定番コースをちょこっとブラ散歩。玄関を出ると、ニワウメがほころんでいた。春なのか?
朝夕はまだ肌寒い。暑さ寒さも彼岸までというのだが・・・・・・。
まず、平野の森を襲う。上ったり、下ったり、ぐるぐると席巻する。
ウグイスカグラ(鶯神楽)が咲いていた。喧しいほどたくさん舞っていた。
ウグイスの囀りは、まだ耳には届かない。里に下りるには早過ぎるのかな。
昨日、クリニックへと車を走らせた。定期健診である。来月、年に一度の上部消化管の検査日を予約してきた。
その道すがら、木々がまばらに白く染まっていることに気づく。コブシだね。あっ、ハクモクレンも一輪、二輪と咲いていた。だが、運転しているので撮ること能わず。
何のことはない、この森にも小さなコブシが一本あったのだ。幼い木のようだ。花付きはまばらだが、撮ることは撮ったよ。
目当てはシュンランだった。今月、何度か訪れたが袖にされていた。
咲いてはいたが、向きが悪い。結界があるのでアングルを変えるに変えられず、雰囲気だけは撮ったつもり。自然のモノは佇まいが違うね。
森を後にS台中央公園に向かう。通りすがりのお宅の花壇に、白いジンチョウゲ(沈丁花)が咲いていた。満開だ。
真白き花は、咲いているうちが花。盛りを過ぎると、萼片が茶色に染まってくる。一栄一落を見る思い。
団地の造成とともに植樹されたのだろうか。団地の現在、過去、未来を見つめ、ともに成長してきた桜木。今年、このサクラは花を付けることはない。
「もう、待てないよ!」――そう言わんばかりに、チューリップは草丈の短いままつぼみを膨らませている。
いまにも咲かんばかりに。
カンスゲ(寒菅)の仲間が、ここぞとばかりに咲いている。
だけど、道行く人は、そんな花のことなぞ知らぬげに足早に通り過ぎていく。
その後ろ姿を見やりながら、「人に見せんがために咲いているんじゃない!」などとうそぶいた。
彼方に、大規模団地の一棟が遠望できる。そのスミレは、置かれた場所で一所懸命咲いていた。
植物は決して無駄な力は使わない。周囲に背高のっぽの雑草がおらず、一身に陽の光を浴びることができるのであれば、茎など伸ばす必要がないからだ。
この公園のタンポポも、ご覧の通り、省力化に徹している。
公園の一隅である。こんな所に、何故?
どう見たって、アシタバ(明日葉)に見えるんだけど!?
イワヤツデ、あるいは、タンチョウソウ(丹頂草)などと呼ばれる。いずれもが、見た目からの連想による命名なのであろう。
この時期、あたかも岩上にそそり立つように花茎がずんと伸びる。いまにも咲こうかというつぼみは白さを深めていくが、その少し前のつぼみには丹頂の頭部に見られる真っ赤な肉瘤のように染まっている。
そもそも、シロカネソウ属に手を染めたのは、昨日投稿したトウゴクサバノオによる。そう、10ミリに満たない小さな花があまりにも可憐だったからである。
そこで、昨年、チチブシロカネソウを入手したのだが、花を見ることなく潰えてしまった。
リベンジという訳ではないのだが、今年、サンインシロカネソウ、アズマシロカネソウを入手した。サンインの方はすでに花を付け、アズマの方には地上部がなかった。
どうだろう、この状態であればアズマシロカネソウの花も見ることができるかもしれないね。
今年も、アネモネ・シルベストリスにつぼみがついた。この花が咲こうという頃、何度となくいろいろ花をお送りいただいた伊予の方を思い出す。
他の園芸サイトでお近付きとなったのだが、体調が優れないということで投稿が間遠となられ、その後、コメントを交わすことさえなくなってしまった。
アネモネ・シルベストリス、思い出の花となってしまうのか。
「姫」はわかる。一般的に、愛らしいと感じる品種や小さな品種に対して添えられる。そう、「姫烏頭」のように。こちらは、「殊の外小さい烏頭」という意が添えられたのであろう。
では、「烏頭(うず)」とはなんであろう。有毒の植物と知られるトリカブト(鳥兜)の中国名を指すという。
辞典を繰ると、「トリカブト類の母根」(附子は子根のこと)、「花の形と色にもとづく」などとある。「葉はトリカブトの葉に似、小さきことから姫を冠する」といったところなのだろう。
確かに、ヒメウズの花は小さい。5~6㎜か。その上、花茎もひょろりとしてわずかな風にも揺れ動く。写真を撮るのに往生するのだよ。
大阪の師匠に、トウゴクサバノオを頂戴したのは2022年の初頭のことだったかと思う。
どんなにへたっぴーでも、その年、花を見ることができたのは言うまでもない。そう、もちろん、師匠の育成に拠るところ大にして、私は水遣りをしただけなのであるが・・・。
