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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

けじめをつけない文化

2020-01-21 17:21:51 | 国際・政治
(略)
>  徴用工問題は三菱重工業を訴えたものだが、近場を見ても麻生財閥が8000人近い朝鮮人徴用工を働かせていた筑豊の麻生炭鉱しかり、山口県では宇部市の長生炭鉱(水没事故で137人の朝鮮人労働者が犠牲になった。遺骨収集すらされていない)しかり、収容所のような劣悪なたこ部屋に朝鮮人労働者を囲い込み、「人権」という言葉など入り込む余地すらないような環境で奴隷的労働に従事させていた事実はかき消すことなどできない。

そうですね。過去の事実から得られる教訓を現在に生かしたいですね。

>三菱重工業に限らず、麻生のような地方財閥に至るまでが朝鮮人労働者をこき使って戦争経済の受益者となり、今につながる資本の原始的蓄積を遂げたのである。
>  「国を奪い、家族を奪い、生命を奪い、言葉を奪い、名前を奪い、すべてを奪っていった。日本の帝国主義ほど野蛮なものはない」--。
>時折豪快な笑いも交えつつ語るSさんの言葉は重いものがあった。
>そして同時に、決して屈服などしていない在日朝鮮人としての誇りや強さを目の奥の鋭い眼差しに感じたのだった。
>私たちのような20~30代の記者たちが、日本人として知らなければならない歴史の真実を丹念に掘り起こし、嫌韓ブームなるものは「いい加減にせい!」と声を大にして指摘しなければならないのだと強く思った。

歴史の事実から得られる教訓を現在に生かしたいですね。 

>朝鮮人を虐げた為政者の側の意識に染められて一緒になって対立を煽ったり、「お爺ちゃんは悪くない」の安倍晋三や麻生太郎と精神世界を共有し、彼らのルーツを正当化するのに加担するわけにはいかないのである。

我々は、過去の過ちを率直に認めたら良いですね。

>  あの大戦で侵略をおこなった軍国主義の為政者どもが、近隣諸国に対して74年前のけじめをつけぬまま今日に至っている。

そうですね。
日本人は無哲学・能天気であるから ‘あるべき姿’  (things as they should be) というものがない。
 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。'  (カレル・ヴァン・ウォルフレン)
だから、基準のない日本人には比較により結論を得ることができない。つまり ‘けじめ’ がつけられない。だから、うやむやに終わるのが常になる。

>戦後もシレっと息を吹き返して責任をとることなく、今度は原爆を投げつけたアメリカに絶対服従しながら、旧植民地に対しては占領者意識丸出しのまま今日に至っているのである。

これは、‘上と見るか・下と見るか’ の序列メンタリティによるものですね。
日本語には、階称 (言葉遣い) というものがある。世俗の上下判断の疎かな者は、日本語の日常会話にも差し支えるほど重要なものである。その上、日本人の礼儀作法は序列作法になっているので、世俗の上下判断に疎い者は、’礼儀正しい日本人’ にもなれない。
勝者に対する絶対服従は、日本人の序列作法にかなった行いである。

>統治機構しかり、メディアしかり、ドイツのように徹底的に打倒されて然るべき連中が、戦後のアメリカによる占領統治の都合から再登用され、現在につながる屈折した隷属国家をつくりあげてきた。

序列体制のわが国は、ドイツのようにはなりませんね。ドイツ人には意思があるから悪意もある。だから、悪意を打倒できる。
日本人には意思がない。戦時中の言動を糾弾したら無心の子供に自虐を強要す.することになる。日本人は、まだ12歳だからである。
日本人は鬼ヶ島で桃太郎に降参した鬼のようなものである。意思がなければ悪意は無い。

>  そして、けじめをつけない文化はいまやあちこちで開花し、例えば福島爆発事故についても東電の幹部は誰一人として逮捕されず、原発を推進した自民党政治家たちも誰一人として責任を問われず、逃げ切りをはかる。>モリカケしかり。睡眠障害の甘利明しかり。小汚い斡旋利得罪疑惑の政務官しかり。

