珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

納得した言葉10

2020-11-28 | 思うこと
もともとはある目的を達成するための手段だった(手段でしかなかった)ものが、いつの間にかそれがまるで目的になってしまうことがよくある。
という面白い話を聞いた。

例えば、感染予防をするための手段であったはずのマスクをするという行為が、今や「手段」じゃなくて、マスクをすること自体が目的みたいになっている。

実際、マスクって、最初は暮らし心地をよくするための「咳エチケット」だったはずが、今や食事中でも片時も離さず、一口食べてはマスクをするみたいな、もうマスクさえしていれば偉いみたいになっている。
エスカレートしたというかハードになったというか、明らかに最初の範疇から膨張して度を越しているもんね。
これで最初の目的だった、暮らし心地がいいんだろうか(;・∀・)

何に限らず目的のために手段を持つと、その手段が、それが目的かのように「激しくなってしまう」
人間にはこういう心理がはたらくのではないか?
と話は続いた。

私がこれで腑に落ちたのは、やはりS問題。
仕事や家庭や生活を幸せにすることが目的の、手段であったはずの、信仰(Sの場合、活動?)が、必死になっているうちに、手段を超えて
まるでそのために生きているかのようなレベルまで引き上げられてしまうのを、つぶさに見た。

「これは注意しておかなければいけないと思う。
この人間の心理として、こういうことはよく起こる。
いつの間にか手段が目的化してしまうことが起こるということを、少しでも頭に止めておけば『あ、これ何かおかしいな』と気づくことができる。そうするとある種のブレーキがかかって、やっている行為をある程度客観的に見直せるようになる。
そうやって生活したり、世の中を見れるようになればいいんじゃないかと思う」
と、最後はそう締めくくられていた。

納得した。
マインドコントロールされたなんてオカルトっぽい言い方より、こういう何気ない言い方が、私は好きだなあ。
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