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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

田原総一朗氏

2020-01-10 10:59:30 | 政治

> 田原総一朗です。
>僕は、「君が代」にも「日の丸」にもおおいに抵抗感がある。

特に、’君が代’ は古い感じがしますね。

>「太平洋戦争は侵略戦争であり、その侵略のシンボルとして、日の丸・君が代が使われた」と教えられたからだ。>なので僕自身、40歳を過ぎるまでは太平洋戦争は侵略戦争だと思い込んでいた。

それは、戦後教育の成果ですね。

>だが、40過ぎる頃から太平洋戦争を侵略戦争だと決め付けるのはおかしい、と思い始めた。>歴史を調べると、太平洋戦争を始めた人達の中に、日本が勝つと思っていた人はほとんどいなかった。>山本五十六元帥を始め幹部達は半年、長くても1年戦うのが限界だと考えていた。>そして半年や1年の戦争で勝てるとは誰も思っていなかった。

してみると、開戦はきちがい沙汰でしたね。まともな言論 (正論) は考えられなかったのでしょうかね。

>負けるに決まっている侵略戦争などする人間はいない。>太平洋戦争は日本は世界で孤立し、戦争せざるをえないとこへ追い込まれたと僕は捉えている。

日本人の自業自得ですね。日本人には意思がない。受動があって能動がない。受け身の解釈に熱中しても閉塞感が募るばかりで解決策など出てこない。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 意思の無い人には打開策がない。仕方がないので、無為無策でいる。座して死を待つのみか。

>なぜ孤立したのか。

日本人には意思がない。だから、外国人とも意思疎通ができない。だから、理解が得られずに孤立する。
意思 (will) は未来時制の文章内容である。しかるに、日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから日本語の脳裏には未来時制は無く、日本人には意思がない。

>僕は、大東亜戦争は侵略戦争ではないと思う。

それでは、何のための戦争でしたかね。政治哲学の問題ですね。

>しかし、満州事変と日中戦争は侵略戦争だと捉えている。

わが国は、たくさんの戦争を同時にやっていたのですね。侵略戦争だけでもやめていたら、それだけ罪も軽かったでしょうに。

>ただし、満州事変は始めてもイギリスやアメリカが支持してくれる、と思い込んでいた。

自己に有利な思い込みは、危険ですね。怪我の元です。

>現にイギリスは日本を支持し、アメリカは干渉しなかった。>侵略戦争が良いとは思わないが、いわゆる先進国はイギリスをはじめ例外なくいずれも侵略戦争をたびたび行い、戦争に勝って相手を植民地にしてきた国である。

現実の内容は千変万化する。現実対非現実 (理想) の比較には見るべきものもありますが、現実対現実の横並びの比較は時代が変わるから結論も変わり危険ですね。

>誤解を恐れずに言えば、勝てば官軍である。

そうですね。力は正義ですね。Might is right. 我々は、どうしても世界一の強国になる必要がありますね。これを怠ることはできません。

>問題は日中戦争だ。>日中戦争の発端である盧溝橋事件は中国側が先に撃ったのである。>盧溝橋の現地人は停戦協定を結んだ。>ところが参謀本部が中国をやってしまえ、という事になった。>中国を完全に甘くみていたのである。

