とっちゃんじいじの日記

趣味を中心とした題材で写真入りでの日々の出来事を記録にと四季折々の風景や花々を訪ねその時の写真を掲示と励んでいる。

何時も決まって知立神社を訪ねる時季は

2018年05月26日 21時25分24秒 | 日記
今朝訪ねた知立神社は歴史があって格式ある立派な神社でかつ参拝者も多い。
しかし隣の町でありながら訪れるのは毎年花しょうぶ観賞に来るこの季節のみである。
5月の連休中に神社の大祭があり幾つもの山車が出て境内は参拝者で溢れるほどに賑わいを見せている。
毎年テレビのニュースで見るが一度も大祭風景を観に出掛けたことなしだ。
古い山車を撮影にと思ってはいるが
残念な事に加入している山野草会の行事が毎年重なって一度は訪ねたいと願望だけは持ち続けているが未だ成就していない。
花しょうぶが咲く頃は境内でサツキ展が開かれ見事なサツキ鉢を見る事が出来る。











カキツバタが沢山咲いていたが消滅寸前でただ今修復中



花しょうぶまつりが始まった

2018年05月26日 10時22分31秒 | 






季節の花を追っかけてバラの次は花しょうぶ観賞だ。
隣町知立市の知立神社を挟んだ花しょうぶ公園へ花しょうぶを観に出掛けた。
今日の朝刊に紹介されて昨日からまつりが始まったと知らされる。
朝7時に家を出て来訪者の少ない時間にと現地に着くも既に何人かが撮影している。
開花具合はまだ疎らであるが色とりどりの花を見て撮影し楽しんで来られた。
蕾多く咲きかけの花もみられ休日の今日明日は観賞者で賑わうことであろう
ここの花しょうぶのルーツは東京の明治神宮から貰い受けたものだ聞いていたが今回の新聞でも説明していた。
自然界の事ゆえに年によっては貧弱な開花状態であった年も見られたが今年は大丈夫のようだ。
満開見頃は月末だと思われる。またその時期に再訪をと考える。
毎年足を運んでいる近郷の花しょうぶ園東海市の大池公園・名古屋市の大高公園そして碧南市油ヶ渕花しょうぶ園も訪問してみようと思う。











































時には白ワインも美味しいかも!

2018年05月25日 23時28分20秒 | 日記
毎日適度のアルコールを常飲している。即ち晩酌である。
「酒は百薬の長」と言われているが、専門家が唱えている適量を忠実に守り通して美味しく薬として飲用している。
アルコールもいろいろあるが適宜気の向いたものを飲んでいる。
夏はビール・冬は焼酎のお湯割り時にはワインしかも赤に限定、最近は日本酒に入れ込んでいる。
製造元が福島県とありあの大震災の復興支援になるかと数本目を飲み掛かっている。
お隣の町「東浦町」は東海地区では有名なブドウの産地である。
そのブドウを材料にした限定品の白ワインを知人から購入し今夕届けてもらった。
我が家が飲用している赤ワインより高価であるが、時には地元産のワインも話ネタとして飲んでみる事にした。
幸いな事に高齢になった現在も強くはないが好きなアルコールが毎日飲める幸せは続けられればと考える。
我の周りの知人のなかには体況上医者から禁酒を申し受けている者も多く聞かされている。
健康故に飲める幸せ・飲めるが故に健康なのかも知れない。


枯れそうで枯れない頑張り屋

2018年05月25日 21時26分50秒 | 日記
我が家の裏の物置は夏場には西日が当たり草花の置き場としてはあまり好ましくない。
冬にはほとんど太陽の光が入らず仕舞いである。
止む無く暑さに強いアロエ・金のなる木・多肉植物の一部を置いているが部屋内から見るに多少の緑があればと置いている。
花が咲く期待度薄くかつ乾燥に強い植物ゆえに水遣りは忘れがちで常に枯れている様な状態で生きている。
時折思い出したように水だけは施している為か枯れて仕舞う寸前だと思われる。
今日陽射し強く眩しい程の天候のなかたまたま目がこれ等に行き水遣りを行う。
金のなる木2種類の鉢が並べてあるが何十年来花が咲いた事が無い。
枯れれば鉢を片付ける事が出来るが、どっこいしっこく生き伸びている。
仕方なく今日も久しぶりだがタップリと水を流し込んでやった。
生きている以上は栽培者の義務でもあるとつぶやきながら・・・・








テレビ番組を見る

2018年05月24日 21時58分58秒 | 日記
医食同源と言う言葉がある。
人間生きて行くには食べる事も大切
しかし食べ過ぎは良くない必要以上の栄養を取り過ぎ、それが病気の原因を作っている。
高齢になるにつれて生活習慣病がささやかれ適度な栄養と適度の運動が不可欠だと言われている。
健康寿命が延び元気な高齢者が増えて行く昨今
その波に遅れの無い様夫婦揃って元気で居たいものである。
今夜の番組「主治医見つかる診療所」内蔵脂肪や中性脂肪の高さで起きる各種病気の恐れ
脂肪を燃やす食べ物等々他人事でなくつい真剣に視聴してしまう。
備えあれば憂いなしだ。暴飲暴食は控えめに・・・
昨年受診した健康診断の結果表を眺めながらテレビを視て健康で有る事の有り難さを実感するひとときである。