その年の花後であったか坪庭に地植えにしたわけだが、この花は「二年草」だという表記を目にしていたので、翌年の花は期待していなかった。
実は、「(常緑)多年草」と表記しているサイトも多数あったが、猫の額では、一時、地上部から姿を消し、2023年にちょろっと葉などを見たのだが、咲くことはなく、そのままの姿で年を越し、いまに至ったわけである。てっきりこぼれ種が発芽し、二年目の今年つぼみを付けたのかと思ったのだが、そうではないのかな。
シロカネソウ属は、その大方が「多年草」という表記を目にする。実のところ、トウゴクサバノオはどうなのか、いまだに疑問を抱いたままなのである。
キタヤマオウレンが覚醒した。そう、花の卵を付けたのである。
気にして、毎日どころか、午前、午後といく度となく鉢を覗いていたつもりだが、今朝、このつぼみに気づいたのである。不覚であった! 慙愧、慙愧。
バイカオウレンの近種と考えられていたが、2011年に新種として認定されたという。だからか、私が持っているNHK出版発行の「日本の山野草 ポケット事典」(1999年6月18日第2刷版)には掲載されていなかった。
ここまできたからには、花を見ることはできそうだ。さて、花後、常緑のまま年を越せるか、それが問題なのである。
葉やら、茎やら、つぼみ(花の卵)やら、見事に真っ赤ですね。だけどね、長ずるとともに、花は薄紫、葉はグリーン、そして、茎だってグリーンへと変身していく。
幼きときの赤は防衛反応!? やはり、アントシアニンが影響しているのだろうか?
植物を育てるようになって、その不思議さを目の当たりにするようになった。不思議だね、不思議だねといっているばかりで、何も解明が出来ていない。まぁ、一歩、一歩、いや、半歩ずつかな、お近付きになっていくしかないのだね。
猫の額に仮住まいして5、6年になるのではなかろうか。いや、驚くべき繁殖力を発揮する種である。
だからか、至る所に出没する。足があるわけではないので、主の土いじりの乱雑さがたたり、あっちこっちへと意図せずに運ばれるのであろう。
昨日までつぼみの状態を見せていたが、陽気のせいか2~3輪が一挙に花開いた。
入間川河畔から摘んできた。かなり昔のことである。あの頃は、あちこちをブラ散歩し、クワガタソウ属を追っていた。やっと見つけたコゴメイヌノフグリだった。
最初、鉢に幽閉して育てていた。そう、この種も繁殖力が強い。それでも、裏の藪に逸出し、コロニーを作っていた。
そもそも、かつて小石川植物園で栽培していたものが周囲に逸出していまがあるってことだから、この花、逸出の常習者なのかもしれない
もちろん、猫の額でも、早春を告げる野の草の一つとして、そこかしこで咲いているよ。
「おっ、起き上がってきたぞ。」と、昨日(3/15)書いたばかりである。
それなのに、今日、明らかに花びらを平開した。まぁ、何の変哲もないユキワリソウだけど、地植えにして立派に根付いた株だけに感慨は一入だ。
コキンバイ(小金梅)、バラ科ダイコンソウ属の多年草である。一般的な花期は5~6月頃とされているようだ。
それが、今日、一輪だけ花開いた。えっ、五弁花だろ、コキンバイって、梅というだけにね。
明らかに、花びら一枚分が欠けている。逸出したのか?
そう、芽吹きの季節なのである。
だが、早々と咲き始めた草々のなかには、もう、実を付けているモノもいる。
このサンインシロカネソウも、しっかりと袋果を育んで後裔の確保に余念がない。
ヌッと顔を出したモノがいる。昨日は気付かなかった。そう、この子たちは突然出現するのである。
昨年、鉢植えで楽しんだ。植え替え時期に株分けし、一方は坪庭の北側に地植えとした。いま、そいつが顔を出したのだ。
施肥や置き場所など、環境条件は鉢植えの方がよさそうなものなのに、地植え組が先んじた恰好となった。
まだ、三年目くらいなものだろう。ひょんなことから交雑系を手に入れたのだが、鉢植えにしたり、地植えにしたりして今日にいたるってわけ。
よほどこの地が気に入ったのか、いままでで一番つぼみを付けた。日ならずして見頃を迎えることだろう。
ここ数日、よい日和が続くという。そんな背景もあるのだろう、日毎に地上部が賑やかになってくるようだ。いや、いや、まだ囁き声でしかないのだけどね。
まだ3㎝に満たないほどの里桜に、数粒のつぼみが蓄えられていた。まだ、当分、純白な花びらを拝めそうもないが、今年も清楚な桜花に出逢うことが出来そうだ。