反省のない人たちには手が付けられませんね。

「桜の国の腹切り文化」はどこへやら。

気分・雰囲気を楽しむ余裕はないですね。

>けじめもなく、ろくでもない政治状況、経済状況が蔓延している。

政治哲学や経済哲学がないからでしょう。

>アベノミクスが弾けた後も、おそらくけじめなどつける気はさらさらないのだろう。

そうですね。現実は千変万化する。哲学 (非現実) が無ければ決着はつかない。垂れ流しは困ったものですね。

>どの世界にあっても、「戦犯」にはきっちりと責任を負わせることがいかに重要であるか、そのことを深く考えさせる。>反省がない者が開き直るのだ。

そうですね。日本人には意思がない。だから、加害者意識もない。罪の意識に苛まれて深刻な反省に陥ることもない。いつも朗らか。 過ちはエンドレスとなる。国際社会からの信用が得られない。 日本の問題 (The Japan Problem) である。



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中島聡氏

2018-12-16 16:34:01 | 国際・政治


(略)
>先日、日経BPのイベントでの講演しました。>私 [中島聡=なかじま・さとし] の書物に掛けて、「なぜ、あなたの仕事は世界で通用しないのか」というタイトルでの講演を依頼されたのですが、問題は本人よりも組織の問題である場合が多いので、主にそちらの話をしました。

わが国の組織の話ですね。

>つまり、実際の内容は「なぜ、日本企業は世界で通用しないのか」というタイトルが相応しいものです。

日本の企業は、国際企業になれないのですね。

>大きな理由として、三つを上げました。>・ITのことが分からない経営者 >・ゼネコンスタイルのソフトウェア開発 >・ビジョンの欠如 >最初の二つは、主に日本の大企業に当てはまる話ですが、経団連を見ても分かる通り、日本の大企業は、パソコンもまともに使えない「IT音痴」な人ばかりです。

時代遅れの感がありますね。

>そんな連中が経営をしている限り、どう考えてもAmazonやGoogleと戦えるわけがなく、そこを治さない限りは、日本企業は沈んで行くばかりです。

そうですね。彼らは、IT産業ですからね。

>終身雇用制と年功序列の弊害です。

わが国は、代々仕える忠義な家臣のいる国ですからね。

>米国の場合、そんな企業はさっさと市場から消えてしまいますが、日本の場合は、多くの従業員を抱えた大企業は出来るだけ倒産させない、という日本政府の方針もあり、その手の企業がいつまでもゾンビ状態で生き残る構造になっているのが大きな問題です。

そうですね。序列社会には、老舗が多く残っていますね。

>企業の健全な新陳代謝が進まないのも大きな問題です。

日本人は、どこにも向かわない。’来るべき世界’ を想定できないからでしょう。

>二つ目は、ここでは何度も話している話題なので、説明は省略しますが、ITゼネコンと呼ばれる大手IT企業だけでなく、家電や自動車を作っているハードウェアメーカーまでもが、同じように「(理系の大学を出た)正社員が仕様書を書き、下請けの(安月給の)プログラマーがコードを書く」という根本的に間違ったソフトウェアの作り方をしているため、優秀なエンジニアが育たないし、良いソフトウェアが作れないのです。

適材適所が必要でね。

>3K(きつい、給料安い、帰れない)と呼ばれるブラックな職場が出来る原因もここにあります。

不自由を常と思えば不足なしか。

>三つ目は、日本の大企業とベンチャー企業の両方に当てはまる話ですが、「こんな世界を作ろう」「自分たちの存在目的は何か」というビジョン(=企業理念)に欠ける会社が多いため、良い人も集まらないし、ビジネスプランも定まらないのです。

そうですね。日本語文法には、時制 (tense) というものがない。だから、非現実 (考え) を内容とする文章が作れない。つまり、日本人には世界観がない。
非現実を内容とする文章には、三つの独立した世界 (過去・現在・未来) があり、その世界の内容を英語では事細かに規定できます。
‘我々は、どこに行くのか’ の問いには、現実の内容からは語れません。
現実は、頭の外にある。その内容は、見ることができる。非現実 (考え) は、頭の中にある。その内容は、見ることができない。文章を理解することが必要である。
日本人の考えによれば、見ることのできるものは、’本当’ のことである。見ることのできないものは、’嘘’ である。
誰しも、嘘つきにはなりたくない。だから、自己の考え (非現実) を明らかにすることを差し控えている。つまり、時制のない文章では、非現実の内容の正当化はできないのです。

