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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

中学受験 

2020-11-30 21:33:53 | 文化

 

>361857  教育産業につぶされる子供たち  >野崎章 ( 46 九州 会社員 ) 20/11/18 PM01 【印刷用へ】

> 中学受験の母親と息子の様子を書いた記事。>読んでいて切なくなる。

(略)

>※※※以下、引用※※※

(略)

> この頃、海斗君は頻繁に「ママの嘘つき! 中学に入ったら、勉強しなくていいって言ったくせに!」とみゆきさんに怒っていたらしいが、「学校を変える?」と聞くと、「絶対に嫌だ!」と首を横に振るばかりだったという。 >「このあたりが難関校の哀しさですよね。 >あのX学園の生徒だという看板だけが、海斗の拠り所ですから……。

 

先輩と後輩の間に自分の名前を差し挟むことにより、自己の存在感を実感することができる。

 

>どうにか高校に上がったものの、さらにスピードを上げる授業進度に付いていけるわけもなく、海斗は完全にやる気を失っていました」 >同級生は「プライドを満たせる大学」に入学したけれど……   

 

日本人は、序列人間です。序列の存在を知れば一も二も無くそれが価値あるものと思い込む。   

 

> X学園は、東大をはじめとする難関大学に合格者を出している全国でもトップクラスの学校なので、みゆきさんいわく「同級生の大多数が、自分のプライドを満たせるような大学に入学」するという。 > 高3になった海斗君は、願書を出した大学にどこも合格せず、浪人へ。>そして、4浪めだった今年、志望校の偏差値を大幅に下げた、ある中堅大学に合格し、進学する運びとなっていた。

 

日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列なきところに礼儀なしである。

礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて堅ぐるしい日常生活を送っている。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。無哲学・能天気である事は、人々にとって何ら気になることはない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

 

>しかし、コロナ禍で大学がクローズ状態となった影響もあり、大学が再開され始めた今でも、大学にはまったく行かずに、引きこもっているような状態だという。> 海斗君のケースは、中学受験の合格で燃え尽きてしまって、その後、勉強に身が入らないという典型である。

 

大学に入学したとたんに燃え尽きてしまう学生もいますね。受験勉強は恐ろしいものですね。学問 (非現実) とは関係のない処世術 (現実) の戦いですね。     

 

> みゆきさんは「学校が悪かったのか、親が悪かったのか、子どもが悪かったのか」と悩んでいるが、決して、少なくない悩みだということをお伝えしておきたい。

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

>「子どもが中学受験合格後に燃え尽きないようにすべきこと」に答えがあるとしたら、筆者はこう思う。 >中学受験は結婚と似ている。>ゴールではなくスタート。>「結婚さえできたら、人生、万々歳」という考えが幻想であることは、結婚生活を経験した人ならばおわかりかと思うが、中学受験もそれと同じだ。 

 

大学に入学して何を追及したいかが問題ですね。試験地獄はわが国の学問発展に何ら貢献していません。 

‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)

 

> もちろん中学受験は過酷なので、親にはどうしても、「偏差値・知名度の高い有名大学に入ってほしい」という気持ちがあるのは仕方がないことかもしれない。 >しかし、それよりも前に覚えておかなければならないことがある。 >「糸は張りつめすぎると、やがて切れてしまう」 

 

英米人と同じように日本の若者も処世術に振り回されることのない学究生活を送るべきですね。   

 

> 未来は、無理なく楽しい毎日を送った、その先につながっていると思うのだ。

 

そうですね。子供のうちに燃え尽きてしまうのは親の大きな過ちですね。  

 

>※※※引用、以上※※※  

 

 

 

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茂木敏充氏 

2020-11-30 16:52:35 | 文化

 

>362165          英語を第二公用語に、だと?「日本の外務大臣が、在日外国人に参政権を与え、英語を第二の公用語にすると声明」 >匿名希望   20/11/30 PM01

>リンクより抜粋です

>●11月25日の海外メディアの報道より リンク >『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 >このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 

 

あまり見慣れない思い切った提案ですね。   

 

>◆英語を第二公用語に、だと? >これは 3月のものらしく、ずいぶん以前のものなのですが、今となって、海外で報じられているということになっていますが、「英語を第二公用語にする」とか、「定住外国人に参政権を与える」などの話が出ていることは私も始めて知りました。 

 

日本人としては奇想天外な考えかもしれませんね。   

 