最近理髪店が遠い

2018年05月24日 20時13分26秒 | 日記
俗に言う床屋が縁遠く高齢者と言えども髪は少ないながらも伸びるものだ。
最近特に改まった場所に顔を出さない故に理髪店に行ってサッパリとする
その様な気持ちがなかなか起きなく妻から見ればみっともない様相だと言われる。
外に出る際は帽子着用が常であって他人が見ても髪が伸びているとは判らない風貌である。
若かりし頃は一ヶ月に一回計った様に理髪店に通ったものであるが、今の自分とは隔世の感ありだ。
最近格安の理髪店が彼方此方で開業し高齢者割引も設けている店もあると聞く。
知人の何人かはそれを利用しているそうであるが、我が家から極近くに馴染みの理髪店があり地元の付き合い上他へ変更する事は出来ない。
最近の若者は昔と違って長髪が一般的で理髪店には顔を出さず、何故か美容室を訪ね女性と同じ様にカットのみに済ませるそうだ。
と理髪店の夫婦がこぼしていた。
来週には老人会の一泊二日のバス旅行が迫っており妻の忠告を素直に聞いてこの週末には散髪に行って来よう!

想い出のラジオいまだ健在なり

2018年05月23日 23時33分41秒 | 日記
40数年勤めた会社の定年から早17年が経過し遠い昔の様な感覚になる。
三重県から奈良県生駒市に転勤先が決まり初めての県外勤務に不安を感じ慣れない土地で歯を喰いしばり頑張れたのも若かった年代がさせた業だと懐かしく想い出す。
今枕元に置かれているツマミが何個か壊れている古いトランジスタラジオを見るたびにその時代の苦労が蘇えってくる。
からこれ50年近くも前の話であるが今でもしっかりと活用している。
給料のまだ少ない年代での高価な買い物であったことも記憶しているが往時を想い出す遺物として大切に扱いたいものである。
新しい物も年数が経過と共に買い替えや用済みとなる中、超お古のラジオから流れるニュースに聞き耳を立てる。






ブラックベリーの花が咲いている

2018年05月23日 22時27分02秒 | 庭の草花
毎年花が咲き実がなる庭のブラックベリーの蔓が庭木の葉に遮られてここ数年あまり実を付けなくなっている。
挿し木から生育し一時はその実を毎日摘んでは生食に果樹酒にとある年はジュースにして10年程は重宝したものだ。
ポリフェノールを多く含み身体に良いと聞き珍しさも加わり果樹酒にして飲用していたがここ数年止めて仕舞っている。
未だにビンに残ってはいるがこの様なものは急激に効果が出るものではないと思う。
飲用を止めたから何処か具合が悪くなったと言うこともない。
しかし飲まないより飲んでいた方が身体には良いのかも知れない。
テレビでいろんな薬やサプリメントをタレントを使ってさも誰しもが効果ありと錯覚して仕舞いそうな宣伝を見るが、確証は不明であるが飲まないより飲んだ方が可能性はあるはずだ。
今年もブラックベリーの花が綺麗だ。
しかし花が開いた間もなく花弁が散り出し赤い実にそして真っ黒に熟して行くのだ。






夕飯は西城秀樹が昔宣伝してた「ハウス・ジャワカレー」だった

2018年05月22日 22時30分44秒 | 日記
先日63歳の若さで突然逝った西城秀樹が昔ハウス食品のカレーの宣伝に出演していた頃を偲び、今夜はカレーである。
秀樹感激!とは行かないまでもカレーは子供の頃から大好きな献立だ。
日頃からあまりご飯を主食としてとらず副食のひと品として少量口にしている。
しかしカレーのときは何故かカレーライスとしてシッカリとご飯も食べ満腹になる。
日本酒を飲みながら激辛に近い舌がヒリヒリする程のカレーを口にする。
朝カレーを食べると医学的に良いと以前テレビで視たが明日も朝からカレーに決めている。
また違った番組でカレーの効果は凄く認知症の進行を遅らせると言っていた記憶がある。
高齢になるにつれ好きな食べ物が食べられる事の幸せを嚙みしめている今日である。
カレーライスは終戦後食糧難の子供の頃の郷愁を誘ってくれるものかも知れない。

断崖の女王とは凄い名がついたものだ

2018年05月22日 19時25分42秒 | 日記
10年近くなるのではと思われる我が家の「断崖の女王」
今は故人となっている知人に頂いた物で大鉢で毎年花をつけるが今迄植え替えた事が無い。
今年の花は終わってしまった。


もう一鉢は3年程前のもの


先般開催した際に山草会仲間が提供してくれた2年物
ビニールポットで根が張り一回り大きい鉢に植え替えの必要がある。
植え替え後山草展を手伝ってくれた二人に届ける事になっているが、大切に育てて欲しいものである。
一般にはあまり出回っていないがそこそこの値がする高価な花である。