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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

GAFAM

2025-01-31 09:50:07 | 文化

>プレジデントオンライン   >なぜ日本から「GAFAM」は生まれなかったのか真面目に働く日本人がアメリカ企業に勝てなかった決定的な理由   >山口周によるストーリー・   >20時間・   

>日本からGAFAMのような企業が生まれないのはなぜなのか。   

 

日本人は現実の世界で仕事をしている。モノを加工してその工賃を得て生計を営んでいる。だから現実肯定主義者である。だが、非現実はない。

GAFAMIT (非現実) の世界で金を稼いでいる。モノを加工するのではない。その有用性を売り物にしている。     

 

>コンサルタントの山口周さんは「創造性が必要な課題において、日本はアメやムチを与えがちだ。   

 

非現実の内容を現実の内容に変えることができればそれは創造力を発揮したことになる。アメとムチではどうにもならない。   

 

>だが、それらはいずれも創造性をかき立てるどころか、むしろ創造性を破壊している」という――。   

>※本稿は、山口周『武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。   

>エドワード・デシ(1942~)   

>アメリカの心理学者。   

>ロチェスター大学教授。   

>内発的動機が及ぼす学習や創造性について大きな業績を残した。   

>創造性はイノベーションの必要条件   

>今日、イノベーションは多くの企業において最重要の課題となっています。   

>個人の創造性とイノベーションの関係はそう単純ではなく、個人の創造性が高まったからといってすぐにイノベーションが起きるわけではないのですが、ともあれ「個人の創造性」が必要条件の大きな一部であることは論をまちません。   

>では、個人の創造性を外発的に高めることはできるのでしょうか?   

>この問題を考えるために、194050年代に心理学者のカール・ドゥンカーが提示した「ろうそく問題」を取り上げてみましょう。   

>まず、図表1を見てください。   

>「ろうそく問題」とは、テーブルの上にろうが垂れないようにろうそくを壁に付ける方法を考えて欲しい、というものです。   

>「発想の転換」がなかなかできない   

>この問題を与えられた成人の多くは、だいたい79分程度で、下図のアイデアに思い至ることになります。   

>つまり、画鋲を入れているトレーを「画鋲入れ」から「ろうそくの土台」へと転用するという着想を得ないと解けないということなのですが、この発想の転換がなかなかできないんですね。   

>一度「用途」を規定してしまうと、なかなか人はその認識から自由になれないということで、この傾向をドゥンカーは「機能認識の固着」と名付けました。   

>考えてみれば、例えばフェルトペンなどは、ガラス製の瓶に入れられたフェルトに有色の揮発油がしみ込んでいるので、物性としてはアルコールランプとほとんど同じです。   

>で、実際に暗闇ではこれを立派にランプとして使うことが可能なわけですが、なかなか普通の人にはそういう発想の転換ができない、ということをこの実験を通じてドゥンカーは証明しました。   

>報酬を与えられると人の創造性はむしろ低下する   

>その後、ドゥンカーの実験から17年を経て、ニューヨーク大学のグラックスバーグは、この「ろうそく問題」を、人間の若干異なる側面を明らかにするための実験に用い、そして興味深い結果を得ています。   

>彼は、この問題を被験者に与える際、「早く解けた人には報酬を与える」と約束することで、アイデアを得るまでにかかる時間は際立って「長くなる」ことを明らかにしました。   

1962年に行われた実験では、平均で34分ほど長くかかったという結果が出ています。   

>つまり、報酬を与えることによって、創造的に問題を解決する能力は向上するどころか、むしろ低下してしまうということです。   

>実は、教育心理学の世界では、この他数多くの実験から、報酬、特に「予告された」報酬は、人間の創造的な問題解決能力を著しく毀損することがわかっています。   

>有名どころでは例えばデシ、コストナー、ライアンが行った研究でしょう。   

>彼らは、それまでに行われてきた、報酬が学習に与える影響についての128件の研究についてメタ分析を行い、報酬が活動の従事/遂行/結果のいずれに伴うものであるとしても、予告された報酬は、すでに面白いと思って取り組んでいる活動に対しての内発的動機付けを低下させる、という結論を得ています。   