>ソニーやホンダなどの日本の高度成長期を支えた日本企業も、創業者が存在した時期は、しっかりとしたビジョンのあった会社でしたが、創業者がいなくなり、サラリーマンが経営者をするようになり、ビジョンも薄れ、売り上げやシェアばかり追いかける、面白くない企業になってしまいました。

現実ばかりを追いかける企業になってしまったのですね。日本企業が ‘元の木阿弥’ になったのですね。

>経団連の重鎮たちが、全員、起業経験のないサラリーマン経営者という体たらくなのです。

起業体験は、ビジョンを必要としますからね。

>これは、日本企業だけに当てはまる話ではなく、米国の企業でも創業者がいなくなった後にビジョンがぶれてしまうケースが良くあります。

創業者には、カリスマ性が備わっていますね。

>企業にも寿命があるのです。

企業は人により動くもの。

>日本のベンチャー企業のスケールが米国のそれと比べて小さいのは、やはりしっかりとしたビジョンを持たない経営者が会社を率いているため、結局、日銭を稼ぐためのビジネスに走ってしまうのです。

時制は、日本語文法になくて、英文法にある。だから、英米流の高等教育を受けると、非現実 (考え=哲学) の内容を文章にすることができます。我々日本人は、日本語と英語を熱心に学んで、時制の大切さを十分に理解して自己実現を可能にしましょう。

>日本のITベンチャーの多くが、ガチャ、FX、仮想通貨などの「弱者から搾取するビジネス」に手を出しているのは残念でなりません。

本当に、残念ですね。わが国には、眠りを覚ます蒸気船が必要ですね。

(略)


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エンゲージメント

2018-12-14 21:10:56 | 国際・政治



>■日本企業は生産性も給与水準もエンゲージメントも低い
>私は世界最大のネットワークシステム会社、シスコ米国シリコンバレー本社の戦略担当部門マネージングディレクターとしてグローバルで活動してきました。>また外資系戦略コンサルティングファームの日本・アジア代表などを歴任してきました。>主なクライアントは、トヨタ自動車、日立製作所、GE、NTTをはじめIT、ハイテク、消費財などの日米の各業界を代表する企業です。>多くの日本の企業は、「給与水準」が大きく低迷し、海外の先進企業の後塵を拝しています。>「一人当たり生産性」は、OECD統計で、日本が米国より32%も低いのです。これでは給与水準は上がりません。

そうですね。生産性が低いのでは、給与水準は上げられませんね。

>なぜ日本は生産性が低いのでしょうか。>その原因が、組織の風土、従業員の意識の低さと考えられます。>ここでの意識とは「エンゲージメント」とも言われています。>一人ひとりが仕事に自ら考え決めた夢と誇りを持ち、夢の実現に夢中になって諦めずに結果を出していく気持ちです。

英語の ‘engagement’ は、日本語の ‘関わり’ のような単語かもしれませんね。 日本人のように無哲学・能天気では、自ら考えて決めた夢は持てませんから、’夢の実現に夢中’ など夢のまた夢でしょうね。

>従業員意識調査をすると、日本企業のエンゲージメントの度合いは、海外企業より大きく劣っており、大半の日本企業がグローバル平均の半分に低迷していることが明らかになっています。>このため、仕事のスピードが遅くなり、環境の変化や想定外の事態への対応が後手後手に回ってしまっています。

日本人には、意思がない。優柔不断・意志薄弱で、仕事のスピードが遅くなり、環境の変化や想定外の事態への対応が後手後手に回ってしまっているのでしょう。

>生産性と給与水準の低迷、そして従業員の意識の低さが、失われた20年で顕在化した日本企業の“失敗”です。

残念ながら、そうでしょうね。

>■日本企業“失敗”の3大症状
>これまで私は日本の経営を、特に失敗を重ねている日本の企業の荒廃した現場を、何百と観察してきました。>そこから日本の企業の失敗の本質が見えてきました。>日本企業の“失敗”の3大症状をまとめてみます。
>症状1:競合他社のまねや前例の踏襲ばかりをしてしまう。

これは、‘人のふり見て、我がふり直せ’ ですね。日本人の手本は、すべて現実の中にある。現実の内容を現実の中で再現すれば、それは模倣となる。模倣の競争は、過酷なものになりがちですね。

