山野草に手を染めてから、サザンカやツバキなどの花木は、あらかた伐採してしまった。いま残っているのは白色の一重筒咲きの椿と、このニワウメだけである。
春の一時期、小さな桃色の花が玄関先を飾ってくれる。これは、これでいいものである。
何年たっても、つくづくと山野草ってやつは気難し屋が多いものだなぁ~と、嘆息交じりの日々を送っている。
そんな中で、ニリンソウばかりはよく増えて、あちらこちらで蔓延ってくれ、へたっぴーの主の心を癒してくれている。
玄関脇の小庭にも、ご覧の通り息衝いてくれてい、徐々にテリトリーを広げている。希少種であるとか、高山性の草本とか、余計な色気など催さずに、このくらいの花が一番無難なのだろうと思い始めている。
クリスマスローズも、二鉢ほどを残して、あらかた地植えにしてしまった。まだ、ごくわずかな経験則でしかないが、地植えの方が株が大きくなるような気がしている。
著名なナーセリーがいくつもあるが、そのようなところで求めたことはない。濃い紫のダブルも、ダブルのホワイトスポットも、農産物直売所に売られていたもので、600円とか、せいぜい980円などといったリーズナブルなモノばかりである。
ただ、地植えにはとても大きな欠点が一つある。写真が撮り難いのだ。そう、鉢植えであればあっちこっちと向きを変え、高さを変えてさえ自由なアングルを選択できる。
さほど草丈の高い草本ではないよね。ましてや、俯き加減で咲くクリスマスローズであるからして、写真を撮るとなるとめっちゃ自由度が低いのだ。そう、今年鉢植えで咲いているのは有茎種だけ、悲しいかな、花と面と向かって対峙したことがない。
今日の最後の一枚はキタヤマオウレン(北山黄連)、本州の日本海側の山地に自生するキンポウゲ科オウレン属の常緑多年草である。
断っておくが多年草である。手足れの方が育成すると、と断っておこうかな。そう、猫の額の主が手を出すと、一年草になりかねない 笑
多分、この塊はつぼみであろう。花は見ることが出来そうだが、果たして、多年草という範疇の草本として維持できるか、できないかに関しては、軽々に断じることはできない。
3月3日の早朝のことである。窓を開け、ベランダを覗くと、鉢のいくつかがほじくり返されていた。
今春、このようなアクシデントにいく度か見舞われている。
📸2024年3月3日:イワウチワの鉢も!
( 画像のクリックで大きな画像を表示。{戻る}ボタンで元のページに復帰)📸2024年3月3日:紀伊上臈ホトトギスの鉢も!
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実は、昨年もこのような惨状に見舞われている。いまだ、誰の犯行かは判明していない。
いや、思い起こせば3~4年前にも、鉢植えのショウジョウバカマを根こそぎ掘り返されたことがあったのだ。
それが、決まって春なのだよ。
📸2024年2月11日:ヤブコウジに稔ったたくさんの実。
( 画像のクリックで大きな画像を表示。{戻る}ボタンで元のページに復帰)📸2024年2月27日:その朝、一つ残らず消滅していた。
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この家には、マジシャンでも住んでいるのであろうか。立派に稔ったたくさんの実が、その朝ベランダを覗くと、一粒残らず消え失せていた。
これは、たぶん鳥類の犯行であろう。センリョウやナンテンの実を啄むヒヨドリなどの姿をよく目にする。好物らしいね。だけど、鉢をほじくり返したりはしないだろう。
この辺りには、ハクビシン(白鼻芯、白鼻心)の目撃情報が頻発している。
ジャコウネコ科ハクビシン属のこの野生動物は雑食性とされ、昆虫、小動物、鳥類ばかりでなく、家庭菜園などの作物を食い荒らすという。
全長は1mほど、体重は3~4㎏というから猫ほどか。それが、4号鉢やら5号鉢を掘り返すのか、疑問は尽きない。
では、この犯罪の実行行為者は誰なのだろうか? 同様の事例を経験なさった方がいらっしゃったら、ご教示いただけると幸いである。
京都の坪庭は町家の存立と関りがある。京都においては、かつて、建物の間口に応じて課税されたという。そこで、間口は狭く、奥行きが深い、とても細長い「うなぎの寝床」を思わせる構造になったのだとか。そのような背景のもと、敷地内において建屋と建屋の間に小さな庭を設え、採光や通風の確保といった役割を担わせていたという。
猫の額にも、「坪庭」と呼ぶ空間がある。なんのなんの、そう呼べば聞こえはいいが、京の雅な坪庭とは異なり、単に狭いだけ、ほとんど3.3平米なのだからそう呼んでいるに過ぎない。
その坪庭はいま、ニリンソウの萌芽で賑わっている。にょきにょき、にょきにょき、ひそひそ、ひそひそ、ざわざわ、ざわざわ、小さな芽たちはそれはそれで喧しい。
花径は10ミリに満たない。どちらかというと俯きがちで、なかなか素顔を見せてくれない。殊の外シャイな花のようだ。
もちろん、愛らしくもあるが、もう少しフレンドリーな姿を見せてくれると嬉しいのだが・・・・・・。