孫子の兵法 (謀攻編) によれば、’彼を知り己を知れば、百戦危うからず’ ですね。相手を甘く見る軍人は兵法にかなっていませんね。参謀本部の本部長は誰でしたかね。

>そして、イギリスやフランスが日本を支持してくれると思い込んでいたのだ。

思い込みは危険ですね。特に、自己に有利な内容の思い込みは致命傷になることがあります。ことは慎重に進める必要があります。

>ところが、その中国の利権を巡ってイギリスと対立関係となった。>イギリス、フランス、そしてアメリカ等が日本と険悪な状態になり、ついに孤立してしまった。

自己に不利な内容の思い込みをしていれば、わが国はもっと慎重に行動できたかもしれませんね。’和を以て貴しとなす’ はどうなっていたのでしょうかね。

>そして大東亜戦争に突入せざる得なくなった。

‘負ける’ を覚悟の開戦ですね。あえて敗者の不義を自己の背に負う覚悟の戦いですね。

>米・英・蘭、そして中、更にロシアまで敵にして勝てるはずがない。>はじめから負けるに決まってる戦争に突入してしまったわけだ。

国民に、敗戦の覚悟は十分できていたでしょうかね。恣意の決定 (盲目の決定) でしょうね。

>僕は、戦後「君が代」日の丸は当然作りかえられるものだと思っていた。>ところが、結局作り変えられることなく60年以上たってしまった。

優れた代案が無かったようですね。人心の一新も難しいですね。

>僕自身にもおおいに責任はあるが、ここまで来ると抵抗感がありながら認めざるを得ないのかなと思う。

元の木阿弥に返ったのですね。私にも代案はありませんね。

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> 田原総一朗です。
>僕は、「君が代」にも「日の丸」にもおおいに抵抗感がある。

特に、’君が代’ は古い感じがしますね。

>「太平洋戦争は侵略戦争であり、その侵略のシンボルとして、日の丸・君が代が使われた」と教えられたからだ。>なので僕自身、40歳を過ぎるまでは太平洋戦争は侵略戦争だと思い込んでいた。

それは、戦後教育の成果ですね。

>だが、40過ぎる頃から太平洋戦争を侵略戦争だと決め付けるのはおかしい、と思い始めた。>歴史を調べると、太平洋戦争を始めた人達の中に、日本が勝つと思っていた人はほとんどいなかった。>山本五十六元帥を始め幹部達は半年、長くても1年戦うのが限界だと考えていた。>そして半年や1年の戦争で勝てるとは誰も思っていなかった。

してみると、開戦はきちがい沙汰でしたね。まともな言論 (正論) は考えられなかったのでしょうかね。

>負けるに決まっている侵略戦争などする人間はいない。>太平洋戦争は日本は世界で孤立し、戦争せざるをえないとこへ追い込まれたと僕は捉えている。

日本人の自業自得ですね。日本人には意思がない。受動があって能動がない。受け身の解釈に熱中しても閉塞感が募るばかりで解決策など出てこない。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 意思の無い人には打開策がない。仕方がないので、無為無策でいる。座して死を待つのみか。

>なぜ孤立したのか。

日本人には意思がない。だから、外国人とも意思疎通ができない。だから、理解が得られずに孤立する。
意思 (will) は未来時制の文章内容である。しかるに、日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから日本語の脳裏には未来時制は無く、日本人には意思がない。

>僕は、大東亜戦争は侵略戦争ではないと思う。

それでは、何のための戦争でしたかね。政治哲学の問題ですね。

>しかし、満州事変と日中戦争は侵略戦争だと捉えている。

わが国は、たくさんの戦争を同時にやっていたのですね。侵略戦争だけでもやめていたら、それだけ罪も軽かったでしょうに。

>ただし、満州事変は始めてもイギリスやアメリカが支持してくれる、と思い込んでいた。

自己に有利な思い込みは、危険ですね。怪我の元です。

>現にイギリスは日本を支持し、アメリカは干渉しなかった。>侵略戦争が良いとは思わないが、いわゆる先進国はイギリスをはじめ例外なくいずれも侵略戦争をたびたび行い、戦争に勝って相手を植民地にしてきた国である。

現実の内容は千変万化する。現実対非現実 (理想) の比較には見るべきものもありますが、現実対現実の横並びの比較は時代が変わるから結論も変わり危険ですね。

>誤解を恐れずに言えば、勝てば官軍である。

そうですね。力は正義ですね。Might is right. 我々は、どうしても世界一の強国になる必要がありますね。これを怠ることはできません。

>問題は日中戦争だ。>日中戦争の発端である盧溝橋事件は中国側が先に撃ったのである。>盧溝橋の現地人は停戦協定を結んだ。>ところが参謀本部が中国をやってしまえ、という事になった。>中国を完全に甘くみていたのである。