>症状2:時間よりも完璧な仕事をすることを優先してしまう。

日本人は、凝り性ですからね。向上心がある。製品の仕上がりが良いです。‘時は金なり’ を忘れていますね。

>症状3:社内は保身に走る「指示待ち族」ばかりになっている。

意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. だが、日本人には意思がない。だから、他人の指示を待つことになる。
意思 (will) は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語脳には未来時制がなく、日本人には意思がない。
仕方がないので、‘無為無策’ でいる。日本人は、おとなしい。’座して死を待つ’ のか。
自己の意思を示す人は、当事者・関係者になる。示さない人は、傍観者にとどまる。’わが国は、世界の中にあって世界に属さず’ と言ったような関わりのない状態か。

>症状1は「競合他社のまねや前例の踏襲ばかりをしてしまう」というもので、本来見るべき現実世界の環境の変化を見ずに、競合他社のまねや自社のかつての栄光(前例)に縛られてしまっている状態です。

変化に対応するのは頭を使わなくてはならないから、大変な仕事ですね。猿真似は、わが国の得意技でしたね。一段と、低い水準の脳の持ち主でも行える活動ですね。

>症状2は「時間よりも完璧な仕事をすることを優先してしまう」というもので、顧客への対応などをさて置いて社内の満足感を優先し、タイミングを逸してしまう状態です。

凝り性ですね。物に心を込めることにご執心ですね。おかげで、製品の仕上がりも良い。時間は ‘ただ’ かな。大きな損失を被ることもあるでしょうね。

>症状3は「社内は保身に走る『指示待ち族』ばかりになっている」状況で、人事の多くが「減点評価」や上司との「属人的なつながり」(親しさ)の度合いで決まってしまい、部下は上司の顔色をうかがってばかりになっている状態です。

そうですね。日本人には、意思がない。他者の忖度 (推察) が横行していますね。出る杭は、打たれる減点評価。親分・子分 (人間序列) の関係でつながっている ‘なあなあ主義’。

>■日本企業には「夢のビジョン」が欠落している
>この3大症状が、同じような失敗を繰り返す日本企業の現場の実態です。

そうでしょうね。

>この根本原因は、米国の先進企業が持っている共通の判断基準である「Vision」つまり「夢のビジョン」がないということにつきあたります。

ビジョンの内容は、非現実 (考え) です。日本人の脳裏には、非現実の内容は宿らない。

>注意していただきたいのは、「夢のビジョン」は日本の企業が掲げているビジョンやミッション、経営理念ではないということ。>日本の企業が掲げているビジョンは経営陣の自己満足にすぎません。

そうですね。会社の大義名分ではないのですね。

>本来の「Vision」は「具体的な夢」をさす言葉なのです。

それは、日本人には難しい。具体的なものは、日本人の脳裏では夢にはならない。具体的なものは、すべて現実の中にある。

>たとえば、5年後に実現したい企業の夢は何か、顧客に感動をもたらし従業員が夢中になれる夢や実現させたい理想の状態を、それぞれの企業の事業環境のトレンドや潮目の変化を観察して設定することです。

夢は、日本人の妄想ですね。真実の内容は見ることができる。夢のように万人が現実に見ることができないものは、嘘にしかならない。これは日本式の判断法です。
日本人の考え方は、英米人と違います。特に、非現実 (考え) の内容に対する評価が違います。ですから、’この国には何でもあるが、ただ夢と希望がない’ ということになります。
我々日本人も、日本語と英語をよく勉強して、非現実の内容 (哲学) に対する理解を深め、その価値を認識するようになれば、現今の失敗の解決も容易になることでしょう。


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適菜収氏・小林秀雄 1/2

2018-11-20 01:58:43 | 国際・政治


>適菜収氏は、小林秀雄は歴史を「生身の人間のいるところ」と捉え、後から歴史を裁断する人間の傲慢さに憤ったという。>『小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走したのか?』から小林が歴史を見る目とは何かをご紹介しよう。
>人間のいないところに歴史はない

そうですね。歴史は、個人の考えであります。個人の脳裏にある内容であります。人間のいないところには、個人もいません。だから、歴史も存在しないです。

>近代人は時間の経過とともに人類は進化してきたと考えるようになった。>学校の教科書には、一番左にアウストラロピテクスのイラストが、一番右にわれわれ現代人のイラストが描かれていたりします。>人類は古代から中世、近代へと一直線に進歩してきたという西欧中心のいわゆる進歩史観です。