>冒頭の英語メディアの内容もご紹介します。

>●日本の外務大臣が「日本を多様な多民族社会に変える」計画を発表 >『彼は在日外国人に投票権を与えたいと述べている』>日本の外務大臣が、日本への大量移民を奨励し、外国人住民に投票権を与えることにより「日本を多様な多民族社会に変える」計画を発表した。 >茂木 [敏充] 氏は自民党の政治家であり、2019年9月から国の外務大臣を務めている。 >茂木氏は質疑応答の中で、自らの「国家ビジョン」は「 21世紀の日本を、世界中からの大量移民によって多様化した多民族社会に変えること」を意味すると述べた。

 

多民族と第二公用語の組み合わせは相性が良い政策ですね。   

 

>彼によれば、これは、「英語を日本の第二言語」として成文化し、「居住外国人に参政権」を与えることによっても達成されるという。

><中略>

>メディア「デイリービースト」の記者ジェイク・エーデルスタイン氏は、日本では、移民が限られており、民族的に均質な日本では非常に犯罪率が低く、銃撃事件は毎年一桁のままであると認めたが、これは警察および銃規制法が強いためだと主張している。 

 

お陰様でわが国は世界一治安の良い先進国になっているでしょうね。   

 

>エーデルスタイン氏は、日本では「外国人排斥が深まっている」と主張し、少子化を理由に「国として生き残り繁栄するためには、多民族社会を構築する」ことを求めている。 

 

多民族社会にすることによりわが国の少子化は克服されますね。   

外国人の排斥は、我々日本人の短所ですね。

日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列なきところに礼儀なしである。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて堅ぐるしい日常生活を送っている。外国人は外人として序列社会の外に置かれた人間になる。

 

><中略>

>茂木氏が主張する方法が実現すれば、日本にとっての民族的多様性が、果たして「国家としての強みとなるかどうか」を、茂木氏自らが見出すことになるのかもしれない。 

 

地球上には多様な民族が住んでいますから、茂木氏も多様な民族に対する説得力を得ることになるでしょうね。   

 

>ここまでです。

>この中の、> 1995年から 2050年までに 3350万人の移民を必要とするという数字にはクラクラするものがありますが、ショッキングなのは、「英語を第二公用語とする」という日本のトップ政治家による談話で、「日本人自らが GHQ みたいなことやってどうする」というようにも思いますけれど、こういう人たちって、「日本語の特殊性」というものを考えたことがないのですかね。

 

政治家は、日本語の特殊性による弱点を是正するために英語をわが国の第二公用語にしようとしているのではありませんか。   

 '敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇)  

 

>おそらく、世界中のあらゆる言語と異なる言語である日本語を使っている日本に、他に公用語なんて必要なわけがない。

 

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の手段でもありますね。  

政治家は日本人の考えを世界の人に良く伝え、我々が正しい考えができるように英語をわが国の第二公用語にしようとしているのでしょうね。   

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国家的な損失 

2020-11-29 02:17:33 | 文化

 

>ニューストップ  > 国内   > 社会   >茂木健一郎

>茂木健一郎氏 中学受験で低年齢での入塾に懸念「人生がもったいないだけでなく、国家的な損失」

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>2020年11月28日 17時46分 >東スポWeb   >茂木健一郎氏 >写真拡大

> 脳科学者の茂木健一郎氏(58)が28日、ツイッターを更新。

>中学受験塾の低年齢化に危機感を示した。

> 茂木氏は中学受験塾に所属する生徒のうち、小学3年生の2月に入塾する生徒が最も多く、入塾する生徒の低年齢化が年々加速していると報じた記事に反応。 

 

受験戦争は日本人のあだ花にすぎませんね。受験戦争がどんなに激しくても、わが国の学問の興隆には、つながりませんね。単なる処世術 (現実) の争いにすぎません。

各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. 政治家には政治哲学が必要ですね。そうでなければ政治音痴は避けられない。だから、我々は無哲学・能天気ではいられない。  

 

>「受験のペーパーテストのために、脳が柔軟な大切な時期をこのような狭い学習に費やすのは一人ひとりの人生がもったいないだけでなく、国家的な損失」と指摘した。

 

そうですね。国家的な損失ですね。人手不足は生じても、頭脳不足は生じない国ですからね。もったいないですね。もっと頭脳を有効に使いましょう。

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。世界は過去から現在・未来へと移動する。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこ世界観の中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になる。

大人になる為の教育は、自己の哲学を作成することにある。それは、英米流の高等教育で行われている。高等教育機関に在学して自己の哲学を作成すれば、学士・修士・博士になることができきる。博士になれば、研究者として認められる。彼らの社会は学歴社会である。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。なければ現実を否定できない。だから、現実肯定主義者となる。批判精神のない人の文章は、現実の内容の垂れ流しになる。子供のようなものである。日本には大人になる為の教育がない。

