鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

後片付けの余禄

2016年10月11日 00時00分01秒 | 紹介

  義父を筆頭に、女房の家族は総じて達筆である。書家ではないが、地域の文化活動等にも何度も応募し、優秀なる賞状を手にしている。習字ばかりではなく、ペン字やボールペンの字もバランスが取れていて、美しい。義兄もなかなかの達筆で、今回、義母の葬儀には、一役買ってくれた。とっさの時に必要となるお布施、お礼、志等の封筒への表記である。自分はいつも筆ペンを用意しているが、今回はすべて義兄へお願いした。

 

 子供のころから墨筆は嗜みとして、女房の家系では行われていたようである。手紙や葉書で文通する習慣は徐々に失われてきている。ワードプロセッサーの登場、キーボードに打ち込めば、容易にプリンターから印字される。字体(フォント)も多くあり、楷書や草書、ゴシック体、明朝体、古印字体や隷書まで、選ぶことが可能である。そのような生活が普通となった今、改めて、習字を語る術もないが、しかし、機械で打ち込んだ字はどことなく冷たく感じ、人の字に込める思いも薄らいでいるように感じてならない。

 

 未だ、お歳暮やお中元の表書きには、専門の墨筆家が重宝されているようで、特別の存在になっている。人が書くことによって醸し出す暖かさを多くの人が求めているのかもしれない。芸術的な文字は必要ない、墨が持っている濃淡が、美しいのである。

 

 さて、長年空き家となった女房の実家の片づけを行っているが、何日も行っているわけにはいかず、帰省しても一週間ぐらいである。その間に少しずつではあるが、遺品等を整理している。義父の死後、義母だけが一人で生活していたが、寄る年波には勝てず、特別養護老人ホームへ入所してからは、ほとんど手付かずの状態となっていた。

 

 今般、義母の四十九日の法要のために帰省し、遺品の整理がてら、片づけを続けた。本棚にあったのは、長年義父が愛用していた硯である。義母も使っていたのかもしれないが、年季が入った端渓の硯である。赤石で、松竹梅の彫刻が施されていて、いかにも切り出したままの形で、見るからに立派なものである。早速、固まった墨かすを水に浸けて溶かしだし、ブラシで洗ったところ、新品と見間違うほどきれいな姿となった。

 

 義兄が引き継ぐのが好ましいと思い、女房に伝えたところ、大賛成であった。遺品としてはこれ以上のものがないと感じていたので、次回に顔を合わせたときに渡したいと思っている。