「美の壺:木造校舎」
長野県の塩尻市立木曽楢川小学校は、平成3年に木造校舎を新築。
地元のひのきをふんだんに使った、地元の人々による手作りの
木の香り漂う空間。
最近の環境保護を推進エンジンに、実は、木材が見直されている。
木には音を吸収したり、湿度を調整したりする働きがある。
昭和30年代以降、校舎といえば鉄筋コンクリートが主流でしたが、
木のもつ安らぎが見直され、木造の校舎を建てる学校が増えてきています。
今回の番組では、 明治から昭和にかけて建てられた学校を紹介する。
ほとんどが木造で、その土地の木材を使い、地域の人々の手によって
建てられたものも少なくありません。
今では、地域のシンボル的な存在になっている。
長い間使われてきた木造校舎の美しいたたずまい。
木造校舎は、人々の記憶が宿る、ふるさとの原風景です。
<美の壺1: そびえる塔は新時代のかたち>
明治9年に建てられた長野県松本市の旧開智学校。
西洋風の縦長の窓、バルコニー、天使のレリーフ、龍(りゅう)の彫刻など、
和と洋が入り混じった不思議なスタイル=擬洋風(ぎようふう)建築です。
明治のはじめ、外国人居留地などに建つ擬洋風建築の塔は、強い印象を
与えました。
上品で整った感じをかもし出す、新時代にふさわしい塔のある擬洋風建築
の校舎を見よう見まねで建築ました。
塔の内部には、舶来のステンドグラス、天井には授業の開始を告げる鐘
(太鼓の校舎も)、ペンキを塗り、石づくりのように見せた土台、
その上で、八角形の塔が異国風の姿など、西欧への憧れと、追いつき追い越せ
という時代の空気が凝縮している。
日本や世界の地名が記されている塔もある。
子どもたちはこの塔に登り、まだ見ぬ広い世界に夢を描いたのかもしれない。
旧開智学校の建設では7割を地域の人たちが寄付しました。
教育への熱い思いが、この校舎に込められています。
<美の壺2: 窓がとりまく 光の空間>
明治の中ごろ、学校建築のスタイルがわれわれの時代様式に変わります。
南向きの教室が一列に並ぶ細長い建物。
60~50歳の世代が思い浮かべる木造校舎です。
日本の学校は、窓が多いことが大きな特徴です。
教室の南側一面にとられた窓、廊下の窓、さらには廊下と教室を隔てる壁
にも窓。
木造校舎は窓に取り囲まれた空間なのです。
日本建築の伝統として、日本家屋の特徴を受け継いでいます。
障子をガラス窓に置き換えた様式です。
「窓がとりまく 光の空間」
開放的で光に満ちた教室は、日本の木造校舎独自のものです。
ハリーポッターに観るように、西欧の教室はどこか権威的です。
光りをたっぷりと確保した日本式の建築様式は、学校全体をゆったり
感じさせている。
美の壺3: ハレの舞台は天井を見よ
講堂は、学校では特別のものでした。
入学式や年次式を行う特別ないわば公式の格式ある場所でした。
明治初期に建てられた旧開智学校の講堂の天井には、シャンデリアや鳳凰
の彫刻などが飾られています。
岡山県高梁市の吹屋屋小学校は、古くから銅の産地として知られた地域で、
現存する木造校舎の中では、日本でもっとも古いものです。
講堂の壁と天井の境目がカーブを描いています。
寺院や城の天井に用いられてきた天井を高く豪華に見せる折上手法。
二重折上格天井の校舎も岡山県真庭市の旧遷喬尋常小学校で観られます。
吹屋小学校の講堂は広さ百畳あまり。この広い空間を支えているのは、
トラス構造という当時の先端技術でした。
トラス構造は、木材を三角形に組み合わせて強度を高めるもので、
橋などの建設に用いられます。
その技術が講堂の天井に使われ、大きな空間を支えている。
現在、木造校舎の運命は多種多様です。
廃校後、国の重要文化財に指定され、今も地域の行事などに使われている。
地元の木を使い、技巧を凝らして作り上げられた木造校舎は、
今も地域の人々にとってかけがえのない宝物なのです。
そう、大切な宝物。
アルミサッシに替える計画が頓挫したのも当たり前です。
長年使われ続け、磨かれた木の床。
木枠の窓を開け閉めするときに聞こえる音。
“時”が作りあげた独特の味わい。
しかし、壊されてしまった木造建築の方が多いのです。
芋太郎の小学校もそうでした。
安全という名前で、伝統文化に対しあまりにも無関心でいた昭和の時代です。
明治の校舎だけではなく、もっと伝統のある建物に対しても。
手間もお金もかかるけど残してゆこうとする精神が文化を育み、日本という
国を誇りに思うことにつながると考えます。
お金は使って何ぼのものです。
今の平成時代は、勝ちある投資をしているのでしょうか。
そのな危惧を思う番組でした。
上記の写真は、芋太郎の奥が通学した鹿児島県出水市の小学校です。
建物は別に、城門がすごいでしょう。
昔は、男子生徒しか通れなったと聞きました。
島津藩に関わる建物です。
時代の融合もまたいいでしょう。
写真集の紹介をします。関東編です。別に関西・中四国も
あるみたいです。
長野県の塩尻市立木曽楢川小学校は、平成3年に木造校舎を新築。