 

> 続けて「『偏差値』という受験産業のマッチポンプにいつまで付き合うのか?」と現在の受験体制に疑問を呈した。

 

日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列なきところに礼儀なしである。日本人は、序列の存在を知れば、一も二も無くそれを価値あるものと思い込む。万世一系の天皇のようなものである。  

礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて堅ぐるしい日常生活を送っている。日本人の尊敬は、単なる序列社会の序列順位の表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。無哲学・能天気である事は、日本人にとって何ら気になることはない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

序列人間は人間の序列を作る。上位の者と下位の者の間に自分を差し挟むことにより自己の存在感を確認して安堵している。だから、自己の所属する序列に強い帰属意識を持っている。義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことにより仕事にやりがいを感じている。周囲の序列人間が自分たちの序列に対する貢献度を評価するからである。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生の楽しみである。 

 

> これにフォロワーからは「公立中学校が魅力的じゃないってことの裏返しでは」「偏差値と内申書の在り方を見直してほしい」などと様々な意見が寄せられている。

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

 

 

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表と裏 2/2 

2020-11-28 03:19:02 | 文化

 

(1/2 より) > 不況下の日本で、羽振りのよさをテレビカメラを意識して見せつけるというのは、庶民の味方だった昔の侠客とは全く異質というほかない。  

 

公の組織も、それとは関係のない別組織も、序列を形成することには変わりない。それが、序列人間 (日本人) のメンタリティ (考え方) というものである。  

 

> 名古屋では、中部国際空港も、トヨタのビルも、弘道会の睨みがきいてスムーズに工事が進んだといわれている。>いくら取り締まられ、世間の非難を浴びてもこの裏組織が巧妙に生き延び、さらに肥大化する背景には、それを利用してコトをうまく運ぼうとする表の勢力の存在がある。

 

表も裏も日本人の序列メンタリティには変わりない。いずこも同じ日本語に基づいている。     

 

>そして、表と裏をつなぐ闇のルートは、情報機関の調査網にもかからないほど、みごとに隠蔽されている。 > 日本社会は途方もなく根深い問題を抱え込んでいる。

 

そうですね。言語は伝達の手段であると同時に思考の手段でもありますね。  

日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列なきところに礼儀なしである。

礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて堅ぐるしい日常生活を送っている。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。無哲学・能天気である事は、人々にとって全然気にならないことである。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

序列人間は人間序列を作る。上位の者と下位の者の間に自分を差し挟むことにより自己の存在感を意識している。だから、自己の所属する序列に強い帰属意識を持っている。義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことにより仕事にやりがいを感じている。周囲の序列人間が序列に対する貢献を評価するからである。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが人生の楽しみである。 

 

>相撲界とヤクザの付き合いは、表に出ているほんの一部に過ぎない。 > 力士をかばうつもりはないが、少年時代から相撲の稽古に明け暮れている人たちである。 >暴力団の資金づくりに加担しているなど、ツユほども思っていなかったのではないか。 

 

そうですね。裏社会を知って相撲の稽古に明け暮れるわけではありませんね。   

 

>マスメディアには闇に隠れて社会の土台を蝕んでいる大きな悪を見逃すことがないよう願いたい。

 

そうですね。

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。世界は過去から現在・未来へと移動する。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になる。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。批判がなければ現実を否定できない。だから、現実肯定主義者となる。批判精神のない人の文章は、現実の内容の垂れ流しになる。子供のようなものである。

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)

日本には大人になる為の教育がない。大人になる為の教育は、英米流の高等教育である。学生は大学・大学院で自己の哲学を作る。すると、学士・修士・博士に成れる。

わが国のマスコミは現実の内容をただ垂れ流す。だから、個性が見られない。個人主義が理解できない。個人主義を利己主義と間違えたりもする。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。それで、相手からも信頼されない。広く国際的な協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

>---------------------------------------------------------------- 

 

 

 

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表と裏 1/2 

2020-11-28 02:38:07 | 文化

 

>233840 表と裏をつなぐ闇のルートは情報機関の調査網にもかからないほど見事に隠蔽されている >猛獣王S ( 不惑 営業 )  10/06/27 PM09 【印刷用へ】 

>『ヤクザと日本社会』(永田町異聞)リンクより転載します。

>----------------------------------------------------------------

> ~前略~

>…昔からヤクザと相撲の興行は因縁浅からぬ関係にあったのは確かである。> 芸能やプロレスなどの興行も同じことで、三代目山口組組長、田岡一雄の神戸芸能社が美空ひばりの後ろ盾になっていたことはよく知られている。>こういうことを考えあわせると、相撲協会や力士を責めるだけでは、なにごとも解決しないように思われる。 

