鴨着く島

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吾平山陵の桜は満開(2022.03.22)

2022-03-22 19:42:28 | おおすみの風景
吾平山上陵は吾平町の上名にあり、神武天皇の父母であるウガヤフキアエズノミコトと后のタマヨリヒメの墳墓である。

世にも珍しい「洞窟陵」であり、なぜ洞窟陵なのかについていくつかの考えがあるが、私は神武東征の意味を次のように考えており、その結果として通常の墳墓つまり土を盛り上げて造る「高塚」にしなかった、と思っている。

私は南九州からの神武東征は、実は「東征」といった武力による大和への進出とは考えず、弥生時代の後期、およそ1世紀から3世紀にかけて、南九州を天災が襲い、居住に耐えなくなったゆえに、天災とは無縁の畿内大和に向かったと考えている。

そこで畿内に向かう移住民を乗せる船団が組織され、天災を免れた多くの避難民とともに南九州を離れた。そのことは東九州自動車道の建設前に行われた発掘調査で、弥生時代後期の遺構や遺物が極端に少ないという考古学的知見から証明されたと思う。

現地南九州に残る者もいたに違いないが、彼らは南九州において営まれていた弥生時代中期以前の王国すなわち「ウガヤ王朝」の最後の王の時代が、弥生時代後期の大天災に見舞われ、その最後の王の墳墓を地上に築くことができなかったがゆえに、洞窟陵という形をとったものと思うのである。

そういういわれを持つ吾平山上陵だが、山陵の入り口の並木通りや駐車場周辺のソメイヨシノが今ちょうど満開になっていた。


間もなく山陵の駐車場という手前に広域公園への橋があるが、そこからは満開の桜並木と、はるか向こうに神野地区に聳える吾平富士が望まれる。

吾平富士は正式には「中岳」であるが、その富士山型の秀麗な山容からそう呼ばれている。標高は622mとさして高い山ではないが、神野地区に入ってから望まれる清流を前景とした中岳は神々しいの一言に尽きる。

鹿児島では一昨日(3月20日)、東京と同じく開花宣言が出されたが、去年に続き例年より5日ほど早い開花である。

見頃は明日、明後日までだろうか、仲春を迎えた頃からはらはらと散り始める。

今なら吾平コミュニティ協議会によるライトアップが行われているから、夜桜見物も乙なものだろう。

この時期はどうも落ち着かない。

「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず」

花は毎年多少開花にずれはあるが、全く同じ花を咲かせる。しかし人は毎年老いて行く、嗚呼・・・。

しかし心は変わらない・・・、と言っておこう。