>デシの研究からは、報酬を約束された被験者のパフォーマンスは低下し、予想しうる精神面での損失を最小限に抑えようとしたり、あるいは出来高払いの発想で行動したりするようになることがわかっています。   

>アメは組織の創造性にとって「害悪」   

>つまり、質の高いものを生み出すためにできるだけ努力しようということではなく、最も少ない努力で最も多くの報酬を得られるために何でもやるようになるわけです。   

>加えて、選択の余地が与えられれば、そのタスクを遂行することで自分のスキルや知識を高められるような挑戦や機会を与えてくれる課題ではなく、最も報酬が多くもらえる課題を選ぶようになります。   

>これらの実験結果は、通常ビジネスの世界で常識として行われている報酬政策が、意味がないどころかむしろ組織の創造性を低下させていることを示唆しています。   

>つまり「アメ」は組織の創造性を高める上では意味がないどころか、むしろ害悪を及ぼしている、ということです。   

「報酬が創造性を高める」という誤解は根深い   

>報酬と学習の関係については未だに議論が収束しておらず、例えばアイゼンバーガーとキャメロンのように「報酬が内発的動機付けを低下させるという警告のほとんどは間違っている」と主張する論者もいるのですが、少なくとも「予告された報酬が内発的動機を低下させる」とするデシの論考については、70年代から続いた議論を経てほぼ結着がついていると考えてもらって構いません。   

>ところが不思議なことに、経営学の世界では未だに報酬が個人の創造性を高めるという立場を取る論者が少なくありません。   

>例えばハーバード・ビジネス・スクールやロンドン・ビジネス・スクールで教鞭をとっていたゲイリー・ハメルは、イノベーションに関連する論文や著書の中でたびたび「桁外れの報酬」による効果について言及しています。   

>起業家は小物をねらいはしない。起業家が目指すのは、新興企業の株式である。(中略)   

>革新的なビジネス・コンセプトと起業家のエネルギーこそ、革命の時代には頼りになる「資本」だ。   

>アイデア資本家が、株主と同等の報酬を求めるのも当然だ。   

>彼らは、確かに短期間で大きな成功をねらうが、同時に自分の貢献に見合う報酬を要求するのである。(中略)   

>「ビジネスで過去の延長としては考えられない斬新なイノベーションを成しとげたスタッフには、手厚く報いなければならない。   

>斬新なイノベーションを実行すれば、会社がかならず手厚く報いることをスタッフに明確に知らしめる必要があるのだ」   

>ゲイリー・ハメル『リーディング・ザ・レボリューション』   

>「お手本」だったエンロンは破綻した   

>報酬政策に関するこのようなコンセプトに関して、ハメルがたびたび「お手本」として取りあげていたのがエンロンでした。   

>ハメルは、上述した同書においてこのように書いています。   

>曰く「年輪を重ねた革命家を生み出すためには、企業は報酬を、役職、肩書き、上下関係などから切り離して決めなければならない。   

>実際にエンロンではそうしている。   

>同社のなかにはアシスタントでも取締役を上回る収入を得ている者がいるのだ」(同書P364より)。   

>しかし、現在の我々は、エンロンや投資銀行で起こったこと、あるいは現在のITベンチャーで起こっていることが、まさにデシの指摘する「本当に価値があると思うことではなく、手っ取り早く莫大な報酬が得られる仕事を選ぶようになる」という事態であったことをすでに知っています。   

>エンロンがロケットのように上昇する株価を謳歌していたのは2000年代の初頭で、ハメルによる上記の論考が出されたのもその時期のことです。   

>しかし、すでにその時点でデシをはじめとした学習心理学者たちの報酬に関する研究結果は数十年のあいだ公にされており、少なくとも「予告された報酬」が、様々な面でその報酬の対象となる人々の創造性や健全な動機を破壊することは常識となっていました。   