孫子の兵法 (謀攻編) によれば、’彼を知り己を知れば、百戦危うからず’ ですね。相手を甘く見る軍人は兵法にかなっていませんね。参謀本部の本部長は誰でしたかね。

>そして、イギリスやフランスが日本を支持してくれると思い込んでいたのだ。

思い込みは危険ですね。特に、自己に有利な内容の思い込みは致命傷になることがあります。ことは慎重に進める必要があります。

>ところが、その中国の利権を巡ってイギリスと対立関係となった。>イギリス、フランス、そしてアメリカ等が日本と険悪な状態になり、ついに孤立してしまった。

自己に不利な内容の思い込みをしていれば、わが国はもっと慎重に行動できたかもしれませんね。’和を以て貴しとなす’ はどうなっていたのでしょうかね。

>そして大東亜戦争に突入せざる得なくなった。

‘負ける’ を覚悟の開戦ですね。あえて敗者の不義を自己の背に負う覚悟の戦いですね。

>米・英・蘭、そして中、更にロシアまで敵にして勝てるはずがない。>はじめから負けるに決まってる戦争に突入してしまったわけだ。

国民に、敗戦の覚悟は十分できていたでしょうかね。恣意の決定 (盲目の判断) でしょうね。

>僕は、戦後「君が代」日の丸は当然作りかえられるものだと思っていた。>ところが、結局作り変えられることなく60年以上たってしまった。

優れた代案が無かったようですね。人心の一新も難しいですね。

>僕自身にもおおいに責任はあるが、ここまで来ると抵抗感がありながら認めざるを得ないのかなと思う。

元の木阿弥に返ったのですね。私にも代案はありませんね。

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子ヤギたち 1/2

2019-12-24 09:18:59 | 政治
オオカミと七ひきの子ヤギたち。The Wolf and the Seven Young Goats
ある母親のヤギは7匹の子供を持っていて彼女は森に食べ物を探しに出ていた。
母親は出かける前に子ヤギたちに大きな悪いオオカミについて警告した。そのオオカミは家に忍び込んで子ヤギたちを丸のみにする。そのオオカミは、母親の真似をして、ドアその子供たち開けることを納得させる。その子ヤギたちは、母親の白い足と美声によって真の母親を見分けることが可能である。とのことである。
その母親が去って7匹の子供たちが家に残った。まもなく ‘子供たちよ、私を中に入れてください。あなたの母親は一人一人に与える何物かを持っている’ というと声がした。彼のしゃがれたこえは彼を裏切った。その子供たちは彼を中に入れなかった。そのオオカミは市場に行って蜂蜜を盗んで声を美声に変えた。
少し経つと、その子供たちはドアの所でまた別の声を聴いた。’子供たちよ、あなたの母親はあなたがた一人ずつに与える何物かを持って来ている’ このたびは、声は高くて彼らの母親のように美しかった。
彼らは、彼を入れようとした。最も若い子供がドアの隙間より観察していて、オオカミの大きな黒い足をみた。彼らはそのドアを開けることを拒否した。そのオオカミは再び去って行った。
そのオオカミは、パン屋に行って粉を盗んだ。コートの上にその粉を塗って彼の黒い足を白く変えた。
彼は子供たちの家に返ってきて、’子供たちよ、私を入れておくれ。あなた方の母親はあなたがた一人ずつに与える何かを持っている’ その子供たちは、彼の白い足を見て彼の美声を聞きその扉を開けた。
そのオオカミはその家に飛び込み6匹の子ヤギを丸のみにした。一番小さいヤギは、振り子式で床置きの箱型大時計の中に入りオオカミから隠れて呑み込まれなかった。
その日の後、その母親は森から帰ってくる。広くドアが開けられていて、一匹の子供以外は行方不明であることに落胆する。彼女は周りを見渡してそのオオカミを見る。彼は木の下でしっかりと眠っている。オオカミはあまりにも多く食べ過ぎて動くことができなかった。その母親のヤギは最も若い子供に鋏と針と糸を急いで届けように命ずる。彼女はそのオオカミの腹を開き、6匹の子供は不思議に傷つくことなく外に飛び出す。彼らは石でそのオオカミの腹をみたしてその母親はもう一度縫い上げる。そのオオカミが目を覚ました時には彼は非常にのどが渇いている。彼は川に水を飲みに行く。そして、川に落ち石の重みの下敷きになり溺れ死ぬ。その家族は、その後常に幸福に暮らした。

