鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

決められない県と市

2023-06-08 10:40:18 | 日記
今年は鹿児島で「8.6水害」が起きて30年の節目だ。

「8.6水害」とは1993年(平成5年)の8月6日に県都鹿児島を中心に豪雨による洪水やがけ崩れなどで行方不明者を含めて49人が命を落とした大水害である。

当時の時間雨量としては突出して多い2時間で180ミリというのが記録に残っている。一時間に直すと90ミリで、最近では100ミリを超すのは珍しくないが、当時としては驚くべき記録だった。

そのため鹿児島市内では甲突川が溢れ、中心部は完全に水に漬かった。国道3号線が川のようになり、その流れで人がおぼれ死んだというほどだった。

痛ましいのは鹿児島から北東に伸びる国道10号線沿いの崖地「竜ヶ水」(花倉町)だ。崖の上からの土石流で病院が押しつぶされ、付近の住民とともに15名が巻き込まれて死亡している。

実は霧島市や姶良市でも8.6水害の5日前に大雨による被害があり、23名の死者を出しているのだが、県都鹿児島の方が豪雨被害も死者数もまた報道回数も断トツに多いため、その陰に隠れてしまった感がある。

この年は9月3日にも巨大台風第13号による被害があり、とにかく災害の夏だった。梅雨以降の雨天が多く、7月8日だったかに一端出された「梅雨明け宣言」は8月になって取り消され、梅雨明けの無い年になった。世界の異常気象の走りだったと言えないこともない。

この8.6水害の被害は人的面だけにとどまらなかった。鹿児島市内甲突川に架かっていた江戸末期に造営の「五大石橋」の内の2つの石橋が流されてしまったのである。

県と市の防災上の判断で残りの3石橋も取り除かれることになったのだが、特に文化財として極めて価値の高い「西田橋」の撤去には大反対運動が起こり、「烏の啼かぬ日はあっても、西田橋撤去反対の報道のない日はなかった」くらい連日揉めにもめた記憶がある。

石橋の石一つ一つを拓本にとって残すという奇抜なプロジェクトも行われ、話題性には事欠かなかった。しかし結局西田橋は撤去され、今は祇園の洲に近い「石橋公園」に移設復元されてその余命を保つことになった。

いま鹿児島県と鹿児島市とで話題性に事欠かない問題が発生しており、「烏の啼かぬ日」というほどの頻度ではないが、それでもここ3ヶ月ほどは一週間に一度くらいは何らかの関連記事が載せられている。

それは県が主体の「総合体育館」新設と、市が主体の「サッカースタジアム」の新設についてである。

それぞれどこに新設するか、つまり建設場所の問題ですったもんだしているのだ。

おおむねの新設場所として鹿児島市の東側の海岸部にある埋立地でかつて「ドルフィンポート」というしゃれた名の海と桜島を背景にした商業施設が造られ、今は更地となり緑地公園的な姿になっている所が最大の候補地になっている。

県はそこに国際会議なども開催できる「総合体育館」(アリーナ)の青写真を持っており、おそらくそれはかなり有力な案なのだが、商業団体や一般県民からは「賑わいの回遊性がない」とか「桜島の景色が台無しになる」などの反対も強い。

また市のサッカースタジアム建設も同じ場所に造れないかという案が浮上したが、ドルフィンポート跡地に二つの巨大施設は土台無理だというのが多くの市民の考えだ。

その他の県有地や市有地に関する案も散発的に出ているが、さらに決め手を欠いているのが現状である。

この総合体育館にしろサッカースタジアムにしろ、こういった体育系の新施設についてはもう9年も前から新設の要望と計画案が出されながら一向に進展していないという。9年前と言えば2014年で、鹿児島国体の開催が2020年と決定されたころだと思われる。

そのために国体会場として現在の永吉町にある鹿児島アリーナでは手狭であり、かなり経年していることから新総合体育館を建てようと決めたのだろう。その建設場所として契約期限が数年後に迫っていたドルフィンポートの跡地を考えていたのではないか。

それならドルフィンポートから商業施設が撤退し、更地になったらすぐにでも建設に着手すればよかったはずだ。いまから5~6年前というとあのテレビ朝日出身の三反園訓氏が県知事に当選したころだ。この人は原発回避を公約に掲げながら反古にし、いろいろ批判を浴びた人物で、そのためもあってかどうやら国体開催など歯牙にもかけなかったようである。

三反園氏の次に立った現知事の塩田氏は通産省の官僚出身でその点では各所に目配りが効いており、現に2020年の鹿児島国体開催が中止となりそうなところ、何と2023年に開催予定だった佐賀県に懇願して2023年に繰り延べてもらい、佐賀県は翌2024年に延期したという実績を上げた。

実は佐賀県知事とは東大の同期で、同じ様に官僚上がりという繋がりがあったからだという。こういう個人プレーは県レベルでは非常に珍しいが、スポーツ大会という政治性や思想性の極めて薄いイベントだからできたことだろう。

それはいいとして、一年延期してまで国体の開催を譲ってくれた佐賀県では、国体用の施設はとっくに整備済みで、その名をSA
GAプラザといい、立地する場所をサンライズパークというそうだ。本来なら今年、そこを中心に国体(来年の佐賀大会からは国民体育大会ではなく国民スポーツ大会という名称になる)が開催されたはずで、参加者は新施設でさっそうと競技に励んだに違いない。

一年延期してまで鹿児島に今年の国体開催を譲った佐賀県民が、今の鹿児島県と鹿児島市の新総合体育館(アリーナ)とサッカースタジアムの新設場所の決められない状況を見たらどう思うだろうか聞いてみたいものだ。

※自分的には県の新総合体育館(アリーナ)を大隅地区に新設したらどうかと思っている。鹿屋市なら鹿児島空港から東九州自動車道で直につながったので、空港経由で来た場合、国内からでも国外からでも、鹿児島市内に行くのとそう変わらない時間で到着できる。建設用地なら平らな土地が腐るほどある。