6日目(ローマ)
ローマの休日
朝食後、バスで観光です。昨日の雨は上がり、快晴。まずはコロッセオを目指します。ローマの街は生まれて初めて訪れるのに、なんだか見たことある風景。そうです、あの映画「ローマの休日」でオードリー・ヘプバーン扮する皇女様とグレゴリー・ペックの新聞記者がバイクに乗って街をめぐるシーンの背景です。全く同じ風景。もう何十年も前の映画なのに変わっていない。違いといえば路面電車の有無、交通整理の警察官。コロッセオはローマ時代の格闘技場跡です。ローマといえばコロッセオというくらい有名な観光地です。バスから降りて中に入ると、大きいです。ガイドの説明ではローマ時代には建物の上に屋根として幕が張られていたとのこと。まるで、東京ドームだね。中心の一番深いところは細かい部屋に区切られており、ここにライオンや熊などの猛獣が飼われていたとか。そして、上の競技場に引き出されて、人間との戦いを周囲の客席から見物したらしい。残酷なシーンが演じられた場所だったのでしょう。
ベンハー
近くの石壁には往時のローマ帝国の勢力範囲を示す解説の壁画がありました。地中海沿岸の西はスペインから、東はイラクあたりまでいかに広大な地域を支配していたかわかります。そういえば、世界史の教科書にもこんな地図が。コロッセオの向かい側はそのローマ時代の遺跡、フォロ・ロマーノです。映画「ベンハー」に出てくるような風景を車窓に眺めつつ、バチカン市国へ移動です。途中、ここが「真実の口」のある建物ですと紹介がありましたが、バスは徐行すること無く走行し、「どこどこ?」と探しているうちに通過して撮影できませんでした。バチカンの入り口には、テベレ川の脇にサンタンジェロの要塞がどっしりと構えています。ここは「ローマの休日」で、水上レストランで王室警護の警官との格闘があった場所。もちろん映画のセットなので橋の下には水上レストランはありませんが、映画のシーンとここも同じです。当然ですよね。2000年の歴史を持つ街ですから、40年前なんぞ、つい昨日のようなものかな。
バチカン市国へ入国
バチカンのサン・ピエトロ大聖堂の脇の道にバスを止め、まずはおみやげ屋さんへ。ここはまだイタリア共和国。トイレ休憩を兼ねています。添乗員さんに友人、家族たちにお土産にはどのようなものがお薦めですか?良いショップは?と聞きますと、「バラマキ用ですね。ならば、後でいいお店を紹介しますよ」。ということになりました。サン・ピエトロ広場を取り囲むように列柱があり、その間を抜けてバチカン市国へ入国です。入国審査もビザもありません。広場にはたくさんの信者であふれています。宗教的な服装を身にまとっていますので、巡礼の人たちでしょうか。ここは、キリスト教、カトリック教会の総本山。キリスト教の中心地と言ってもいいでしょう。サン・ピエトロ大聖堂は今まで見てきたいずれのドォーモよりも巨大です。まさにカトリック教会の権威を世界に知らしめるにふさわしい建築物です。
カトリックの総本山は別格
大聖堂に向かって右側から入場です。ローマ法王が挨拶に出てくるベランダは遥か彼方の上の方にあります。内部はやはり巨大な空間です。奥に進むと4本ねじれた足のベルニーニの天蓋がひときわ目立つ存在です。その下には聖ペトロの聖墓所があり、聖ペテロが眠っている場所です。すなわち、サン・ピエトロ大聖堂とは聖ペテロの墓の上に立てられた寺院です。ミラノ、ベニス、フィレンツェ、いずれのドォーモも内部は暗かったのですが、ここは明るいです。クーポラには明かり取りの窓、その他、照明ライトも備えています。手持ち撮影でもブレません。床面、壁面には様々な色の大理石がモザイク状に組み合わされて幾何学模様を描き、天井はフレスコ画、金箔装飾が施され、豪華絢爛ですが決して華美ではありません。荘厳さを兼ね備えています。
内部には様々な彫刻がありますが、中でもミケランジェロのピエタは有名です。大聖堂入って右側にあります。処刑され息絶えたイエス・キリストを聖母マリアが抱きかかえる像ですが、大理石から彫り出したとは思えないキリストの肉体の精緻さ、そしてマリアの悲しみを湛えた顔。あまりの美しさに精神を病み、破壊行為に及んだ者もいるとのこと。この彫刻だけは人だかりが凄く、遠くから防弾ガラス越しの観覧です。いったん足を止めて見つめてしまうと、もう動けません。それだけ惹きつけるものがあります。隣接するシスティーナ礼拝堂の「最後の審判」とバチカン美術館を含めれば、見学にはまる1日かかる、言われるのも頷けます。午後からの自由行動でもう一回来ようというメンバーもおりました。
おみやげは「ベツベツ?」
バチカンに後ろ髪を引かれる思いをしながら、最後の目的地、トレビの泉・スペイン広場へ向かいます。いずれも「ローマの休日」でロケに使われたところ。近くでバスを降り徒歩でトレビの泉に向かいます。第一印象はこんなに狭いところ!です。映画では皇女様がロングヘアーをカットしてもらう理容店があった所です。背景がバロック様式の宮殿であり、様々な彫刻の足元から水が湧き出、手前の泉に注ぎます。この泉にコインを後ろ向きに投げ入れると入れると再びローマを訪れることができるとか。大理石の彫刻は数年前にクリーニングがされており、快晴の空に眩しいほどの白さです。
