当初、四十九日の法要は、初七日後は、空き家となっている実家の仏壇に仮に安置していた。というのは、実家から徒歩5分ほどの山中に累代墓があるため、そこへ四十九日には納骨しようと考えていた。それと最大の理由は、実家へ帰り生活したいとの願いがあったため、特養ホームでなければ身動きが取れなかったのであるが、介護者もいない実家で、さらには車いすを室内で利用できる環境ではなかったので、そもそも一人での生活は困難であった。
義母のそのような願いを亡くなった後では意味をなさないことも承知で、せめて、四十九日までは既に亡くなっている義父とともに居させたいとの女房の希望があった。周りの親戚の話では、お寺に頼めば、菩提を弔らってくれるので、預けたほうが良いと散々いわれたのであるが、今回は実家に戻すことにしていた。
そのため、四十九日の法要を実家で行うこととし、親せきや住職に実家へ集まるよう案内をしてきたところである。そうすれば、住職に経をあげてもらった後、埋葬することができると考えていた。ところが連日の降雨で、参道までの山道が滑りやすいため、急遽、会場をお寺に変えることとなってしまい、予定が狂ってしまった。仕方なく自宅に仮安置していた遺骨をお寺へ運ぶことになった。今後はお寺の方で初盆まで弔らってもらうことになる。
法事は10月1日に行ったのでそれまでの間、自分は実家の片づけと障子の張替を担当し、9月28日の飛行機便で、一足早く九州入りをした。九州も秋雨前線の影響で、連日の降雨であった。それでなくとも、山間部にある実家は窓を閉め切ってあるので、室内は湿気が強い。すべての窓を開け、雨天であったが、雨が降りこまない範囲で、風通しを行った。併せて、張り替える障子の数を数えたが、50枚弱もあり、果たしてどれだけ張り替えることができるか、途方に暮れた。
障子はただ古い障子紙をはがせばよいわけではなく、長年張替えをしてきているが、破れた箇所を補修し、桟を洗わずに張ってあるため、古い桟のアクを吸って、ところどころ色が変わっていた。そのためどうしても洗いが必要となる。破れがない障子はそのままにし、実際に24枚ほど風呂場で洗う作業を行った。半数の障子である。部屋で乾かしたが、十分ではなく、それでも、11月3日に帰京するまでに20枚ほど障子紙を張った。