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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

意見を言わない

2017-05-30 11:12:27 | 教育
>「自分の意見を言わない」「主体性がない」と最近の子どもは言われます。
>でも子どもたちは自分の意見を持っていないのでしょうか。
>私は子どもの豊かな感受性や潜在思念には計り知れない可能性があると思います。
>観念に縛られず、常に何か新しいことを見つけては楽しそうにしている。
>ではなぜ子どもは自分の意見を言えなくなっているのか。

→リンク

>問題①話のテーマに興味がない
>提案①関心があるテーマについて話をしてみる

よいですね。興味は、利子・利益に通じていますね。

>問題②意見が出るような聞き方をされていない
>提案②意見が出るような質問をしてみる(「なぜだと思う?」「どうすればいいと思う?」)

皆で仲良く考えろ。なぜなぜ赤い、赤い実を食べた。

>問題③間違いをおそれている
>提案③意見には正解も不正解もないことを教える

師に教えを乞う。暗記力の問題を課せられる。唯一の正解を求められる。自己の発想は必要としない。これでは、良くない。

>問題④他と同じことがいいと勘違いしている
>提案④他と異なる考えや意見こそが重要であると教える

そうですね。私もそのように努力しています。矛盾のない考えは、すべて正しい。考えは、人により違っている。(個人主義)

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>これらは表面的な理由と対応であると思います。
>子どもは親や大人が思っているよりも洞察力があるし、相手に対して同化する力があると思います。

そうですね。

>子どもに「教える」立場でいると、子どもは心を開いてくれないのではないでしょうか。

Spoon-feeding (自主性を持たせずに押し込むように教えること) は、ほどほどにしないといけませんね。

>意見が言えないのは意見が言えない相手(大人や社会)だからです。

権威主義 (authoritarianism) のためですね。

>子どもが意見を言えるようになるには、まず「子どもたちと一緒に活力を持って追求していくんだ」という姿勢を身につける必要があると思います。

同感です。


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何もしない

2017-05-29 05:19:53 | 日本語脳
>ネットの中で言われている、いまや有名かもしれない言葉・・・「日本人は何もしないためなら何でもする」

‘ああ言えば、こういう’ といった態度ですね。

>日本をよく知る外国人が語った言葉とされていますが、この言葉について、しみじみ「その通りだな…」と感じずにいられません。

私も同感です。

>「やらない」ためには、どんな言い訳でもする。

静観が日本人の基本でしょう。

>「変化しない」ためには、どんな言い訳でもする。

そうですね。変化が無ければ、安心出来ます。日本人には、未来は見えていない。

>やる前から「できない」、だから「仕方ない」。

日本人には、意思が無い。意思の無いところには、方法がない。だから、できない。仕方 (方法) がない。

>その実は、「やりたくない」「変化したくない」。

日本人には、世界観が無い。移行すべき次の世界が考えられない。お変わりないのが、何よりです。天下泰平の世の中です。

>自分で動くのではなく、「誰かに変えて欲しい」。

他力本願ですね。傍観者ですね。

>誰かが変えてくれないなら、「しょうがない」。

何事も諦めが肝心です。

>自らが変化しないためには、どんな言い訳でもし、どんな不都合な現実にも目をつむる。

変化は困る。先が見えていないから、不安である。

>不都合な現実や、考えたくないことには、蓋をすれば万事解決。

不都合な現実を見れば、気分が悪くなる。不安になるから考えたくない。蓋をする以外に方法はない。

>こういう国民性なのだということを痛感します。それは原発事故後にも様々な場面で見かけられてきました。

見ざる、聞かざる、言わざる、ですね。The see-not, hear-not, and speak-not monkeys.

>自分たちの住む場所が汚染されているとわかっても、動けないのだから仕方ない。お金がない。仕事がない。誰もやってくれない。

実況放送・現状報告の内容ですね。ないないづくしですね。

>でもそれを打破しようという「言動」「姿勢」さえもない。どうすれば実現できるか実現のためのアイデアを考える作業のようなこともない。

意思の無いところには方法がない。日本人には、意思が無い。意思は未来時制の文章内容です。日本語には、時制が無い。
日本人の精神活動は、文章・言説では言い表せません。心から心へと伝えられるものです。以心伝心・不立文字。

>最初からできない前提になっている。最初から諦める。仕方ない、と。

意思のある所に方法はある。Where there’s a will, there’s a way. 意思の無いところには、方法のないことが前提になります。何事も、諦めが肝心です。無為無策でいる。座して死を待つ。いさぎよい。

>とにかく、「困難に打ち克って行動を起こすことに関しては天下一・天才的」なのであればいいのだけど、そうではなく「やらない言い訳をすることに関しては天下一・天才的」というのがあちこちに見えるのです。

