ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

侘助

2017年12月16日 | 俳句

 今日は朝からどんよりとして、寒い一日でした。午後からの句会もこんな日はあまり気乗りしませんね。おまけに年末の忙しいときだからでしょうか、出席者も8人…投句者も16人の80句と日頃より少なかったです。

 帰宅すると、「馬醉木」1月号が来ていました。表紙は百瀬智宏氏の「椿」の絵。手にとって一瞬今月は写真かと思ったぐらい…今までになく写実的な絵でした。

 今月の「秋櫻子の一句」と、小野恵美子さんの鑑賞文をどうぞ。

   焚火してその子の凧を仰ぐ父    秋櫻子 句集『殉教』より

 独楽も凧揚、羽根つきも大の得意だった。「その頃の東京の子供は、屋根の上の凧揚げが巧く、窓から屋根へ抜け出る術や、瓦の上を平地の如く駈ける術などを心得てゐた」と小学校時代を想起している。やがて屋根が傷むからと禁じられると塀の上で揚げ、中学に進んでからも続いた。「独楽も羽根つきも父に習いました」という春郎は大泉まで自動車で凧揚に行った記憶があるという。

 德田千鶴子主宰は、馬醉木集「選後反芻」で、「出掛ける時、スイカ(JRの自由切符)や携帯電話を忘れるとちょっと慌てます。機械にとらわれたくないと思ったのは遥か昔。その便利さに馴れて、当然のように使っています。時代に流されずに、しかし逆らわずに句を詠むのは難しいけれど、視点の新しさと抒情を大切に、詠んでいきたいと思います。」と書かれています。

 私は地方にいるので、あまり時代に流されるという感覚を味わうことがなく暢気に作っていますが、その反面マンネリ化に陥りやすくなりますので、自分なりに常に「視点の新しさ」は考えています。しかし、短詩型の俳句には類想・類句という問題からどうしても逃れることができませんから、日々が自分との戦いですよ。よく「こんな俳句はごまんとあるよ…」などと言われると、ちょっとひるんでしまいますが、でもそれを恐れていては前に進めませんので、とにかく何でもいいから作ることでしょうね。そして、どんどん捨てていくこと。そういう中でこれはという句に出会って、それが残っていけばいいかなとも思っています。要するに〝たかが俳句、されど俳句〟なんですよ。頑張りましょう!

 写真は「侘助」、冬の季語。秀吉が朝鮮出兵をした文禄・慶長の役の際、日本にもたらされたと伝えられる唐椿の一種です。花は小ぶりの一重咲きで、葉も小さく細身の楕円形。椿よりも全体に簡素なつくりで気品があり、その名とともに茶人に好まれる花です。

   侘助の花の俯き加減かな     星野 高士

 

 

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