ここから歩いて10分程でスペイン広場、スペイン階段です。途中、露店の八百屋さんを見つけパチリ。色とりどりの野菜が色彩の乏しい石造りの街に映えます。新聞記者がスイカを売りつけられたのもこんな感じ。スペイン階段は皇女様がアイスクリームを食べ、新聞記者が偶然を装い再会するところ。階段には沢山の観光客が座っています。アイスクリームを食べている人はいませんでしたが、階段の下には相対するようにマクドナルドがあります。でも、看板は地味。注意していないと見逃してしまいそう。景観に配慮しているのですね。かつて、ここにマクドが進出するのに反対運動があったような記憶があります。本日の自由行動はここで解散です。添乗員さんから先ほどのお願い、「バラマキ」用のおみやげのお店を教えてもらいました。スペイン階段に向かって右側、少し行った所にあるお店です。革製の小さな財布を幾つか買い求めました。支払が終わり、包装してもらう時に「ベツベツ?」と聞かれました。「ベツベツ」と答えました。日本の風習をよくご存知です。
シエスタも頑張る
ローマの商店は12時を過ぎると長いシエスタ(昼休み・昼寝)になります。再度開店するのは3時頃。それまではおみやげ購入もできません。昼食を求めてさまよい歩くことになりました。まさか、ローマでマックはないでしょ。スペイン階段に向かって左側方向に歩いて行くとピザ屋さんがありました。四角にカットしてあって、これを購入。グラスワインと共にお店の中で食べます。外のテーブルで食べると別料金らしいです。さらにそのまま真っすぐ行くとオベリスクのある大きな広場に出ました。地図で確かめるとポポロ広場とあります。日本人観光客、それも新婚さんらしい二人が声をかけてきました。「シャッターを押してください」。治安が悪いローマではカメラを渡してシャッターを押してもらうなど、「カメラを差し上げますよ」と同義語だそうです。でも、日本人で新婚さんは雰囲気ですぐに解りますよね。ちょっと安心です。
ポポロ広場の脇に「Rosati」というオープンカフェがありました。朝からずーっと歩き通し。それも石畳はつかれます。オープンカフェは別料金と知っていましたが。一度は体験してみましょう。席に座るとウエイターがやってきます。メニューを見てコーヒーを注文、ケーキはお店の中に入ってショーケースの中から選びました。支払はレシートを見てチップを含めて適当に加算。初体験は緊張しますね。
今度こそ迷わない
シエスタが終わる頃、再びスペイン広場方向に戻ります。スペイン広場近辺にはおしゃれなブティックがたくさんあります。イタリアはシルク製品でも有名です。ネクタイとお揃いのシルクのハンカチを購入しておみやげとしました。そのあと「グッチ」も。スペイン広場からローマ駅方向へは一直線にホテルに辿りつけるはずです。ローマの街はオベリスクの立つ広場を中心に放射状に街路が形成され、歩道の街灯に通りの名前が表示してあります。30分くらい歩きましたが、無事にホテルに到着です。タクシーを使う手もありますが、言葉が通じず変なところに連れていかれたら嫌ですよね。ホテルカードを示せば大丈夫ですよと言われましたが、ボッタクリ・タクシーだったらどうしよう。心配ばかりです。
ローマの夜は最後の晩餐
本日の夕食はカンツォーネディナー。ホテルの外のレストランです。開始が8時ごろ。それまでに時間がありますので、近くのローマ三越で、これがほんとうに最後のおみやげ購入。ここは日本人店員がいますのでなんだか安心です。ホテルに戻ってスーツ・ネクタイで服装を整えバスに乗ってホテルを出発しテベレ川沿いに走ります。レストラン近くでバスを降りて少し歩きますが、夜は治安が特に悪く、バイクのひったくりがいるので、男性が道路内側、女性は道路外側、カバンは外側に持ってくださいと念を押されました。
レストランに入るとテーブルに着席。小劇場のような内装です。正面に舞台がしつらえてあり、背景にはローマの遺跡が描かれています。お客さんは世界各国からの観光客。食事はフルコース。飲み物はワイン、水、いずれも飲み放題。ローマの夜はゆっくりと過ぎていきます。食事の提供されるスピードもゆっくりです。次がなかなか出てきません。ショーが始まりました。男女合わせて10人位がギター、アコーディオン、タンバリンなどを持って、カンツォーネを歌い踊ります。時には衣装を変えて男性歌手が女装したりして。お客さんも盛り上がってくると、歌手たちは客席に降りてきて記念写真のサービスです。我々が日本人であることが解ったのでしょうか、日本の歌「知床慕情」のサービスもありました。12時過ぎても、まだショーは続きます。さすがに、ツアーメンバーみんな疲れ気味。居眠りする人もいます。添乗員さんが「そろそろ帰りましょうか」。ホテルに帰ってイタリア最後の夜は静かに更けていくのでした。