NHK日曜美術館 クリムト
まず、クリムトの基礎知識はウィキペディアから学んでください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%A0%E3%83%88
画像はこちらを参考にしてください。
http://www2.plala.or.jp/Donna/klimt.htm
http://www.ne.jp/asahi/art/dorian/K/Klimt/Klimt.htm
日曜美術館という番組の中で「クリムト」をすべて語ることはできない。
ついては、まったく知らない方、を対象に本ブログは「クリムト」を
ご紹介します。
まず、生きた時代を理解しましょう。
人は、経験から学ぶ。そこから、飛躍する。
時代は、オーストリア・ハンガリー帝国、ハプスブルク帝国の最後の時代だった。
フランツ・ヨーゼフ皇帝は1848年、18歳で即位。革命の激動期であった。
きらびやかな、爛熟した文明の朽ちる瞬間に立ち会ったのが彼自身である。
それは、未来への不安であり、信じるものを失った時代でもあった。
幼い頃は省略し、いきなり、彼の先鋭的な話からいたしましょう。
1894年にウィーン大学大講堂の天井画の制作を依頼される。
『学部の絵』と名づけられた天井画は『哲学』、『医学』[1]、『法学』の3部
からなる。
テーマは、人間の知性の勝利を高らかに歌いあげるという意図。
しかし、彼が描いたのは理性の優越性を否定する先鋭的な絵画であった。
その是非をめぐり大論争を引き起こし、契約の破棄、事前に受け取った報酬を
返却にまでいたる。
美術館および個人に売却された3枚の絵は後にナチスによって没収され、
1945年にインメンドルフ城において焼失。
非常に残念な結末である。
なぜ、当時の支配層に受け入れられなかったのか。
題材のタブーである裸体、妊婦、性描写を前面に押し出していた。
・・・エロティックであるが非常に印象的な絵画。
形而上学的な難しい話はここまでとして、日曜美術館から、3つのポイント
をご紹介する。
1、なぜ、金を多様したのか。
番組では、日本の影響を指摘する。
琳派に関する所蔵品が多く残されていた。
当時、ジャポニズムがウィーン万博を景気に欧州を席捲していた。
日本の俵屋・緒方の黄金の屏風に代表される美。
金の絵画への応用を日本の屏風絵から学ぶ
2、琳派からの影響は彼自身が金を扱う工芸職人の家に生まれて、
金粉などの取り扱いに長けていたこと。
琳派の画法を再現できる能力を備えていたことである。
同時に、かれは、構図の取り方も学んでいる。
アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ
ダナエ
の構図と緒形光琳の紅白梅図屏風の構図の取り方と類似する。
まさに屏風絵から構図を学ぶ。
参照: http://www.salvastyle.com/menu_japanese/korin.html
3、琳派の屏風絵からだけでなく、その所蔵品にもあった浮世絵からも
学んでいる。
浮世絵にある日本独自の文様である。
日本の浮世絵や着物に描かれた文様の面白さを彼は自分の絵画に
取り入れている。
最後に、なぜ、彼はエロスを追及したのか。
黄金は神に使う色として、古くから用いてきた。
それを、ふんだんに、男と女の情交の場面に、女のエロスに用いている。
番組の出演者は、生と死を意識していたようだ。
そう、すべてを脱ぎすてれば、人間みな生と死。
それは、「エロスの表裏」でもある。
とでもいいたげに。
皆さんは、彼の絵画から何を感じますか。
評論家の論評などどうでも良いでしょう。
ご覧いただいたあなたがどう感じたかです。
それこそが、彼ことクリムトが望んだことではないでしょうか。
上記の写真は私が好きな一枚です。(一部描写ですが・・・)
理由は書きません。
あなた自身が感じてください。(笑)
ご照会:日本人が書いたクリムト書籍
外国人の著者は多いのですが。・・・
まず、クリムトの基礎知識はウィキペディアから学んでください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%A0%E3%83%88
画像はこちらを参考にしてください。
http://www2.plala.or.jp/Donna/klimt.htm
http://www.ne.jp/asahi/art/dorian/K/Klimt/Klimt.htm
日曜美術館という番組の中で「クリムト」をすべて語ることはできない。
ついては、まったく知らない方、を対象に本ブログは「クリムト」を
ご紹介します。
まず、生きた時代を理解しましょう。
人は、経験から学ぶ。そこから、飛躍する。
時代は、オーストリア・ハンガリー帝国、ハプスブルク帝国の最後の時代だった。
フランツ・ヨーゼフ皇帝は1848年、18歳で即位。革命の激動期であった。
きらびやかな、爛熟した文明の朽ちる瞬間に立ち会ったのが彼自身である。
それは、未来への不安であり、信じるものを失った時代でもあった。
幼い頃は省略し、いきなり、彼の先鋭的な話からいたしましょう。
1894年にウィーン大学大講堂の天井画の制作を依頼される。
『学部の絵』と名づけられた天井画は『哲学』、『医学』[1]、『法学』の3部
からなる。
テーマは、人間の知性の勝利を高らかに歌いあげるという意図。
しかし、彼が描いたのは理性の優越性を否定する先鋭的な絵画であった。
その是非をめぐり大論争を引き起こし、契約の破棄、事前に受け取った報酬を
返却にまでいたる。
美術館および個人に売却された3枚の絵は後にナチスによって没収され、
1945年にインメンドルフ城において焼失。
非常に残念な結末である。
なぜ、当時の支配層に受け入れられなかったのか。
題材のタブーである裸体、妊婦、性描写を前面に押し出していた。
・・・エロティックであるが非常に印象的な絵画。
形而上学的な難しい話はここまでとして、日曜美術館から、3つのポイント
をご紹介する。
1、なぜ、金を多様したのか。
番組では、日本の影響を指摘する。
琳派に関する所蔵品が多く残されていた。
当時、ジャポニズムがウィーン万博を景気に欧州を席捲していた。
日本の俵屋・緒方の黄金の屏風に代表される美。
金の絵画への応用を日本の屏風絵から学ぶ
2、琳派からの影響は彼自身が金を扱う工芸職人の家に生まれて、
金粉などの取り扱いに長けていたこと。
琳派の画法を再現できる能力を備えていたことである。
同時に、かれは、構図の取り方も学んでいる。
アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ
ダナエ
の構図と緒形光琳の紅白梅図屏風の構図の取り方と類似する。
まさに屏風絵から構図を学ぶ。
参照: http://www.salvastyle.com/menu_japanese/korin.html
3、琳派の屏風絵からだけでなく、その所蔵品にもあった浮世絵からも
学んでいる。
浮世絵にある日本独自の文様である。
日本の浮世絵や着物に描かれた文様の面白さを彼は自分の絵画に
取り入れている。
最後に、なぜ、彼はエロスを追及したのか。
黄金は神に使う色として、古くから用いてきた。
それを、ふんだんに、男と女の情交の場面に、女のエロスに用いている。
番組の出演者は、生と死を意識していたようだ。
そう、すべてを脱ぎすてれば、人間みな生と死。
それは、「エロスの表裏」でもある。
とでもいいたげに。
皆さんは、彼の絵画から何を感じますか。
評論家の論評などどうでも良いでしょう。
ご覧いただいたあなたがどう感じたかです。
それこそが、彼ことクリムトが望んだことではないでしょうか。
上記の写真は私が好きな一枚です。(一部描写ですが・・・)
理由は書きません。
あなた自身が感じてください。(笑)
ご照会:日本人が書いたクリムト書籍
外国人の著者は多いのですが。・・・
![]() | クリムト 金色の交響曲 (Shotor Museum)宮下 誠小学館このアイテムの詳細を見る |