今回はこれ。
S指導というのは「仏道修行」を名目に、仕事が忙しかろうが、無茶振りだろうが、いかなる理不尽な打ち出しであろうと、受け切るのが弟子の務めです、という教えだったのですか?
それは事実です。
が、同時に「そんなのおかしい」という一般常識や、自分の良心や感情もあります。
それも事実です。
世間の常識や我見より、そこをグッと抑えて、Sのいう、厳しいけど功徳があると信じる「仏道修行」を優先する、優良S信者になるか、
会員でありながら、世間の常識や自分のモラルに照らしておかしいことはしない、それではS信仰者としてはポンコツをとるか、
その比率をどのくらいにするか、
選ぶことは自由にできるのも事実です。
優良S信者は同志から「協調性がある」と言われて、世間から「身勝手で迷惑」と怒られます。
ポンコツS信者は同志から「身勝手で迷惑」と怒られ、世間からは「協調性がある」と言われます。
どっちから言われるかの差です。
「こっちの方がいいよと、引きずりこもうとする人」は
Sだろうが、世間だろうが、自分中の感覚だろうが、常に平等にある。
平等にある中で、自分が自分の意思で選ぶことを、人のせいにするのは、私は違うと思っている。