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九州邪馬台国説から見る同時代の大和地方

2022-12-11 22:05:29 | 邪馬台国関連
邪馬台国の所在地をめぐって九州説と畿内大和説があり、その中で大和説の方は「邪馬台国という国名がそのまま大和に横滑りしたのだ」と言え、そのことも大和説の大いなる補強になっている。

つまり大和説だとのちの大和王権へのつながりがすんなり説明できるというわけで、そのことだけでも大和説の方が正しいと思いたがる論者も多い。

だが、半島の帯方郡から船で南下し、朝鮮海峡を渡り、九州の末盧国に上陸するまでが距離表記で1万里。これを帯方郡から邪馬台女王国までの距離表記1万2千里から引けば残りは2千里。しかもこの2千里は徒歩で行くので、女王国は九州島内にあるしかなく、行程論からして畿内説は全く成り立たないのである。

ただ私のように邪馬台国九州説(比定地は福岡県八女市)を採る考え方からは、同じ時代の畿内大和はどのような状況だったかを説明しておく必要があると思う。だがその前にヒミコが女王国に君臨していた年代を特定しておかなければならない。

私見では邪馬台女王国が九州八女市に存在したのは、『後漢書』の記述によれば「桓霊の間、倭国に大乱があり、王と為るものがなかったが女王ヒミコが立てられてようやく収まった」とあるが、「桓霊の間」とは後漢の桓帝(在位146~167)と霊帝(在位167~189)の時代に倭人国家群の間で争乱があり、女王ヒミコが共立されたことが分かっているので、まずヒミコの即位は190年頃と推定できる。

またヒミコの死は『魏志倭人伝』によれば「魏の正始8年(247年)に帯方郡からの使者・張政が魏の明帝から授与された詔書と黄幡を持って来た時に、告諭されたことによってヒミコは死んだ」とあることから、こちらは西暦247年と特定できる。

そうするとヒミコは九州八女の邪馬台国において西暦190年から247年まで、55年余り女王であったことが言える。最期はずいぶん高齢だったようだが、後継のトヨが13歳で立てられたことからして、ヒミコも仮に同じ13歳で即位したとすると、その最期の年齢は60代後半から70代の初め頃となり、そのくらいの年ならば不可解というわけではない。

『倭人伝』には「其の人、寿考、或いは百年、或いは8,90年」(人々は長生きで、80歳から百歳もいる)とあり、ヒミコの享年70歳は珍しいことではなかったのだろう。(※この百年を「2倍年歴」とし、50年のことと捉える考えもあるが、そうなると80年は40年になり、40年では昔は短命だったとしてもこれは「寿考(ジュコウ=長生き)」には入らないから、通常の年歴で構わない。)

【卑弥呼時代の畿内大和】

さてこのヒミコがヤマタイ女王国を九州で治めている時代、つまり西暦190年頃から250年頃の畿内大和はどのような統治がされていたのだろうか。以下に簡略に書いておきたい。

その時代、畿内大和にはいわゆる「神武東征」による南九州古日向からの投馬国勢力があった。

投馬国とはもちろん倭人伝に登場する南九州の大国で、戸数は5万戸もあったと書かれた国である。

倭人伝では投馬国には「官が彌彌(ミミ)、副官が彌彌那利(ミミナリ)」がいたと記すが、これは邪馬台国から派遣された官と副官ではなく、実際は投馬国独自の王と女王であった。

南九州古日向には、記紀によれば「タギシミミとキスミミ」の兄弟がおり、この兄弟の「ミミ」と投馬国の王名「ミミ」とは完全に符合しているのである。

「神武東征」とはしたがって南九州古日向の投馬国による東征(東遷)であったとみることができる。

そして橿原王朝を築いたのだが、2代目の綏靖天皇の和風諡号に「タケヌマカワミミ」と「ミミ」が付いていることからも、「神武東征」後に樹立された王朝は投馬国系であったとしてよい。

この橿原王朝の樹立年代を私は『後漢書』に見える「桓霊の間(146年~189年)、倭国大いに乱れ」とあるその大乱の初期の頃だったと考えるので、150年代には投馬国系の橿原王朝が生まれていたと考えている。

神武・綏靖・安寧・懿徳の4代を私は投馬国系の橿原王朝時代とし、この4代の統治期間は親子直系相続であれば約100年ということになり、西暦150年から100年を加えた250年頃、畿内大和では南九州投馬国系橿原王朝が統治していた。

これはちょうど九州八女でヒミコが邪馬台国の女王として君臨していた時代とほぼ重なっている。

要するに九州に邪馬台国があった時代、畿内大和には南九州投馬国系の橿原王朝が生まれており、神武・綏靖・安寧・懿徳の4代がその時期に重なっていたという結論になる。

(※卑弥呼の後継の女王トヨは280年代に南の狗奴国の北進を受けて併呑され、また神武以下4代の後の5代目孝昭天皇からは北部九州の崇神天皇系の天皇系譜が接合されているのだが、それぞれについては機会を改めて書くことにする。)

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