子供には、非現実 (考え) の内容がない。目先・手先に関する現実の内容が全てで唯一の正解が存在する。だから、意思の内容は子供にとって常に想定外になっている。オオカミの悪意に対する深い警戒心もない。
母親は大人であるから、非現実 (考え・意思) の内容も想定する能力がある。だから、悪いオオカミの話ができる。この能力の差が結果の明暗を分けている。
日本人は、現実の中にのみ生きている。そして、非現実 (考え) の内容は、想定外になっている。だから、子供のようなものである。ヒットラーの考えも、ルーズベルトの考えも、スターリンの考えも日本人には想定外になっていた。このような指導者たちの精神状態であっては、我が国運を過たずにはいられようか。意思は、未来時制の内容であって、それは非現実 (考え) の内容である。日本語の文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本人には意思というものがない。
騙す人が悪いのか、騙される人が悪いのか、いくら修身の徳目を論じても現実の世界では通用しない。自己の信念を貫くためには、ありとあらゆる手段を総動員して全力を挙げて自己実現あたるのが常道である。こうした西洋人の信念は、日本人にはわからぬことかもしれない。現実の内容しか持たない人間には解せない非現実の世界のことである。
我々日本人は日本語と英語を良く学び、時制の大切さを深く十分に理解しよう。英米人は日本語を話す時でも日本人のように閉塞感にさいなまれることがない。考え方も内容も人様々でいくらでもあるからである。彼らの話法を取り入れれば、我々は唯一の正解が存在する世界 (現実の世界) に囚われることなく生活することができる。だから、我々日本人の未来は豊かで明るいものになる。

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子ヤギたち 2/2

2019-12-24 05:32:03 | 政治

> なぜ追放するの???

それは、’オオカミと七ひきの子ヤギたち’ の話を考え合わせてみると分かるのではないでしょうか。

><【元ロシア・スパイ】20カ国が露外交官を追放 史上最大規模 >BBC NEWS 3/27(火) 12:20配信 > 米国や欧州連合(EU)加盟国が26日、相次いでロシア外交官の国外追放を発表した。 > 今月4日に英南西部ソールズベリーでロシアの元スパイ、セルゲイ・スクリパリ氏(66)と娘のユリアさん(33)にロシア製の神経剤が使われたとされる殺人未遂事件に関して、英国が駐英ロシア外交官23人を追放したことに追随するもの。
(略)
>しかし、なぜイギリスだけでなく他の国も外交官を追放するのでしょうか? 

これは、日本人や子ヤギたちの疑問でしょうね。

> 問題は、殺人未遂に使われた道具。>ロシア製の神経剤「ノビチョク」が使われたと発表されている。> 「神経剤」といってもよくわかりませんが、「化学兵器」です。 >スクリパリと娘だけでなく、周辺500人が影響を受けたとされる。>それで、「ロシアは、NATO加盟国イギリスを、化学兵器で攻撃した!!!」という論理なわけです。

そうでしょうね。

>BBCの記事には、「どの国が何人外交官を追放するか」リストがでています。 >・米国:60人 >・EU加盟国: >フランス、ドイツ、ポーランド(各4人)、 >チェコ、リトアニア(各3人)、 >デンマーク、オランダ、イタリア、スペイン(各2人)、 >エストニア、クロアチア、フィンランド、ハンガリー、ラトビア、ルーマニア、スウェーデン(各1人) >・ウクライナ:13人 >・カナダ:4人を追放したほか、3人の新規受け入れを拒否 >・アルバニア、オーストラリア:各2人 >・ノルウェー、マケドニア:各1人 >この記事が出た時点では、20か国となっていた。 >しかし、さらに5か国増え、結局25か国がロシア外交官を追放するそうです。
> 中略 >ところが、今回は、なんと60人の外交官を追放・・・・。
>▼スクリパリは、外交官追放「真の動機」ではない > しかし、この話、よく考えると「変」なのです。 > 皆さん、スクリパリさんを殺そうとしたのは、「ロシアで確定だ! 」と思っているでしょう??? > 実は、まだ確定していないのですね。

そうですね。日本人は、何事も起こってみなければ分からないと考えていますからね。

>たとえば、日本は、この「外交官追放運動」に参加してません。>なぜ追随しないのでしょうか? 

日本人は、米国や欧州連合の人達とはメンタリティ (考え方) が違いますからね。

>その理由は、こちら。>↓ ><ロ外交官追放、同調せず=日本政府 > 時事 3/27(火) 11:59配信 > 英国で起きた元ロシア情報員暗殺未遂事件への対抗措置として米国や欧州連合(EU)各国がロシア外交官の追放を決めたことに関し、河野太郎外相らは27日、> 「事実関係の解明が先だ」~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~と強調し、日本政府としては当面、同調しない方針を示した。> >どうですか、これ????