>創造性を発揮させたければアメを与えてはいけない   

>こういった初歩的な人文科学あるいは社会科学領域における知見が、社会のあり様についてもっとも大きな影響力をもつ企業に対して発言力を有する経営科学の領域にほとんど活かされていないという事実には、残念という感慨を通り越して困惑させられます。   

>ハメルが教鞭をとっていたハーバード・ビジネス・スクールやロンドン・ビジネス・スクールは高額の学費をとることで知られていますが、高い学費を払わされた挙げ句、他分野ではとっくのとうに誤りであることが明らかにされている知見を学ばされた学生はたまったものではないでしょう。   

>人に創造性を発揮させようとした場合、報酬(特に予告された報酬)は、効果がないどころではなく、むしろ人や組織の創造性を破壊してしまう、ということです。   

>人に創造性を発揮させようとした場合、報酬=アメはむしろ逆効果になる。   

>「不確実なチャレンジ」にはムチもいらない   

>では一方の「ムチ」はどうなのでしょうか?   

>結論から言えば、こちらも心理学の知見からはどうも分が悪いようです。   

>もともと脳には、確実なものと不確実なものをバランスさせる一種のアカウンティングシステムという側面があります。   

>何かにチャレンジするというのは不確実な行為ですからこれをバランスさせるためには「確実な何か」が必要になります。   

>ここで問題になってくるのが「セキュアベース」という概念です。   

>幼児の発達過程において、幼児が未知の領域を探索するには、心理的なセキュアベースが必要になる、という説を唱えたのはイギリスの心理学者、ジョン・ボウルビィでした。   

>彼は、幼児が保護者に示す親愛の情、そこから切り離されまいとする感情を「愛着=アタッチメント」と名付けました。   

>そして、そのような愛着を寄せられる保護者が、幼児の心理的なセキュアベースとなり、これがあるからこそ、幼児は未知の世界を思う存分探索できる、という説を主張したのです。   

>アメリカにはイノベーションが生まれやすい風土がある   

>これを援用して考えてみれば、一度大きな失敗をして×印がついてしまうと会社の中で出世できないという考え方が支配的な日本よりも、どんどん転職・起業して失敗したらまたチャレンジすればいいといった考え方が支配的なアメリカの方が、セキュアベースがより強固であり、であればこそ幼児と同じように人は未知の世界へと思う存分挑戦できるのだ、という考え方が導き出されることになります。   

>つまり、人が創造性を発揮してリスクを冒すためには「アメ」も「ムチ」も有効ではなく、そのような挑戦が許される風土が必要で、更にその風土の中で人が敢えてリスクを冒すのは「アメ」が欲しいからではなく、「ムチ」が怖いからでもなく、ただ単に「自分がそうしたいから」ということです。   

 

そうですね。人間には遊びが必要ですね。All work and no play makes Jack a dull boy. (仕事ばかりで遊ばないと、ジャックは退屈な男になる)       

序列主義の人は、序列の存在を知れは、一ものも無くそれが価値あるものと思い込む。そしてその序列争いに参入する。これが日本人の向上心である。     

序列国家のわが国民の間では難関突破が何よりの手柄とされている。没個性の競争には参入が容易であるから競争相手が多く難関になるのである。

個性的な競争には難関がない。個性はそれぞれ人によりに違うから、各人がマイ・ペイスで仕事をする。ぶつかり合うことが無いので大衆が押し寄せる難関というものがない。こうした独創的な励みは大学の教育には欠かせない。  

 

---------- 山口 周(やまぐち・しゅう) 独立研究者・著述家/パブリックスピーカー 1970年、東京都生まれ。   

>慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修了。   

電通、ボストン・コンサルティング・グループ等を経て現在は独立研究者・著述家・パブリックスピーカーとして活動。   

>神奈川県葉山町在住。   

>著書に『ニュータイプの時代』など多数。   

----------   

 

 

 

 

 

 

 

 

 


