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*無為の事を為しとは、どういうことか 老子は其の思想の根本を道というているが

2015-04-04 10:42:39 | 日記

昌栄薬品の宮原 規美雄です

柴崎保三著 鍼灸医学体系 黄帝内経素問 陰陽応象大論第五

第十六節 再掲載です

(語句の解)

無為の事を為しとは、どういうことか。

 老子は其の思想の根本を道というているが、この道は孔子のいう道とは大へん違うのである。

孔子のいう道は、所謂人の道であるが、老子の道というのは宇宙の本体であり、万物創造の根本となり万象の母たるものである。

<老子>はその二十五章に於て

「物有り混成す。天地に先だって出ず。寂たり寥たり。独立して改らず。周行して殆(あやう)からず。以て天下の母たるべし。吾はその名を知らず。之を字(あざな)して道という」と述べ、

其の第一章に於ては

「道の道とすべきは常道にあらず。名の名とすべきは常名にあらず。無は天地の始めに名づく。有は万物の母に名づく」と述べている。

又その第四十二章に於て

「道一を生じ、一、二を生じ、二、三を生じ、三、万物を生ず」と述べているように、本体は道であり、それから逐次万物が生じるのである。

従って本体は一元であり相対界を超越している。

第十四章に「之を迎えて其の首(はじめ)を見ず。之に随って其の後を見ず」とある如く、過去に求めても無限、未来に随っても無限である。

これでは超時間的、超空間的のものであって、吾人の認識の対称にならない。

そこで之を虚無というのである。

ところで万物はこの虚無から発生する(よく無から有が生ずるということは、この観念から出ているのである)のであるが、本体が活動的でなく、静止的であるから発生した万物も亦静止的を以て本然の姿とし、本体が超目的であって無為自然と称する如く、万物も亦無為自然を以てその理想としなくてはならない。

ここに老子の人生観や倫理観というものが胚胎するのである。

第二十五章には又

「故に人にして地に法れば地と働きを一にし、天に法れば天と一致し、道に法れば道の働きと合致するものである。法るとは、自然なりで物自然の道にまかせて、無為自然たることである」と述べているのである。

即ち道の属性が無為であるから、道の顕現である人も亦無為であるべきである。

無為自然こそ老子の究極の目標である。

 無為というコトバをちょっときくと、「それは何も為(せ)ぬのがよい」という意味にきこゆるが、決してそうではないのである。

無為とは人慾の私のまじった活動を一切止めよということで、つまり自然の大道に合った活動ならいくらやってもよいので、そういう自然の大道に合った活動は人為の中にははいらず、無為の中にはいるのである。

第四十八章に

「無為而無不為」(無為にして為さざるはなし)という句があるが、これは「無為の境地に至れば、実は却っていかなることもなし得ないことはなくなる」という意である。

形だけは無為らしくも、そこに私の人為があればたとえ世間を避け、人を謝し、独り行いすますような事をしても、それは決して道に合するものではない。

 <老子>第二章には

「此の故に聖人は無為の事に処り、不言の教を行う」といい、

又第五十七章には

「我れ無為にして民自ら化し、我れ静を好んで民自ら正しく、我れ事無くして民自ら富み、我れ無慾にして民自ら樸なり」と述べているのである。

 以上「無為の事を為し」という句に関連して、老子の思想について述べたが、本文の意味もわかるであろう。

とあります。

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