奇妙ですね。日本人は、あくまでも事実 (現実) にこだわっていますね。洞察力 (非現実・未来) の内容というものが想定外になっています。

> 河野さんは、「事実関係の解明が先だ!」といった。 > 別の言葉で、「まだ事実関係は解明されていない!」ということでしょう?

そうですね。河野さんは事実にこだわっていますね。

>ということは、欧米25カ国は、 「犯人はロシアかどうかわからないが、とりあえずロシアということにして、外交官を追放しよう!」
と決めたことになります。

そうですね。欧米25か国は、お母さんヤギの心境ですね。事実 (現実) だけではなく、悪いオオカミの意思 (非現実) の内容も事前に想定のうちに入っていたのですね。

> なぜ???? >▼プーチン、教書演説の「脅迫」が原因? > 「犯人は、まだロシアと断定できない」 > 「しかし、ロシアということにして、外交官を追放する」 >ここまでは、はっきりした「事実」です。

オオカミが子ヤギたちを丸のみにするとはまだ断定できませんね。しかし、丸のみにすると仮定して用心するに越したことはないのです。

(略)
><「フロリダ州を核攻撃」のビデオ、プーチン大統領が演説に使用
(略)
> これ、欧米は、「プーチンが、俺たちを【核】で恫喝している!」と受け取りました。>いってみれば、「プーチンは、金正恩と同じことをしている」と認識された。>それで、「プーチンを罰する必要がある」との「共通認識」が生まれた。 >そんな折、「スクリパリ暗殺未遂事件」が起こった。 >イギリスは即座に「ロシアの仕業だ!」と断定し、プーチン演説に >怒っていた欧米諸国が捜査の結果を待たずに同調した? >これが私の推測です。 > 皆さんは、どう思われますか?

そうかもしれませんね。筋書きが存在すれば、あとは実行あるのみですからね。日本人の空想・妄想とは内容の次元が違いますね。
ロシアは悪いオオカミですね。いつ子ヤギたちを飲みこむか分かりませんからね。

(略)


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平井宏明氏

2019-12-16 14:40:54 | 政治
>毎年8月になると、マスメディアやジャーナリズムは、先の大戦(アジア太平洋戦争1937-1945)の「悲惨さ」について多くを語り、悲惨な戦争は繰り返してはいけないと訴えます。

そうですね。大戦の悲惨さの話は昔から語り継がれていますね。

>ところが、その戦争の「責任・責任者」となると、ほとんどそれに触れることをしません。

そうですね。責任の話は、日本人は苦手ですからね。日本人の責任は義務だけで、意思の自由が入っていないから、責任は牛馬の苦役のようなものになる。意思の無い責任者は役に立たない。責任者の苦闘は無為無策に終わる。
肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。
徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)

>その理由は、国家指導層、天皇・皇室、靖国神社、右翼国粋主義者、敵国だった米国(現在は同盟国)に忖度し、及び腰になってしまうことにあります。 

日本人の忖度は、絶望的ですね。民族の癌。
現実の内容は、頭の外にある。それは見ることができる。見ればわかる。考える必要がない。だから、楽ちんである。
非現実 (考え) の内容は、頭の中に存在する。それは見ることができない。ただの話である。その話を納得する為には、文法に従ってその文章を逐一理解しなくてはならない。これは、骨の折れる作業である。だから、日本人は、通常理解はしない。その代わりに忖度 (推察) を使っている。忖度は理解と似ているが、全く違った内容であるから注意を要する。忖度は、聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。話の内容に食い違いが存在しても、それは議論にはならない。聞き手の単なる独りよがりになる。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘すると、’だって私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか’ と反発して取りつく島がない。だから話が歌会のようなものになる。

>これでは大きな偏りのある報道にならざるをえません。

そうですね。

>あの大戦による「悲惨さ」について、国家指導層、天皇・皇室、靖国神社、右翼国粋主義者、米国の指導層に「責任」があることはあまりにも明らかです。

そうですね。しかし、わが国のだら幹 (堕落した幹部) には、その大切な意思がない。無意志の人間には責任がない。兎角この世は無責任。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも、彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意というものがないからである。