濱田純一氏 高宮敏郎氏  

2025-01-30 17:31:23 | 文化

>THE GOLD ONLINE   >点数至上主義…「東大生」すら企業の即戦力として活躍できない。日本の教育の「根本的問題」【東大元総長×SAPIX代表の対談】   >THE GOLD ONLINEによるストーリー・   >7時間・   

>初の戦後生まれの東大総長として、秋入学構想をはじめとする数々の改革に取り組んだ濱田純一氏。   

>改革は常に順風満帆とは限らず、「失敗」もあったという。   

(略)   

>教育改革を経た東大の「今」   

>東京大学の教育改革/入試改革(2016年度から導入した推薦入試、秋入学導入の断念など)は、全てが順風満帆に進んだわけではないようです。   

>思い通りにはいかなかった「失敗」を、どのように「成功」へと変えてきたのか。   

>この点についても、濱田先生のお考えを事前にご教示いただきました。   

>「失敗」を経て「成功」することも大切なことです。   

 

失敗の原因を取り除けば成功しますね。   

 

>東大の授業改革、教育改革も、うまくいかなかった制度を別の制度に変化させています。   

>東大生だから失敗してはいけない、などということはまったくなく、東大という非常に恵まれた環境の中で学べることを前向きに捉え、失敗を恐れずにさまざまなことに進んでチャレンジしてほしいと考えています。   

 

それは減点主義の世界から抜け出す事ですね。   

 

>ここからは、東大の入試改革についてお聞きしたいと思います。   

>早稲田大学の田中愛治(あいじ)総長が、教務担当の理事だった10年ぐらい前に、大人数の教室をいかに減らせるかという点に腐心されていました。   

>可能であれば、7割の授業を学生が30人以下の状況で実施したいとおっしゃっていました。   

>現状でもまだ大人数の教室はあるようですが、少人数での教育に対する意識には非常に強いものがあると感じた次第です。   

>東大の教育改革によって今はどのような教育になっているのか。   

>どのような点が最も変わったところなのか。   

>ぜひともお聞かせください。   

>秋入学を実施しようとしたもののうまくいきませんでした。   

>しかし、秋入学で目指そうとした教育の精神、そこで目指していた教育の在り方だけでも実現していこう。   

>そのような思いから、総合的な教育改革を進めました。   

>言い方を換えれば、学事暦の変更を媒介とせず、教育そのものの改革を目標としたイメージです。   

>その改革の柱としたのは、教育の国際化、実質化、高度化の三つの理念です。   

>当時、大きな課題になっていたのは、しばしば「学生が点数主義に陥っていたこと」「学生の授業態度が受け身であったこと」「学生の視野が狭いこと」の3点でした。   

 

点数主義は序列社会の産物ですね。   

日本人には意思が無いので態度が受け身になりますね。 

日本人には世界観がないので視野が狭いですね。   

 

>そこに焦点を当てて改革を進めていくことに決めたわけです。   

>東大の場合は「レイト・スペシャリゼーション」の仕組みを採用しているので、入学時点ではなく、3年生へ進級する際に学部や学科を決定することになります。   

>2年間の前期課程の成績も大きく関わってきます。   

>基礎的な知識を身につけてから何を学びたいのかを決めることができます。   

 

そうですね。   

 

>そこにはかなり主体的な意思が働くとも思えるのですが、そうではなかったということでしょうか?   

>社会から欠如した「教育力」…日本経済衰退を招いた根本原因   

>制度の趣旨はその通りですが、進級決定の仕組みの問題もあって、点数主義から抜け出せてはいませんでした。   

>「広く教養を深める」という本来の目的よりも、「いかに高い点数を取るか」を意識して、大して興味もない授業を選択する。   

 

点数が教育の頼りですね。   

 

>そのようなケースも増えていました。   

>「何を学びたいか」ではなく、「どの先生の授業が点数を取りやすいか」が判断の基準になりかねないのです。   

 

それは点取り虫の習性ですね。   

 

