バルト三国の旅フォトの最後にこの写真をアップします。
これは1991年1月13日の「血の日曜日」事件で、テレビ塔前で犠牲となった人々の追悼の十字架です。
当時は米・イラクを中心とした湾岸情勢に世界が釘付けとなっているときで、1990年3月に独立を宣言したリトアニアを旧ソ連軍がとりかこみ、非武装の市民14人がこのテレビ塔前で命を落しました。
食料品値上げに対するロシア人、ポーランド人のデモを口実に、この2日前となる1月11日の金曜日に、旧ソ連軍が軍事介入し出版センターが占領され、当時のランズベルギス議長の呼びかけで国会議事堂と、言論の自由の核であるTV施設を守る為に市民が集結しました。
12日の夜中、KGBや共産党員等からなる国家救済委員会が権力掌握を宣言し旧ソ連軍が軍事作戦を展開、翌13日の日曜日に大量の戦車と兵士がテレビ塔を襲い、建物を守っていた非武装の市民がこの場所で命を落としました。
雪の降りしきる中、国会議事堂には、同じく非武装の市民が祖国の歌を歌いながら議事堂を守っていましたが、もし同様に旧ソ連軍が議事堂へ侵攻していたならば、さらなる大量虐殺が行われていたことは必至でした。
そしてこの問題は遠い過去の歴史などではなく、現在なお、北京五輪のさなか自分がリトアニアを訪れた1週間後、同じバルト三国であるエストニアを訪れているその日に、ロシア軍がオセチア、アブハジアの境界を越えたグルジア領内で、その軍事作戦により多くの人々が命を落としました。
これは現地のロシア系人民の解放を訴え軍事介入をしたロシア軍という構図は、まったく同じです。
ロシアはコーカサス地方の原油等の資源を抑えたいという思惑から、今回の軍事行動につながっているようですが、一方グルジアを支援する米国がイラクで行ったことも、まったく同じ(それ以上)であり、普通の日本人会社員が仕事上で日常的に関っているロシアやアメリカにおいて、21世紀になってもこのような事件が当事国として起こり続けています。
いつまでたっても人類は同じ過ちを繰り返し続けているのだと、やるせない気持ちになります。
今回のグルジア問題について、日本では「遠い国で起こった自分達には無関係の事件」と、多くの人々が「無関心」のように見受けられます。
同様にこのリトアニアで起きた事件は、当時まだ10代で日本に住んでいた自分にとっても、見知らぬ遠くの国で起きた事件で、正直この場所を訪れるまで、その事実を知りませんでした。
2000年から世界を歌いながら旅していますが、年々世界は確実に「小さく」なってきている気がします。
移動技術や通信技術、インターネット等の発達によりそれを感じますが、身近な「原油価格問題」1つとってもわかるように、経済や生活といったレベルでもそれは確実に「遠くで起こっている事件」ですまされない時代が訪れようとしています。
地球上のどこかでおこった事件が引き金となり、身近な朝鮮半島問題、自分達が住む街でのテロ事件、自分達の生活や人生を大きく変えてしまう程の大きな流れへとつながる時代が訪れようとしています。
私達日本人が「日本人」であることを意識するのは、オリンピックやワールドカップといった国際試合や、仕事、旅行で海外に出た時位で、島国にニッポンでそれを感じる機会は幸か不幸かそれ程多くありません。
しかし近い将来、いやがおうでもそれを意識させられる日が来ることを、日本を遠くはなれて暮らしているとひしひしと実感します。
そしてそれはいずれ「地球人」という、今では大きすぎて実感がわかない、そんな単位へとシフトしていくことでしょう。
それは100年、200年といった遥か遠い未来などではなく、私達が生きている時代に確実にやってくると思います。
この十字架前でギターを片手に歌っていると、並んだ十字架が「この場所で起きたことを忘れないで」と語りかけているような気がしました。
自分達が住むこの地球上でかつて起こったこと、現在起きていること、これから起きようとしていることに対して、その事実、真実を少しでも知り、そして明日自分達がなすべきことを考え、「1人の地球人」として行動していきたいと思っています。