>しかも重大な「責任」です。 >日本人だけでも300万人以上を死に追いやり、日本国家自体をも滅亡の崖っぷちまで追い込んだ。 >そして周辺諸国にも多大な被害をもたらした。

そうですね。被害甚大な自然災害のようなものですね。                                                                                                                                              

>戦争の「悲惨さ」を伝えることはもちろん重要。 >同様に、その悲惨さを招いた「責任」を追求(追及)し明らかにすることも、マスメディアやジャーナリズムの重要な使命のはず。

そうですね。意思のある人には責任がある。だが、日本人には意思がない。日本人にも意思を持たせよう。意思のある人には加害者意識がある。罪の意識もある。それが、原因究明の執念になる。
意思は、未来時制の文章内容である。ところが、日本語の文法には時制 (tense) というものがない。それで、日本語の脳裏には未来時制がない。だから、日本人には意思がない。
日本人には意思 (will) がないが、恣意 (self-will) がある。意思は文章内容になるので意味があるが、恣意はバラバラな単語のまま (小言・片言・独り言) で存在し、文章にならないから意味がない。日本人には意思疎通が無く恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) がある。議会が通一遍となり談合 (腹の探り合い) が重要となる。意思決定 (理性判断) が無く、恣意決定 (盲目の判断) がある。

>「悲惨さ」を示すだけでは戦争の抑止には不十分です。

そうですね。浪花節は感情的で、政治哲学にはならない。

>「責任」を明確にすることで、真に戦争の阻止につながると考えます。 

同感です。政治家も有権者も責任感のある人間になることが必要ですね。        
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」   


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知られざる真実

2019-12-11 22:40:23 | 政治

> 植草一秀の知られざる真実より引用します。 >リンク >//////////////////////////////////  >(引用はじめ)
> 臨時国会も幕を閉じて2019年がまもなく終わる。> 不正が正されず、悪徳が栄えるこの国の闇は深い。

そうですね。闇は深いですね。我が国民には政治音痴が根付いていますね
(略)
> 日本の崩壊が進行している主因は安倍政治の暴走にある。

そうですね。安倍首相は日本の政治の責任者ですね。

> 三つの重大な要因がある。 > 第一は刑事司法が腐敗しきっていること、第二はマスメディアが腐敗しきっていること、そして第三は主権者である国民の対応がぬるいことだ。 > 第一と第二はあちら側、暴走する安倍政治の側の問題。

批判精神 (critical thinking) のない国民であっては、暴走する安倍政治は止められませんね。この道は、いつか来た道か。

> 野党が生ぬるい対応を示すのも、野党に対する監視の責任を負う主権者の側の問題であると言ってもよいだろう。

そうですね。主権者である人間が無哲学・能天気である限り、この問題の解決は無理でしょうね。主権在民ですからね。

>この現状を放置するなら、日本は世界で最悪の国家の一つに凋落することになる。

そうでしょうね。最悪の国家にならないために、日本には抜本的な改革が必要ですね。そのためには、現状が出現する機序を注意深く説明しなくてはならないでしょう。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

日本語には ‘あるべき姿’ (things as they should be) を示す構文がない。日本語は、’今・ここ’ の内容だけを示す言語だからである。それで、比較の議論は常に ‘今ある姿’ (things as they are) 対 ‘今ある姿’ になる。これでは、絶対基準がないので議論に決着がつかない。’それでどうした’ (So what?) の問いには答えが出せない。そこで、考えの浅はかさが知れてしまう。’今ある姿’ の内容は ‘現実’ であり、’あるべき姿’ の内容は、’非現実’ (考え) の内容である。’あるべき姿’ の内容を蓄えた個人がわが国に出現しなければ、哲学も存在しない。政治哲学は成り立たない。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. 考えの内容は、人様々である。全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。矛盾を含まない文章は全て正しい考えを示している。だから正解は一つではない。幾らでもある。矛盾を含んでいる文章も、その矛盾を取り除けば正しい考えになる。そのためには、対話・議論が役に立つ。だから、わが国でも対話・議論を盛んにしよう。英米人は日本語を話していても、日本語特有の閉塞感にはとらわれない。彼らには、考えが色々あるからである。我々も彼らに倣って、色々な考えを発表しよう。
<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)

> (引用おわり) >//////////////////////////////////


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