>言うまでもないことですが、教養とは専門的な学びにとっての大切な基礎となるものです。   

>また、多様な学びをする出発点ともなります。   

>さらに言うと、社会に出れば、点数だけで評価してくれるほど甘くない。   

>だからこそ、大学では点数主義を改めていかなければならないと、強い問題意識を持っていました。   

 

点数主義はわが国の病 (序列主義) の産物ですね。   

 

>その一環として、進級決定の仕組みを変更したり、分野横断型のプログラムを強化したり、少人数のチュートリアル方式の拡充によって、学生と教員との距離が非常に近くなっています。   

>補助教員も積極的に採用しました。    

>チュートリアル方式の授業では、論文の発表方法、討論や論文の基本的な作法、あるいは、実験の基本的な作法などを集中的かつ本格的に教えています。   

>これらの授業には多大な労力がかかっていますが、今の東大の制度だからこそ体感できる授業ばかりです。   

>それが私たちの目指した教育改革の形の一つです。   

>考えてみれば、昔のほうが教え方は粗かったように思いますが、役に立たない学生を企業や社会に送り込んでくるとは言われませんでした。   

>70年代~80年代までは、企業や社会に大学卒の人間を教育する力が残っていました。   

>しかし、今はそうではありません。   

>以前は「大学で余計なことを教えなくても、企業がしっかり教育するよ」といった声を、しばしば耳にしました。   

>それが今ではできなくなってしまっています。   

 

OJT (職場内訓練、実地研修) がなくなったのですかね。 [OJT: On-the-Job Training]

 

>実際のところ、私はそれが社会の教育力の根本的な問題だと思っています。   

>確か経済界が「大学できちんと教育してから社会に送り込んでほしい」と言っていたのが十数年前だったと思います。   

>あるいは、産業界から「学士力」という言葉を突然使い出したと記憶しています。   

>その頃までは、濱田先生がおっしゃったように、大学教育に期待する部分はまるでなかった。   

>しかし、経済力が低下し、日本企業の余裕がなくなってくると、急に「即戦力で活躍できる学生を送ってほしい」と言われるようになりました。   

>それが問題であるという点には、私自身もまったく同感です。   

>「失敗しない人材」に優しくすることが日本を緩やかな破滅に導く   

>課題解決的な学習に取り組み、「考える力」や「自分の知識を問い直す力」が伸びてくるのであれば、それはとても良いことです。   

>しかし、企業や社会への目先の適応能力だけが高くなってもほとんど意味はありません。   

>何より大事なのは、学生が長い人生の中で能力を発揮し、成長し続けられるような力を身につけることです。   

>課題解決的な学習といっても、大学としての対応には限界があります。   

>昨今の大学は学生をかなり丁寧に育てるようになっていますが、その学生を受け入れる企業や社会の側でも、同じように丁寧に教育を進めてくれれば、なおよいと考えています。   

>例えば、以前の企業には「多少損失を出したとしても、また次に頑張ればよい」と、前に進むことを貴ぶ風潮があったと理解していますが、今の時代には、そのようなおおらかさが衰えてきたように感じます。   

 

失敗は成功の元ですね。失敗からは貴重なことが学べますね。   

 

>厳しい言い方かもしれませんが、成功を目指すのではなく、失敗をしないような人材に優しくなっているような印象を受けます。   

>このような風潮を変えない限り、日本の社会も企業も大学も、長期的に伸びていく余地はないと私は思っています。   

>東大教授で宇宙工学がご専門の中須賀真一先生は、「失敗が大事だ」と主張されています。   

>宇宙開発のプロジェクトには非常に大きな資金がかけられています。   

>300億円もかかるプロジェクトで失敗するわけにはいきません。   

>そうすると、いかに小さい実験段階で失敗の経験が積めるか。   

>そこが大事になってくるというわけです。   

>小さな失敗の経験を重ねるために、中須賀先生の研究室は、小さなロケットを打ち上げて、目的の地点に戻ってくるというコンテストに参加しているそうです。   

>失敗してもさほど大きな損失になりませんので、安心して失敗を重ねることができるわけです。   

>>日本の教育には、そんな「失敗」が圧倒的に足りない。   

>>そのお考えにはとても感じるところがありました。   

>学生にハードな経験をしてもらうという意味では、東大でも、多くの体験活動のプログラムを設けたり、国際社会における指導的人材の育成を目的とする「グローバル・リーダーシップ・プログラム」を導入したり、といったことに積極的に取り組みました。   

