ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

涅槃図に猫は?

2019年02月18日 | 俳句
 このところ忘れ物が多くて困ります。必ずといっていいほど何か取りに戻ることが…車に乗ってさあスタートしょうとすると思い出すので、玄関と車の間を行ったり来たりするのです。でも、その度にドアのチャイムが鳴るので主人にすぐに分かります。それが今日はナント3回も…。それなのにまだ忘れていたものがありました。本当に自分ながら情けな~い!
 とにかく今日はいろいろと用事が多く、結局は時間がなく慌てていて郵便局にまで忘れ物をしてしまいました。これは全てが終って家に戻ろうとしたとき、アッ、あれがない!と気がついたのです。夜8時過ぎ家に戻ると、主人から郵便局から電話があったことを伝えるため何度も電話して出ないからと、叱られてしまいました。エエッなんで気がつかなかったのかしら~とみると、マナーモードにしたまま鞄の中に入れていたのでした。それじゃあ携帯が何の役にも立たないぞと言われてしまいました。ゴメンナサイ!とにかく気を付けないといけませんね。自分が困るだけだけならまだいいのですが、そのうち人様にも迷惑をかけてしまいそうで…。
 ところで、昨日のブログに〝涅槃図〟のことを書きましたが、涅槃図には〝猫〟がいないという話聞いたことありませんか?しかし、宗隣寺の涅槃図には猫がいたんですよ。隅の方にみんなとは少し離れて描いてありました。
 それで、なぜなんだろうといろいろ書かれているものを探して読んだんですが、どうも結論は出ないようです。だって大昔のことですもの。その中で〝アジアのお坊さん〟が書いておられたものが面白かったし、信用できそうなので紹介しますね。
 
 「アジアのお坊さん」の「涅槃図に猫がいない本当の理由についての覚え書き」(2018/4 /23)
 猫が書かれている涅槃図もあるが、それはあくまで猫のいない涅槃図が基本であることを作者が踏まえた上での例外である。
 猫がいない理由について、摩耶夫人が天上から投げた薬壺を届けようとした鼠を阻止した猫がいて、そのために云々、という伝説があるが、これはあくまで涅槃図に猫がいないことを説明するために、後から付会されたものだ。
 涅槃図に猫がいないのは、昔、インドには猫がいなかったからだ、と解説している方がよくおられるが、当時、インドに猫はいた。エジプト発祥の家猫がインドや中国に早い時期に広まったという事実は、猫の歴史を述べた書物に必ず出て来るし、現にブッダの入滅を描いたパーリ版「大般涅槃経」にも、猫という言葉が出て来る(岩波文庫「ブッダ 最後の旅」30頁)。そして、その箇所の注釈部分(205頁)で訳者の中村元博士が、サンスクリットにおける「猫」という語についての解説と共に、「日本には釈迦涅槃の時に猫が来なかった云々の伝説があるが、こうして原典には猫が出て来るのが面白い」みたいなことを書いておられる。
 ブッダの伝記に関する壁画やレリーフはインドにもあったが、ただ、現在、我々が見るような「涅槃図」は、唐代以降に中国で作成されたものだ。中国にも昔から猫はいるが、十二支にも猫がおらず、そして、そのことに関して、やはり同様に、「十二支に猫がいない理由」的な伝説があることから、どうやらこの問題は、「当時、インドに猫がいなかったから」ではなく、「当時、中国で猫が重要視されない何らかの理由があったから」ではないかと思うのだが、如何だろうか?
 
 写真は、宗隣寺の「涅槃図」に描かれた「猫」です。可愛く描いてありますね。
 歳時記には次のような句がありましたが、猫の出て来る句はありませんでした。猫大好き人間にはザンネン!でも、私の句集には〈涅槃図の奥より猫の甘え声〉を収めています。(笑)
 
   涅槃図を掛けんとすなる僧五人     高浜虚子
   涙痕のごと蝶を描き涅槃の図      皆吉爽雨
   座る余地まだ涅槃図の中にあり     平畑静塔
   涅槃図の人ことごとく大頭        藤田湘子
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする