。
精神を消耗しズタボロになるまでやるものではない。
宿命転換だの修行だのと信者をくすぐり、それを美化するような言葉を羅列したことをお詫びし、訂正致します。
と声に出して明確に言うべしと思う。
お得意の「気づいたらなかったこと」ではなくて。
私の認識は、Sの時代の流れより早すぎた( ̄∇ ̄)
モタモタが嫌いなので悪しからず。