>このような多様な経験を通して、「自分を問い直す力」=「考える力」をどんどん伸ばしてもらう。   

>自分が物事を眺める角度、自分の価値観だけで見てしまうと、どうしても物事の捉え方が狭く、固くなってしまいます。   

 

他人の受け売りとその後追いを続けてきた学生には難しそうですね。   

 

>異なる視点や価値観に触れることによって、「今の自分の在り方は違うのではないか」と問い直すことができる。   

>しかもそれを授業の内外で学び、実践していく。   

>それが成長につながると考えています。   

>東大総長が考える大学の「重要な役割」とは?   

>もちろん、東大生でも失敗することはあります。   

>それは当然のことです。   

>自分にまるで経験値がない、知らない世界で失敗することに不思議はありません。   

>先ほどのお話にもあったように、失敗する経験はとても大事です。   

>恐れることなく全力でチャレンジし、失敗もすること。   

>それが自らを問い直すことにつながり、「考える力」を育んでくれます。   

 

現実の内容を自分勝手に解釈して、その上で話に筋に通して見せる事が必要ですね。   

 

>そうした力や経験を社会がどのように評価するのか。   

>この点は今後の日本の在り方にも大きく関わってくる、非常に重要な問題だと思っています。   

>ちなみに、秋入学への変更を議論している際に、「皆は東大生なんだから、いろいろなことに失敗を恐れずチャレンジすればいいじゃないか」と学生たちによく言っていました。   

>「君らは大学で鍛えられ、しっかり勉強して、非常に恵まれた環境で生きている。   

>だから、失敗してもすぐに立ち直ることができるはずだ」とも話していました。   

>今まで偏差値至上主義の価値観で生きてきたので、高得点を取らなければいけない、つまり、失敗してはいけない、そんな意識で生きてきた学生も少なくありません。   

 

そうですね。序列主義の社会ではわかりやすい偏差値至上主義の人間が幅を利かせていますね。   

没個性の競争には難関がある。参入しやすいから多数の人が競争に参加するからである。

個性的な競争には難関がない。各人がマイ・ペイスで仕事をするからである。独創的な励みは大学の教育に必要なものである。     

 

>それらを払拭することで、社会に出てものびのびと成長し続けることができる。   

 

そうですね。  

 

>私はそう思っています。   

>決して安楽には過ごせませんが、「自らを問い直す力」=「考える力」を身につければ、意識はおのずから変わっていくものと期待します。   

>そのための場所と機会を提供するのが大学の重要な役割なのだと考えています。   

>高宮 敏郎   

>SAPIX YOZEMI GROUP共同代表   

 

我が国の日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答を出せる編集者が必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。高等教育機関において自己の個人的見解示せば学位 (博士号など) が得られる。だが、自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく:  世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走に迷走を続けて、いつまでたっても国家目標に到達しない。だから、わが国の政治家は若者にも夢と希望を与えない。   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


和田大樹氏  

2025-01-27 20:51:51 | 文化

>まいどなニュース   >トランプ政権再来で、中国が日本に接近!?...日本企業の「脱中国」は後退するのか 尖閣・台湾情勢など潜在的リスクの再認識を   >まいどなニュースの意見・   >47分・   

120日、トランプ大統領がホワイトハウスに4年ぶりに戻ってきた。   

>前回同様、トランプ大統領は自国第一主義を前面に押し出し、中国に対する優位性を確保するべく同国に対しては特に厳しい姿勢で臨んでいくだろう。   

>国務長官や安全保障担当の大統領補佐官に対中強硬派が相次いで起用されていることからも、それは間違いない。   

>また、ウクライナ戦争ではロシア軍がウクライナ領土の一部を占領する現状での終戦を検討しており、米国と欧州との間で再び亀裂が深まるだけでなく、中東でもイスラエル至上主義を貫くと思われ、イランとの間で緊張が高まることが懸念される。   

>そして、トランプ政権が保護主義的な姿勢を鮮明にする中、最近になって中国が日本に接近する動きを見せている。   

>不動産バブルの崩壊や若年層の高い失業率、鈍化する経済成長率など、中国は多くの経済的課題を抱えているが、この状況でトランプ政権による関税制裁などに直面することは避けたいのが本音だろう。   

>しかし、中国自身もそれを回避することが難しいことは認識しており、トランプ政権の保護主義こそが自由貿易や市場経済にとって脅威であることを内外に強調することで、米国と日本、欧州との間に楔を打ち込みたい狙いがある。   

>これが中国が日本に歩み寄りの姿勢に転じている理由だ。   

>一方、こういった国家間の動きは日本企業の間でも非常に注目されている。   

>筆者は最近、東京都内で海外進出企業向けのセミナーで今年の地政学リスクに関する講演をしたのだが、当然のように多くの企業関係者が保護主義化する米国を懸念していたものの、同じくらい聞かれたのが日中関係の行方だ。   

>近年、台湾情勢や経済的威圧、改正反スパイ法なども影響し、日本企業の間では脱中国依存の動きが広がってきたが、依然として日本にとって最大の貿易相手国は中国であり、同セミナーに参加した企業関係者たちからは、「米国が保護主義路線に突き進み、日中関係の改善が見込まれるので企業は脱中国を緩和させるべきか」、「脱中国依存は後退するのか」などの質疑応答があった。   

 

中国は自由・民主の国ではないので、わが国は力を貸さない方が良いですね。   

 

>しかし、日本企業にとって重要な認識は、トランプ政権の保護主義と日中関係をセットになって考えないことだ。   

 

そうですね。   

 

>尖閣諸島や台湾など日中間の懸念事項は何も改善の方向には動いておらず、依然として日中の間には潜在的なリスクが存在することを改めて認識する必要があろう。   

 

そうですね。中華思想は危険ですね。      

 

>日中の外交関係が改善し、それによって経済関係でも明るい兆しが見えることは重要なことではあるが、地政学上のリスクが肥大化すれば、それによってそういった温かいムードは一瞬のうちに後退するのが現実である。   

 

そうですね。   

 

>日中関係は表面的に捉えるのではなく、潜在的なリスクを軸に物事を考えていくことが企業戦略上も重要となる。   

 

そうですね。国家安全保障の観点が大切ですね。      

中国は中原 (ちゅうげん) に鹿を逐 () う伝統的な覇者の国である。だから、覇者の物語 '三国志' は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。これは皇帝の時代も国家主席の時代も漢民族のメンタリティが同じであるから変わらない。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。独断専行に陥りやすい。印欧語族のインド哲学を経文 (漢文) に表すことが至難の業であることがわかる。経文など漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。

・・・・・

中華 (ちゅうか)  [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる]    東夷 (とうい)  [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した]     南蛮 (なんばん)  [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 西戎 (せいじゅう)  [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。北狄 (ほくてき)  [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。   

 

>また、トランプ政権の保護主義路線により、日本企業による中国回帰のような動きが生じれば、それは同時に日本企業の対米リスクを高める恐れがある。   

13日、バイデン前大統領が日本製鉄によるUSスチール買収を阻止する決断を下したが、その理由の1つに日本製鉄と中国との関係への根強い懸念があったと考えられ、トランプ政権は日本企業の中国回帰という動きを否定的に捉えるだろう。   

 

危険な中華思想の国にわが国が力を貸すことは良くないことですね。オオカミと七ひきの子ヤギの話のような結果になるでしょう。      

 