そうですね。一直線の方が、同じところをぐるりぐるりと回っているよりも考えやすいですね。

>昔の人間よりも現在の人間のほうが、理性的で合理的で優れていると彼らは考える。>理性的で合理的な判断が「正解」にたどりつくなら、「正しい歴史」「歴史の目的」も存在することになる。>ドイツの哲学者ヘーゲルは、世界は弁証法的な運動の過程にあると考えた。>いろいろな矛盾や対立を発展解消していくうちに、理念が実現されるようになると。>歴史を弁証法的に捉えれば進歩史観になるが、小林はこうした発想自体を拒絶しました。

我々の日常生活においては、弁証法で事を処理しますけれどもね。歴史は別物ですかね。

>>私達は、歴史に悩んでいるよりも、寧(むし)ろ歴史工場の夥(おびただ)しい生産品に苦しめられているのではなかろうか。>>例えば、ヘーゲル工場で出来る部分品は、ヘーゲルという自動車を組立てる事が出来るだけだ。
>>而(しか)もこれを本当に走らせたのはヘーゲルという人間だけだ。>>そうはっきりした次第ならばよいが、この架空の車は、マルクスが乗れば、逆様(さかさま)でも走るのだ。──「蘇我馬子の墓」

各人に哲学は必要ですね。他人の考えを受け売りすれば、受け売りの人は大怪我をすることになるでしょう。

>ドイツ出身の哲学者マルクスは、ヘーゲルの弁証法を利用して、歴史科学なる概念をつくりあげた。

>>あらゆる歴史事実を、合理的な歴史の発展図式の諸項目としてしか考えられぬ、という様な考えが妄想でなくて一体何んでしょうか。

考えは、個人個人で違いますからね。正解はただ一つではない。個人の数だけある可能性もある。

>>例えば、歴史の弁証法的発展というめ笊(ざる)で、歴史の大海をしゃくって、万人が等しく承認する厳然たる歴史事実というだぼ沙魚(はぜ)を得ます。──「歴史と文学」

現実の内容はただ一つ。非現実 (考え) の内容は人の数だけある。万人が等しく承認する内容は、現実の方です。歴史は過去 (非現実) であり、現実ではない。万人の一致した体系は、妄想でしょう。

>ヘーゲルのような妄想の体系を打ち立てれば、歴史はどのようにでも解釈できる。>ヘーゲルは歴史上の一人物に過ぎず、歴史がヘーゲルのシステムのなかにあるのではないと小林は言う。

そうですね。各人に哲学は必要ですね。Everyone needs a philosophy.

>史観は歴史を考えるための手段であり道具にすぎない。

そうですね。史観は、自分が考えるための筋道ですね。他人に言って聞かせるためにも便利です。

>しかし、その手段や道具が精緻になるにつれ、当の歴史の様な顔をし出す。

それは、迷信というものでしょうね。

>人間は理性的で論理的で合理的だ。>そこが人間の弱さである。>だから簡単に理論に流される。

そうですね。人間は、理性的で論理的で合理的でないと、その内容が脳裏に収まらないようにできている。人間の弱さですか。

>よって、小林が言うように「人間のいないところに歴史はない」という常識を、常に努力して救い出さなければならない。

そうですね。人間がいなければ、個人もない。個人の考えもない。だから、歴史 (考え) もない。

>「史観」さえあれば歴史はいらないのか?
>近代啓蒙主義とは、理性や明示的なものを信仰し、説明不可能なものを「迷信」と斬り捨てる運動だった。

そうですね。’迷信’ という言葉は、負け惜しみをするときの捨て台詞でしたね。

>合理的な目的が存在するなら、それに従うことが「正義」となる。

矛盾を含まない文章は、すべて正しい考えを示している。だから、正解は一つではない。矛盾のある文章も、その矛盾を取り除けば、正しい考えになる。だから、対話も必要ですね。