 

そうですね。ただ表層をなでるだけでは何事も解決しませんね。因縁浅からぬ関係の機序 (mechanism) を理解することが大切ですね。   

 

>  ~中略~

>…この国に深く根を張っているヤクザ組織がつくる裏社会もまた日本の現実の一断面であることを認識してこの問題に向かわなければ、単に相撲界に不心得者を探し出し、「けしからん」と騒ぐだけで終わってしまう。

 

そうですね。男伊達 (強者をくじき弱者を助ける人) の存在が問題ですね。  

 

> 実は、政界、経済界を含め、ヤクザの人脈、金脈はあらゆるところに張りめぐらされている。  

 

そうですね。日本人は序列人間である。だから、人間は序列社会を作る。序列は日本社会のあらゆるところに張り巡らされている。

日本人は、序列を見れば、一も二も無く価値あるものと思い込む。この価値観が序列社会を強固なものにしている。大和魂、日本は強い。万世一系の天皇を見よ。   

 

>92年に施行された暴力団対策法によって、ますますその活動は潜在化、巧妙化し、近年では企業社会への進出が盛んになっている。 

 

序列人間の日本人が序列の表向きと裏を区別して仕切るのは難しいですね。表と裏は表裏一体ですね。どちらも序列関係で成り立っています。        

 

> 戦後、闇市を仕切ったヤクザは、神社のお祭りはもとより、芸能、プロレスなどの興行で大いに儲け、豊富な資金をつかって政界とのパイプも築いた。> 60年安保闘争のとき、岸内閣の助っ人として、デモ隊阻止の軍団をつくって馳せ参じたのもヤクザだった。

 

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)     

変わり身の早さは日本人の得意芸ですからね。目先・手先の事柄に神経を集中させていますね。現実があって非現実 (考え) の無い人間の特徴ですね。

 

>その仕掛け人が、右翼、ヤクザ、政治家とつながりの深い児玉誉士夫だったことはよく知られている。> 児玉は上海の「児玉機関」が管理していた旧海軍の資産を隠し持って帰国、それを提供することで戦後政界にフィクサーとして君臨する一方、暴力団への影響力によって裏の資金源も確保し、ロッキード事件で起訴されるまで、日本の表と裏の世界をつなぐ怪物であり続けた。>その後も、政界とヤクザとの関係は切れることがなかった。>暴対法の施行をきっかけに、ヤクザは右翼政治団体を名乗り、収益源をそれまでの賭博、覚せい剤などから、街宣活動や、経済活動にシフトしていった。 

 

吉良の仁吉は男じゃないか。俺も生きた仁吉のように。義理 (序列関係により生じる義務) と人情 (私意・我儘・身勝手) のこの世界。  

 

> 街宣活動は竹下登や中川秀直らに対するいわゆる「ほめ殺し」に代表される。 >ターゲットにされた政治家は、結局、ツテを頼って闇のルートから街宣活動の黒幕にアプローチし、金銭で解決する。 >これはヤクザの大きな収入源になった。 > 暴力団員の数は全国で約8万人と警察は発表しているが、実際はもっと多いようだ。 

 

義理と人情のこの世界。日本人の世界。世界が狭い。   

 

>山口組、稲川会、住吉会系の組員が全体の70%以上を占め、山口や稲川の収入は年間1兆円にも及ぶといわれている。 >この豊富な資金をベンチャー企業やファンドへの投資に振り向けたり、自ら企業活動を行うなど、ヤクザ組織の活動は昔に比べて頭脳的で、実態がつかみにくくなっている。 >とくに警察に入る情報が極端に減っている。 >暴対法施行にヤクザの側が猛反発し、組員に警察との接触を厳しく禁じたのがきっかけだ。 >それまでは、立場の違いはあっても、それなりの関係を保ってきただけに、捜査員はやりにくくなった。 

 

ミイラ取りがミイラになるか。   

 

> 警察の焦りをせせら笑うかのように、派手なことをやってのけたのが名古屋に本拠を置く山口組系弘道会だ。 > 大相撲の二人の親方を使ってテレビに映る正面席チケットを手に入れ、のべ55人の幹部らが名古屋場所の取組を悠然と観戦した。 > 服役中の山口組六代目、司忍組長に、テレビを通じて姿を見せたかったのではないかと推測されているが、真相は定かではない。(2/2 に続く)

 

 

 

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