残念ですね。言い訳しかできませんね。日本人には、現実しかないのです。聡明な人間になるのには、非現実の考えが必要です。非現実の内容を現実の内容に変換する方法を考えつけば、現実の問題は解決します。
現実の世界は一つですが、非現実の世界は、過去・現在・未来と三つあります。これは世界観です。世界観を持つには、言語に時制が必要です。時制は日本語にはありませんが、英語には有ります。だから、英米流の高等教育を受ければ、行動の問題は解決します。



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総理のご意向

2017-05-26 21:16:21 | 政治

>総理が直接言ったのでなければ「総理のご意向」などという言葉にはならないから、最初から結論は分かっていたことなのだが、前川自身、その「ご意向」が安倍総理自身から発せられたものとは認識していないのだ。

そうですね。言い伝えのようなものですかね。

>はっきりと「内閣府の審議官が語ったという言葉」と言及しているから、これは「政治家対官僚」の話ではなく、あくまで「官僚対官僚」のやり取りに過ぎない。

官僚たちは、総理の名前を勝手に利用しているのですか。その意図は何ですかね。

>要するに、加計学園問題とは、所詮この程度のものなのだ。

政治家たちは、官僚たちのやり取りを、この程度のこととして見逃しているのですかね。加計学園問題は、財政支出に関する問題ではないですか。

>この程度の官僚同士のやり取りに関して、国会の貴重な時間を費やして、問題の埒外にいる政治家の責任を追及するなどということは、最初から無駄なのである。

官僚たちの総理の名前を利用した国費の使い方に問題が生じているのでしょう。問題の埒外の政治家の名前を持ち出す理由が官僚のどこにあるのでしょうかね。単なる遊びですか。

>加計学園問題にまつわる安倍総理批判の材料は、それを朝日新聞に持ち込んだ前川自身が「本物だ」と言い張っている、内輪のメモ書。

内輪のメモ書き以上のものが無いのですかね。もっと正式な長文のものはないのですかね。

>あたかもこれが政界を揺るがす疑獄事件であるかのように朝日新聞が報道し、他の左派メディアが追随し、それに便乗して民進党が吠えているが、そもそも騒がれるような問題ですらない。

政治家の右派であれ左派であれ、手足である官僚が愚行に走るのを見逃すのは、政治家として好ましくありませんね。

>天下り問題で引責辞任した元官僚が、あろうことか、恨みつらみや自己保身、官僚組織内の権力闘争に総理の名まで使うという愚行こそ、糾弾されるべきではないのか。

政治家が、官僚対官僚の愚行を放置しておくと、政治家自身の本分にも支障をきたすことになるのではありませんか。政治家からの糾弾がどうしても必要ですね。国語力を養う必要がありますね。

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>麻生太郎財務相は26日の閣議後会見で、学校法人「加計(かけ)学園」の獣医学部新設を「総理のご意向」などとした文書の存在を前文部科学事務次官が認める発言をしたことについて、「今の次官はそんなことは言っていない。退職した人がどう言おうと、私が関わる話ではない」と述べた。

政治の事は政治家が語る。次官に政治を語る資格はない。次官の問題は、ひとえに勤務態度の問題である。政治家の意思を理解して働くのではなく、その意向の忖度 (自分勝手な解釈) により動くことにある。このことについては、現職・退職の区別には関係が無い。この行動様式は、我々の民族文化と深い関係が有ります。




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忖度政策の国

2017-05-25 22:24:20 | 日本語脳
> 安倍首相は、福島瑞穂議員の追及に対して、次のように逆襲している。 >確かに加計氏は私の長年の友人だ。 >ゴルフも食事もする。 >しかしだからと言って私が加計氏を優遇しろと直接関与した事はない。 >そんなことをするわけがないだろう。 >そんなことをしていたなら責任を取るのは当然だ。 >私を批判する貴方は、そんなことを言って責任を取れるのか、と。>これは究極の開き直りだ。>しかし、この安倍首相の開き直りは、誰も有効に反論できない、最強の開き直りなのである。

> 安倍首相は、福島瑞穂議員の追及に対して、次のように逆襲している。 >確かに加計氏は私の長年の友人だ。 >ゴルフも食事もする。 >しかしだからと言って私が加計氏を優遇しろと直接関与した事はない。 >そんなことをするわけがないだろう。 >そんなことをしていたなら責任を取るのは当然だ。 >私を批判する貴方は、そんなことを言って責任を取れるのか、と。>これは究極の開き直りだ。>しかし、この安倍首相の開き直りは、誰も有効に反論できない、最強の開き直りなのである。

日本人の精神活動は、文章・言説では表現できない。心からこころへと伝えられるものである。すべての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。我々は、’考える人’ にならなくてはならない。我が国には、人手不足はあっても、頭脳不足の話は聞いたことが無い。
意思は、未来時制の文章内容になる。文章には意味がある。矛盾があれば、それも指摘できる。だから、議論になる。だが、これは英語での話である。
日本語には、時制 (tense) というものがない。だから、日本人には意思 (will) が無い。優柔不断・意志薄弱に見える。無心に見える政治家は、’よきにはからえ’ と官僚に言っているのか。
日本人には意思が無くても、恣意 (私意・我がまま・身勝手) がある。恣意 (self-will) は、文章にならないので、意味が無い。矛盾も指摘されることはない。公開されないので、お互いに腹の探り合いをしている。そこで、官僚は、上司のこころを忖度 (推察) して、自己昇進の手を打つ。

