[9月10日/2句]
★色鳥や心楽しむこと多し/小口泰與
大気が澄み、よい季節になった。いろんな小鳥の鳴き声や羽の色、仕草ひとつひとつがかわいらしく、楽しませてくれる。この気持ちのありように、心楽しいことが他にもいろいろある。(高橋正子)
★赤とんぼ見ていて闇の迫りけり/桑本栄太郎
夕方を飛び交う赤とんぼ。見ているうちにも宵闇がせまる。秋の日暮れはたちまちに夜を迎える。(高橋正子)
[9月9日/2句]
★草の穂の靡く先へとペダル踏む/黒谷光子
草の穂をそよそよと風が吹き、その道をさっそうとペダルを踏んでゆく快いひと時。草の穂と自転車の取り合わせがやさしい。(高橋正子)
★月昇る一直線の丘の道/小西 宏
一直線の丘の道は、月へまっすぐ向かっている道だ。明るくて大きな月が、すっきりと私の前に昇る。(高橋正子)
[9月8日/2句]
★鬼やんま街の景色を軽やかに/内山富佐子
鬼やんまが一匹飛ぶことで、街の景色が明るく軽やかになる。 一匹の鬼やんまを街の景色に描きこんだようなイメージだ。こんな画を飾りたい。(高橋正子)
★芋名月子ら皆元気西東/河野啓一
啓一さんのお子さんたちは、日本の西や東にお住まいで、名月がそのお子さんたち家族を統べるように輝いて、その月を見れば、みんな元気で暮らしていることに安心する。これこそが良い月である。(高橋正子)
[9月7日/4句]
★街路樹の立ち尽くしたり霧の朝/福田ひろし
「立ち尽したり」は、的確な描写。街路樹を立ち尽させることで、霧の動きや深さがありありと読める。(高橋正子)
★鈴虫の声を聞きつつ写経する/迫田和代
写経すれば心が落ち着いてくるということもあるが、この句はそうではなく、静かな心で写経していると、鈴虫の声が一層親しく思われ、そのきれいな声に心洗われるという心境だ。(高橋正子)
★秋祭り園児の出番太鼓打ち/祝恵子
秋祭りには、それぞれに役目があるが、園児たちの出番は太鼓打ち。園児たちは喜び勇んで、太鼓を思い切り打つ。その様子が微笑ましく、みんな揃っての秋祭りが明るい。(高橋正子)
広島土砂災害跡
★山積の瓦礫離れぬ鬼やんま/佃 康水
広島の土砂災害の瓦礫の山は痛ましいかぎりだが、災害を知るよしもない鬼やんまがそこを離れない。自由にすいすい空を飛ばない鬼やんまは、異変を感じているのかもしれない。(高橋正子)
[9月6日/2句]
★零余子採るコロコロ笊を撥ね零れ/古田敬二
零余子の素朴さには、笊が似合う。笊に零余子を採れば、よく実の勢いで笊を撥ね零れる。その勢いがまた嬉しいものだ。(高橋正子)
★降りてきてまた昇りゆく秋の蝶/高橋秀之
蝶が降りてきて、また昇ってゆくことに、蝶の本質、また蝶の幻想的な世界が見える。(高橋正子)
[9月5日/2句]
★秋風を身体一杯橋の上/迫田和代
橋の上に出れば、秋風が身体を包んで吹く。橋の上は四方八方から風がもっとも通うところ。その風が身体を包んでくれる。秋風を心おきなく身体に受ける爽やかさがいい。(高橋正子)
★地は低く千草の花を煌めかす/佃 康水
「煌めかす」の主語は、「地」なので、その主語をはっきりさせるために、つまり、句意をはっきりさせるために、「地の」を「地は」とした。
千草の花のやさしいさ、美しさを詠んでいるが、それに終わらず、「地は低く」に作者の深い思いを感じさせている。(高橋正子)
[9月4日]
★秋の野に薄く煙の上がりけり/多田有花
夏のほてりが抜けた秋の野は、夏には旺盛だった作物や草などが勢いを失ってくる。それらを抜き取り、燃やしたりする。 そいう煙りだろうが、うすうすと上がっている。秋の野の落ち着いたたたずまいだ。(高橋正子)
[9月3日]
★秋色の四万十川に棹さして/河野啓一
清流で知られる四万十川。秋となれば、水はことに澄んで平らかになる。その水の一点に掉さし、四万十川と人との静かな関わりが生まれている。秋色は、辺りの景色をも含めた四万十川を表現している。(高橋正子)
[9月2日/2句]
★ほんのりと色つきだして式部の実/祝恵子
式部の実は、黄緑から白っぽい色となり、その色がほんのりと紫色になる。色づき始めの色が秋らしく新鮮だ。(高橋正子)
★赤とんぼ西向き行ける新学期/小西 宏
赤とんぼが西に飛んでいくことに必然はない。西は夕焼けの空もあるだろうし、西へ飛んでゆく飛行機もあるだろう。「西向き行ける」がこの句に味わいを出した。(高橋正子)
[9月1日]
★秋扇手に馴染みたる軽さかな/福田ひろし
夏の間使い続けた扇子だが、秋暑しの今日も扇子を使う。使い馴染んだ扇子が片手でひらけるほどなのだろう、軽く扱える。「手に馴染みたる軽さ」にこの句の妙味がある。(高橋正子)
