>かくいう私も、ニューヨークの国連本部で働いていたときには、この「足りない」という感覚にずいぶんと悩まされました。
自主・独立の気風が不足していましたね。
>ストレスと海外出張が重なり出張中の機内で倒れたこともあります。>一番苦しかったのは、いくらやっても自分のなかで「これでいい」と思えなかったことでした。
それは、あなたの向上心のなせる業ですか。立身出世の為の意欲のせいですかね。
>しかも、SNSが広く普及している現代は成功者の華やかな生活が目に入りやすく、作られた理想像と自分を比較して、自信をなくしたり、焦燥感に悩まされたりしやすい環境にあると言えます。
‘現実’ 対 ‘現実’ の比較ばかりですね。
>また、とても残念なことに、自分に与えられた才能や経験を誰もが過小評価しがちです。>理想に合わないというだけで、自分の持っている資質を強みだと思えないのです。
さうですね。理想 (非現実) の内容は頭の中にある。現実の内容は頭の外にある。両者はその所在が異なるから、内容も同じにはならない。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. だが、日本人には意思がない。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は無く、日本人には意思がない。日本人は仕方からないから、無為無策でいる。
' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)
>1つの指標や理想像に価値を見出し続ける限り、その構造は続きます。
そうですね。個人主義の不足によるのでしょうね。
>そこから解放されるためには、他人がつくった指標や理想を追うのではなく、「自分にとっての指標」「自分はこれでいい」と思える軸を作ることです。
そうですね。’現実’ 対 ‘非現実 (自己の考え)’ の比較が必要ですね。
>それこそ、「美味しいかまずいかは、自分で決めればよい」というスタンスは1つの方向性です。
そうですね。 好みは人により違います。Tastes differ.
>そこまで極端な言い方をしなくても、ある物事に対してどう思うかは自分が決めればいいのです。
そうですね。自主・独立ですね。思考停止の状態ではいられませんね。
>では自分なりの「軸」を確立するにはどうしたらいいのでしょうか?
非現実 (考え) の内容を自己の頭の中に持つことですね。日本人にも世界観が必要ですね。
全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。
非現実・考えの内容は、時制のある文章内容になる。その内容は、それぞれに独立した非現実の三世界 (過去・現在・未来) になる。人生の始まりには、それぞれの世界は白紙の状態である。白紙の状態は誰しもきになる所である。だから、各人が自主的に内容を埋め合わせていく。かくしてそれぞれの世界観が出来上がる。未来の世界の内容は、自分の ’あるべき姿’ (things as they should be) になる。世界観 (非現実) を基準にして現実の内容を批判すれば、批判精神の持ち主になる。
日本語には時制がなく、日本人には世界観がない。だから、日本人には批判精神がない。
英語には時制があり、英米人には世界観がある。だから、英米人には批判精神がある。我々日本人も日本語と英語の両言語を良く学び、文法における時制の大切さを理解するとよい。さすれば、非現実 (考え) の内容を表現することか可能になる。英米人は日本語を話す時でも閉塞感に煩わせられることはない。考え方はいくらでもあるからである。彼らのやり方でやれば、我われにも道は拓ける。かくして、自己実現も可能になる。
>それには、身体面からのアプローチをおすすめしたいと思います。
意味が良くわかりませんね。
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