>森友疑惑といい加計疑惑といい、その直接の責任は、安倍首相にはない。> 安倍首相に人事を握られた官僚たちの「忖度」にこそあるのだ。> 忖度に基づいた政策決定にある。

そうですね。阿吽の呼吸は、民主主義を破壊しますね。政策決定は、万機公論に決すべしですね。忖度は恣意ですね。リーズン (理性・理由・適当) になりませんね。アンリーズナブルな行為は何人と言えども許されませんね。

(略)

>この国は、官僚による忖度政策の国であり、それを見過ごす大手メディアがメディアを支配する国である。

官僚は、政治に参加できないのではありませんか。官僚が、政治家の政治活動を妨げることなど言語道断でしょう。忖度は、自分勝手な解釈ですね。大手メディアは、’万機公論に決すべし’ とは言えないのですか。’不適切ではあるが、違法とは言えない’ という処世術の常套手段の運用により、我々の良識は完全に抑え込まれている状態ですね。現実向けの学習ばかりで、’あるべき姿’ を目指す教養教育がなされていない結果ですね。金高では測れない生活の質ですね。

>加計疑惑によって安倍政権が倒れる事はないと私が気づいた理由がそこにある(了)

政治家たちの頭が弱いと気が付いたのですね。官僚の忖度 (推察) が公論を妨げる事のないように、我が国の政治家は一丸となって努力しないといけませんね。恣意よ、さらば。



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近代思想

2017-05-24 20:14:13 | 日本語脳
>1970年を境とした変化は、国際的な経済競争の激化と産業構造・企業活動・仕事世界の流動化・複雑化、豊かな情報消費社会の進展とライフスタイル・価値観の多様化、、などといった変化の類なのだろうか。

実学 (技術) の発展でしょうね。我が国においては、人手不足はたくさん耳にするが、頭脳不足はとんと聞いたことが無い。頭脳労働に焦点が合うような国ではない。

>明治の近代化以降、西洋の近代思想を輸入し、国家を挙げて市場拡大に躍起になった。

自由・人権の拡大、自我の解放、個の確立といった近代思想は、有難い経典のお題目の様なものであって、現実の市場とは関係が無かった。

>誰もが豊かさを求め、近代思想をバイブルとし、勉強に励み、受験戦争を勝ち抜き、市場の牽引車になっていった。

序列競争は、物質の豊かさの獲得競争に変身していた。バイブルは知的改善には役に立たなかった。

>日本においては1970年頃、ついに豊かさを実現した。

正確には、物質的豊かさを実現した。ということでしょう。

>つまり、豊かさ追求の方程式は成立しなくなった。

教養の豊かさは、理解されずじまいとなった。哲学は、空念仏のまま捨てておかれた。

>かつては、時代の要請は先進国の仲間入り、豊かさ追求にあった。

我が国は、経済大国として先進国の仲間入りができた。しかし、人間として大切な尊敬というものは得られなかった。

>だからこそ、それに応じた学術が必要とされたに過ぎない。

豊かさ追求のための学術とは、実学 (技術) のことだったのでしょうかね。学術は、学問と技術でしょう。

>そうである以上、今現在の社会の要請は何か、人々の期待は何か、そこに応えていくのが学術の役割であり、教育の存在意義である。

我が国には、なんでもある。ただ、夢と希望がない。夢・希望は非現実の内容です。それは、哲学の内容です。だが、無哲学・能天気の民には、その期待はできない。応えることもできない。

>「21世紀の教養と教養教育」は大学教育のカリキュラムへと提言が続くが、まずもって学術界を牽引してきた学者自らが、その拠って立つ思想を総括し、人類史に遡り社会構造を解明し、今後の社会をつくっていく新たな理論構築をすべきであろう。

日本人には、非現実の内容は想定外になっています。非現実は現実ではない。だから、非現実には実感がない。哲学は、きれいごとになる。
人類史は過去の内容、今後の社会は未来の内容ですね。かような非現実を、学者自らが理論構築をすることは出来ないでしょう。日本語脳内では、それは真っ赤なウソになる。

>それ無しにこれまで同様、近代思想を大事にしたままの教育を続けても全くもって意味がないどころか、ますます迷宮に入るだけである。

近代思想の勉強は、意味の解らぬ経典を暗記するようなものですね。平和憲法が日本の平和を守ると信じるようなものでしょうか。ますますの迷宮入り。
日本人には非現実の文章ができないのであるから、非現実の内容は日本語脳には定着しません。意味もないから、その矛盾さえも指摘できません。疾く風化します。これを雑念というのかな。
哲学は、日本人には信じられない。その場限りの方便となる。箔がつくのか、浅はかな人生か。




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