★色鳥や心楽しむこと多し/小口泰與
大気が澄み、よい季節になった。いろんな小鳥の鳴き声や羽の色、仕草ひとつひとつがかわいらしく、楽しませてくれる。この気持ちのありように、心楽しいことが他にもいろいろある。(高橋正子)
★赤とんぼ見ていて闇の迫りけり/桑本栄太郎
夕方を飛び交う赤とんぼ。見ているうちにも宵闇がせまる。秋の日暮れはたちまちに夜を迎える。(高橋正子)
[9月9日/2句]
★草の穂の靡く先へとペダル踏む/黒谷光子
草の穂をそよそよと風が吹き、その道をさっそうとペダルを踏んでゆく快いひと時。草の穂と自転車の取り合わせがやさしい。(高橋正子)
★月昇る一直線の丘の道/小西 宏
一直線の丘の道は、月へまっすぐ向かっている道だ。明るくて大きな月が、すっきりと私の前に昇る。(高橋正子)
[9月8日/2句]
★鬼やんま街の景色を軽やかに/内山富佐子
鬼やんまが一匹飛ぶことで、街の景色が明るく軽やかになる。 一匹の鬼やんまを街の景色に描きこんだようなイメージだ。こんな画を飾りたい。(高橋正子)
★芋名月子ら皆元気西東/河野啓一
啓一さんのお子さんたちは、日本の西や東にお住まいで、名月がそのお子さんたち家族を統べるように輝いて、その月を見れば、みんな元気で暮らしていることに安心する。これこそが良い月である。(高橋正子)
[9月7日/4句]
★街路樹の立ち尽くしたり霧の朝/福田ひろし
「立ち尽したり」は、的確な描写。街路樹を立ち尽させることで、霧の動きや深さがありありと読める。(高橋正子)
★鈴虫の声を聞きつつ写経する/迫田和代
写経すれば心が落ち着いてくるということもあるが、この句はそうではなく、静かな心で写経していると、鈴虫の声が一層親しく思われ、そのきれいな声に心洗われるという心境だ。(高橋正子)
★秋祭り園児の出番太鼓打ち/祝恵子
秋祭りには、それぞれに役目があるが、園児たちの出番は太鼓打ち。園児たちは喜び勇んで、太鼓を思い切り打つ。その様子が微笑ましく、みんな揃っての秋祭りが明るい。(高橋正子)
広島土砂災害跡
★山積の瓦礫離れぬ鬼やんま/佃 康水
広島の土砂災害の瓦礫の山は痛ましいかぎりだが、災害を知るよしもない鬼やんまがそこを離れない。自由にすいすい空を飛ばない鬼やんまは、異変を感じているのかもしれない。(高橋正子)
[9月6日/2句]
★零余子採るコロコロ笊を撥ね零れ/古田敬二
零余子の素朴さには、笊が似合う。笊に零余子を採れば、よく実の勢いで笊を撥ね零れる。その勢いがまた嬉しいものだ。(高橋正子)
★降りてきてまた昇りゆく秋の蝶/高橋秀之
蝶が降りてきて、また昇ってゆくことに、蝶の本質、また蝶の幻想的な世界が見える。(高橋正子)
[9月5日/2句]
★秋風を身体一杯橋の上/迫田和代
橋の上に出れば、秋風が身体を包んで吹く。橋の上は四方八方から風がもっとも通うところ。その風が身体を包んでくれる。秋風を心おきなく身体に受ける爽やかさがいい。(高橋正子)
★地は低く千草の花を煌めかす/佃 康水
「煌めかす」の主語は、「地」なので、その主語をはっきりさせるために、つまり、句意をはっきりさせるために、「地の」を「地は」とした。
千草の花のやさしいさ、美しさを詠んでいるが、それに終わらず、「地は低く」に作者の深い思いを感じさせている。(高橋正子)
[9月4日]
★秋の野に薄く煙の上がりけり/多田有花
夏のほてりが抜けた秋の野は、夏には旺盛だった作物や草などが勢いを失ってくる。それらを抜き取り、燃やしたりする。 そいう煙りだろうが、うすうすと上がっている。秋の野の落ち着いたたたずまいだ。(高橋正子)
[9月3日]
★秋色の四万十川に棹さして/河野啓一
清流で知られる四万十川。秋となれば、水はことに澄んで平らかになる。その水の一点に掉さし、四万十川と人との静かな関わりが生まれている。秋色は、辺りの景色をも含めた四万十川を表現している。(高橋正子)
[9月2日/2句]
★ほんのりと色つきだして式部の実/祝恵子
式部の実は、黄緑から白っぽい色となり、その色がほんのりと紫色になる。色づき始めの色が秋らしく新鮮だ。(高橋正子)
★赤とんぼ西向き行ける新学期/小西 宏
赤とんぼが西に飛んでいくことに必然はない。西は夕焼けの空もあるだろうし、西へ飛んでゆく飛行機もあるだろう。「西向き行ける」がこの句に味わいを出した。(高橋正子)
[9月1日]
★秋扇手に馴染みたる軽さかな/福田ひろし
夏の間使い続けた扇子だが、秋暑しの今日も扇子を使う。使い馴染んだ扇子が片手でひらけるほどなのだろう、軽く扱える。「手に馴染みたる軽さ」にこの句の妙味がある。(高橋正子)