>その成れの果てに登場した「絶対的な知的自己決定」という発想が地獄を生み出したのは歴史を振り返れば明らかだ。

絶対的な妄想ですね。妄想地獄というべきでしょうか。

>>唯物史観に限らず、近代の合理主義史観は、期せずしてこの簡明な真理を忘れて了う傾きを持っている。

簡明な真理を忘れるのは、有頂天になっているからでしょう。

>>迂闊で忘れるのではない、言ってみれば実に巧みに忘れる術策を持っていると評したい。>>これは注意すべき事であります。>>史観は、いよいよ精緻(せいち)なものになる、どんなに驚くべき歴史事件も隈(くま)なく手入れの行きとどいた史観の網の目に捕えられて逃げる事は出来ない、逃げる心配はない。>>そういう事になると、史観さえあれば、本物の歴史は要らないと言った様な事になるのである。──「歴史と文学」

手段 (史観) の目的 (哲学) 化が起こりましたね。一つの史観が、各人各様の哲学を破壊しましたね。個人主義の消滅です。

>こうして近代人は歴史を見失った。

個人の考えを失ったということは、自己を見失ったということですね。

>歴史は「生きているもの」「動いているもの」である。>小林は自然科学のような実証主義が、歴史の命を殺してしまったと言う。

科学も歴史も、自己に都合の良い事実だけを組み合わせて考え (非現実) とするものですがね。人は、考え直すことができるから、科学も歴史も限りなく前進します。

>歴史とは諸事実を発見したり、証明したりといった退屈なものではない。
>歴史を考えるとは歴史に親身に交わることなのだと。

そうですね。各人に哲学は必要ですね。そうでなければ我々は、烏合の衆になります。


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意思疎通

2017-12-06 23:24:01 | 国際・政治
>慰安婦像問題はもはや誰もが聞いたことのある社会問題だろう。

そうですね。

>この問題は、第二次世界大戦中に日本で行われた「慰安婦」という制度が、海外では「性奴隷」として捉えられ、日本がいくら説明しても、それは海外から見たら言い訳にしか聞こえず、胡散臭さが増していく、という構造になっている。

言い訳は、役に立たないでしょうね。

>なぜ日本の言い分が聞いてもらえないか。>それは日本人の、言わなくても相手の意図を汲むという潮流と、アジア人特有の起承転結での説明が原因だという。

以心伝心・不立文字。他力本願・神頼みですか。事の次第・自然の成り行きだけを述べても理解は得られないでしょうね。

>海外では性差別は本能的に拒絶してしまうタブーであり、その内容であることがわかった時点で、もう「性差別」という強烈なイメージが先行し、他の話を長々としても意図が伝わらない。

性差別から話をそらすことは難しいでしょうね。

>この問題を解決するのは、あたり前のことだが、相手と共認出来るまで根気強くコミュニケーションを取ること。

阿吽の呼吸ですかね。なーなー主義ですか。期待が持てませんね。

>意図が伝わっているだろう、と思い込んでいたり、伝わった雰囲気になることは往々にしてあるが、日本人はそこで満足してしまう。

意図は意思の内容ではなくて、恣意 (私意・我がまま・身勝手) のことでしょうね。恣意は、文章にはならないから、単語 (片言・小言・独り言) のままでいる。文章にならないものは、考えではない。だから、理解の対象にはならない。そこで理解は得られない。代わりに気分・雰囲気を忖度 (推察) することになるのであるが、忖度は自分勝手な解釈であるから、忖度した当人の責任になる。相手には関係が無い。

>どんな相手とも共認形成を取っていかなくてはいけない時代だからこそ、相手との意思疎通に手を抜かず、最後まで詰め切る覚悟が常に必要となる。

日本人には、意思 (will) が無い。意思は未来時制の文章内容であり、日本語文法には時制 (tense) というものがないから、日本人には意思が無い。
意思がなければ、意思の内容を提示することも不可能であり、理解されることもあり得ない。だから、相手との意思疎通もあり得ない。そして、信頼も得られない。内容も理解されずに、なーなーとなる。’信なくば立たず’ で、不成立になる。
海外でも納得されるように謝罪するしかないでしょうね。自己流は怪我の基になるでしょう。
一番の基は、日本人に意思が無いことでしょう。自分に意思が無ければ、加害者意識は生じません。加害者意識は罪の意識ですから、罪を感じたら謝罪することになります。罪の意識のない人が謝罪すると自虐行為になって、相手の納得も得られません。罪の意識のない相手を見れば、恨みは募るばかりです。真摯な反省の態度を示すことが難しい。この点を心に留めておく必要があります。



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