三浦綾子作 「銃口」1(作者のこと、昭和初期の日本社会のことなど)

 かつて、和寒町のとなり(行政では和寒町に属するがJR駅では隣)に塩狩駅があるが、この駅の近くにある「塩狩峠記念館(三浦綾子旧宅)」に行ったことがある。  三浦綾子という人は、旭川市出身の作家で、彼女は朝日新聞公募の小説に「氷点」が入賞し一躍作家としてデビューした。1966年にベストセラーとして非常に有名な作品になった。作家としてのスタート作品の「氷点」は、この年にスタートの「笑点」ネーミングの元 . . . 本文を読む
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今の世界の対立構造は?

第二次大戦後、いわゆる「米ソの対立」が叫ばれた。そして平和共存がテーマになってきた。今の世界のおおまかな対立構造はどういう言葉で表したらいいのだろう。 21世紀になって、世界は平和から戦争への路線がより強まっている。世界は「平和」のコースと逆方向への道を強めてきた。さあ、日本はどうする? ロシア、中国、北朝鮮のいわゆる共産党独裁の国家と欧米諸国および日本・韓国などの民主制国家の対立と言っていい . . . 本文を読む
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江戸期の俳人「松尾芭蕉」2

 「おくのほそ道」、これからもじっくり読んでいこうと思っている。できれば「ほそ道」の一部の土地に行けたらうれしいのだが、とも願っているのだが。  3月29日のブログ「松尾芭蕉1」に続いて。ネットにある記事を載せただけ。  生まれ:寛永21年(正保元年)(1644年) 伊賀国阿拝郡。 「細道」が終わるのは1689年。  死没:元禄7年10月12日(1694年11月28日)摂津国西生郡大坂南組 . . . 本文を読む
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「おくのほそ道」11 (旅の終わり、次は伊勢参りだ)

 その後、金沢(新暦の8月29日)、この地で9泊し、そして永平寺、福井、敦賀を経て、10月4日、最後の地大垣についた(人口では岐阜市に次ぐ県2番目の市)。  ここ大垣、芭蕉はこれまで何度も来たことがある地でもあり、たくさんの知人・友人たちも集まってくれて10日間以上も過ごすことができた。生き返った者に逢うかのように、喜んだりいたわったりしてくれた。「生き返った心地」がした。  旅の疲れやさまざま . . . 本文を読む
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「おくのほそ道」10 (遊女との出会い)

 親不知(おやしらず)・子しらず・犬もどり、などと言われる北国一の難所がある。今でいえば新潟県の西、富山県に近い所だ。地名からして想像できる、おそろしいほどの難所だった。(市振(いちぶり)という糸魚川市に属するところ)。  ここを越えて、宿に着いて疲れていたのですぐに寝た。一間おいた部屋で女の声がうるさく眼が覚めた。二人の若い女と一人の年をとった(?)男のようだ。 (耳に入ってきたことを記すと) . . . 本文を読む
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「おくのほそ道」9 (佐渡が島をのぞむ)

「ほそ道」の旅も、日本海だ。 前回の「尿前」以降、山形の「立石寺」で「閑(しず)かさや岩にしみ入蝉の声」、最上川では「五月雨をあつめて早し最上川」などを詠んだ。誰もが知っている句だろうから、それらについては略させてもらう。 越後から越中の国の市振(いちぶり)に向かう。(市振は今の新潟県だが最西端にある。当時は越中の国に属していたのだろう。越中は富山県、越後は新潟県)。 この間、暑さと雨で悩まさ . . . 本文を読む
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弱い日ハムのすごい新球場

今年の日ハムの弱さはハンパナイ。これから上昇するのかどうか分からないが多分似た位置にいるのだろう。この日ハムが来年からすごい新球場に移るという。これは札幌からJRで30分離れた北広島市に建築中の「北海道ボールパークビレッジ」だ。超豪華なスタジアムでホテルなども入っているのだとか。 いままでの球場「札幌ドーム」は、日ハムが支払う金額は年間25億円で、他になんだかんだとベラボーに高い使用料などを払う . . . 本文を読む
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「おくのほそ道」8(尿前(しとまえ)の関)

宮城県大崎市鳴子温泉字尿前地というのが今の地番のよう。住人はいないという。芭蕉のころ、ここに関所があった。出羽国に向かう途中だ。芭蕉たち一行は関守にあやしまれたがなんとかして関を越す。日が暮れたので、山中で国境を守る人のウチに泊めてもらった。この時に感じたことなどを句にした。 蚤(のみ) 虱(しらみ) 馬の尿(しと)する枕もと  地名が尿前だ。地名に関してのネットでの説明・ 源義経一行が平泉に . . . 本文を読む
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ウクライナ戦争、止められないのか

ロシア軍がウクライナへ侵攻を始めたのが2月24日、というからもう一月以上この戦争が続いている。いつ終わるか、予想できないのが現状のようだ。いろいろな情報では、ロシアはすぐ戦争に勝利してすぐ終えられると思っていたとか言われるがよく分からない。 体をはって停戦・調停の役をとるという国はまだないのだろう。そして新兵器がどんどん組み入れられて犠牲者はどんどん増えてくる。 戦争が長引けばそれだけもうけの . . . 本文を読む
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「おくのほそ道」7(番外編。モンゴルの英雄ジンギスカンは義経だった!)

平泉での義経主従の最期に関する記憶が、芭蕉の「ほそ道」の旅のいわば頂点(山本健吉氏)の内容になっていると指摘される。これに関連して私的な感想などを。 日本史上の「有名人」で、もしフアン投票などをやったら、源義経はトップの位置にランクされるのではないだろうか。人気を得る一つは彼(女)がある種の悲劇的な運命におかれていたことと関係があるだろう。聖徳太子しかり(人徳者の太子の子どもたちが蘇我氏に殺され . . . 本文を読む
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