これは1991年1月13日の「血の日曜日」事件で、テレビ塔前で犠牲となった人々の追悼の十字架です。
当時は米・イラクを中心とした湾岸情勢に世界が釘付けとなっているときで、1990年3月に独立を宣言したリトアニアを旧ソ連軍がとりかこみ、非武装の市民14人がこのテレビ塔前で命を落しました。
食料品値上げに対するロシア人、ポーランド人のデモを口実に、この2日前となる1月11日の金曜日に、旧ソ連軍が軍事介入し出版センターが占領され、当時のランズベルギス議長の呼びかけで国会議事堂と、言論の自由の核であるTV施設を守る為に市民が集結しました。
12日の夜中、KGBや共産党員等からなる国家救済委員会が権力掌握を宣言し旧ソ連軍が軍事作戦を展開、翌13日の日曜日に大量の戦車と兵士がテレビ塔を襲い、建物を守っていた非武装の市民がこの場所で命を落としました。
雪の降りしきる中、国会議事堂には、同じく非武装の市民が祖国の歌を歌いながら議事堂を守っていましたが、もし同様に旧ソ連軍が議事堂へ侵攻していたならば、さらなる大量虐殺が行われていたことは必至でした。
そしてこの問題は遠い過去の歴史などではなく、現在なお、北京五輪のさなか自分がリトアニアを訪れた1週間後、同じバルト三国であるエストニアを訪れているその日に、ロシア軍がオセチア、アブハジアの境界を越えたグルジア領内で、その軍事作戦により多くの人々が命を落としました。
これは現地のロシア系人民の解放を訴え軍事介入をしたロシア軍という構図は、まったく同じです。
ロシアはコーカサス地方の原油等の資源を抑えたいという思惑から、今回の軍事行動につながっているようですが、一方グルジアを支援する米国がイラクで行ったことも、まったく同じ(それ以上)であり、普通の日本人会社員が仕事上で日常的に関っているロシアやアメリカにおいて、21世紀になってもこのような事件が当事国として起こり続けています。
いつまでたっても人類は同じ過ちを繰り返し続けているのだと、やるせない気持ちになります。
今回のグルジア問題について、日本では「遠い国で起こった自分達には無関係の事件」と、多くの人々が「無関心」のように見受けられます。
同様にこのリトアニアで起きた事件は、当時まだ10代で日本に住んでいた自分にとっても、見知らぬ遠くの国で起きた事件で、正直この場所を訪れるまで、その事実を知りませんでした。
2000年から世界を歌いながら旅していますが、年々世界は確実に「小さく」なってきている気がします。
移動技術や通信技術、インターネット等の発達によりそれを感じますが、身近な「原油価格問題」1つとってもわかるように、経済や生活といったレベルでもそれは確実に「遠くで起こっている事件」ですまされない時代が訪れようとしています。
地球上のどこかでおこった事件が引き金となり、身近な朝鮮半島問題、自分達が住む街でのテロ事件、自分達の生活や人生を大きく変えてしまう程の大きな流れへとつながる時代が訪れようとしています。
私達日本人が「日本人」であることを意識するのは、オリンピックやワールドカップといった国際試合や、仕事、旅行で海外に出た時位で、島国にニッポンでそれを感じる機会は幸か不幸かそれ程多くありません。
しかし近い将来、いやがおうでもそれを意識させられる日が来ることを、日本を遠くはなれて暮らしているとひしひしと実感します。
そしてそれはいずれ「地球人」という、今では大きすぎて実感がわかない、そんな単位へとシフトしていくことでしょう。
それは100年、200年といった遥か遠い未来などではなく、私達が生きている時代に確実にやってくると思います。
この十字架前でギターを片手に歌っていると、並んだ十字架が「この場所で起きたことを忘れないで」と語りかけているような気がしました。
自分達が住むこの地球上でかつて起こったこと、現在起きていること、これから起きようとしていることに対して、その事実、真実を少しでも知り、そして明日自分達がなすべきことを考え、「1人の地球人」として行動していきたいと思っています。