地元のひのきをふんだんに使った、地元の人々による手作りの
木の香り漂う空間。
最近の環境保護を推進エンジンに、実は、木材が見直されている。
木には音を吸収したり、湿度を調整したりする働きがある。
昭和30年代以降、校舎といえば鉄筋コンクリートが主流でしたが、
木のもつ安らぎが見直され、木造の校舎を建てる学校が増えてきています。
今回の番組では、 明治から昭和にかけて建てられた学校を紹介する。
ほとんどが木造で、その土地の木材を使い、地域の人々の手によって
建てられたものも少なくありません。
今では、地域のシンボル的な存在になっている。
長い間使われてきた木造校舎の美しいたたずまい。
木造校舎は、人々の記憶が宿る、ふるさとの原風景です。
<美の壺1: そびえる塔は新時代のかたち>
明治9年に建てられた長野県松本市の旧開智学校。
西洋風の縦長の窓、バルコニー、天使のレリーフ、龍(りゅう)の彫刻など、
和と洋が入り混じった不思議なスタイル=擬洋風(ぎようふう)建築です。
明治のはじめ、外国人居留地などに建つ擬洋風建築の塔は、強い印象を
与えました。
上品で整った感じをかもし出す、新時代にふさわしい塔のある擬洋風建築
の校舎を見よう見まねで建築ました。
塔の内部には、舶来のステンドグラス、天井には授業の開始を告げる鐘
(太鼓の校舎も)、ペンキを塗り、石づくりのように見せた土台、
その上で、八角形の塔が異国風の姿など、西欧への憧れと、追いつき追い越せ
という時代の空気が凝縮している。
日本や世界の地名が記されている塔もある。
子どもたちはこの塔に登り、まだ見ぬ広い世界に夢を描いたのかもしれない。
旧開智学校の建設では7割を地域の人たちが寄付しました。
教育への熱い思いが、この校舎に込められています。
<美の壺2: 窓がとりまく 光の空間>
明治の中ごろ、学校建築のスタイルがわれわれの時代様式に変わります。
南向きの教室が一列に並ぶ細長い建物。
60~50歳の世代が思い浮かべる木造校舎です。
日本の学校は、窓が多いことが大きな特徴です。
教室の南側一面にとられた窓、廊下の窓、さらには廊下と教室を隔てる壁
にも窓。
木造校舎は窓に取り囲まれた空間なのです。
日本建築の伝統として、日本家屋の特徴を受け継いでいます。
障子をガラス窓に置き換えた様式です。
「窓がとりまく 光の空間」
開放的で光に満ちた教室は、日本の木造校舎独自のものです。
ハリーポッターに観るように、西欧の教室はどこか権威的です。
光りをたっぷりと確保した日本式の建築様式は、学校全体をゆったり
感じさせている。
美の壺3: ハレの舞台は天井を見よ
講堂は、学校では特別のものでした。
入学式や年次式を行う特別ないわば公式の格式ある場所でした。
明治初期に建てられた旧開智学校の講堂の天井には、シャンデリアや鳳凰
の彫刻などが飾られています。
岡山県高梁市の吹屋屋小学校は、古くから銅の産地として知られた地域で、
現存する木造校舎の中では、日本でもっとも古いものです。
講堂の壁と天井の境目がカーブを描いています。
寺院や城の天井に用いられてきた天井を高く豪華に見せる折上手法。
二重折上格天井の校舎も岡山県真庭市の旧遷喬尋常小学校で観られます。
吹屋小学校の講堂は広さ百畳あまり。この広い空間を支えているのは、
トラス構造という当時の先端技術でした。
トラス構造は、木材を三角形に組み合わせて強度を高めるもので、
橋などの建設に用いられます。
その技術が講堂の天井に使われ、大きな空間を支えている。
現在、木造校舎の運命は多種多様です。
廃校後、国の重要文化財に指定され、今も地域の行事などに使われている。
地元の木を使い、技巧を凝らして作り上げられた木造校舎は、
今も地域の人々にとってかけがえのない宝物なのです。
そう、大切な宝物。
アルミサッシに替える計画が頓挫したのも当たり前です。
長年使われ続け、磨かれた木の床。
木枠の窓を開け閉めするときに聞こえる音。
“時”が作りあげた独特の味わい。
しかし、壊されてしまった木造建築の方が多いのです。
芋太郎の小学校もそうでした。
安全という名前で、伝統文化に対しあまりにも無関心でいた昭和の時代です。
明治の校舎だけではなく、もっと伝統のある建物に対しても。
手間もお金もかかるけど残してゆこうとする精神が文化を育み、日本という
国を誇りに思うことにつながると考えます。
お金は使って何ぼのものです。
今の平成時代は、勝ちある投資をしているのでしょうか。
そのな危惧を思う番組でした。
上記の写真は、芋太郎の奥が通学した鹿児島県出水市の小学校です。
建物は別に、城門がすごいでしょう。
昔は、男子生徒しか通れなったと聞きました。
島津藩に関わる建物です。
時代の融合もまたいいでしょう。
写真集の紹介をします。関東編です。別に関西・中四国も
あるみたいです。
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