>無論、日本は最大の対米投資国であり、トランプ政権がそれを好意的に受け止め、日本企業の対米ビジネスの環境が良くなるシナリオも十分に考えられるが、トランプ政権下の米中関係は日本企業にとっては難しいものになろう。

 

我が国は常に自己の立場を明らかにする必要がありますね。二股膏薬の技により国際的な駆け引きに終始するのは良くないですね。      

民、信無くば立たず。(政治というものは (民衆) の信頼無くして成り立つものではない。) [論語・顔淵]    

 

>◆和田大樹(わだ・だいじゅ)外交・安全保障研究者 株式会社 Strategic Intelligence 代表取締役 CEO、一般社団法人日本カウンターインテリジェンス協会理事、清和大学講師などを兼務。   

>研究分野としては、国際政治学、安全保障論、国際テロリズム論、経済安全保障など。   

>大学研究者である一方、実務家として海外に進出する企業向けに地政学・経済安全保障リスクのコンサルティング業務(情報提供、助言、セミナーなど)を行っている。   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


野口健氏  

2025-01-27 08:48:38 | 文化

>スポニチアネックス   >野口健氏 石破首相が掲げる楽しい日本 に「わが国はそんな悠長な状況でないだろうに」   >スポーツニッポン新聞社の意見・   >13時間・   

> アルピニスト・野口健氏(51)が26日までに自身のX(旧ツイッター)を更新。   

>石破茂首相の施政方針演説について言及した。   

> 石破首相は24日の通常国会で演説に立ち、「楽しい日本とは、すべての人が安心と安全を感じ、自分の夢に挑戦し、きょうより明日はよくなると実感できる。   

>多様な価値観を持つ一人一人が、互いに尊重し合い、自己実現を図っていける。   

>活力ある国家」と述べた。   

 

石破首相は我が国には何が足りないとお考えですかね。   

 

> 野口氏は「『楽しい日本』…我が国はそんな悠長な状況でないだろうに。   

 

そうですね。理屈も何もわからない。ただ、希望だけがあるということか。      

 

>トランプ大統領と比較しても虚しいだけですが、しかし、あまり違いに愕然と。   

 

日本人とアメリカ人の違いでしょうね。   

トランプ氏は力を加えて相手を動かすつもりですからね。ただの口先だけではない。      

日本人は力を加えない。   

 

>トランプ氏のアクションはいかんせん早い。   

 

意思のある人は行動が早い。日本人には意思 (will) がない。優柔不断・意志薄弱である。無為無策。座して死を待つのか。      

 

>早くも不法移民の強制送還が始まったと報道。   

>トランプとは言わないがメローニになって欲しい」と自身の思いをポスト。   

 

右翼は行動が早いですね。   

 

> 続く投稿で「あのトランプ劇場を見せつけられてしまったからでしょうか…。   

>もちろん、大統領と首相では有している権限が違う訳で単純比較はできない。   

>しかし、メッセージの発し方はどうであろうか」と問い掛け、「ならば大統領ではない同じ首相であったチャーチル氏と比べてどうだろう。   

>チャーチルはあの国難の中、国民に訴えた言葉によりイギリス国民は一致団結した。   

 

あの国難の中、日本人は天皇の下に団結した。   

 

>石破茂とチャーチル氏の表現力は…」と指摘。   

 

石破氏とチャーチル氏の違いは言語に基づくメンタリィティによる違いが大きいでしょうね。   

 

> 「政治家にとって言葉は最も大切。   

 

そうですね。政治哲学ですね。無哲学・能天気であっては聴衆を感動させることはない。      

 

>しかし、なんだかな、伝わってこない…。   

>響かない。   

>どこかで諦めに近い空気感さえ感じてしまう。   

 

日本人には意思がない。無意思であっては自然に返るしかないですね。哲学による聴衆の感動は得られない。政治家に信頼がない。   

民、信無くば立たず。(政治というものは (民衆) の信頼無くして成り立つものではない。) [論語・顔淵]   

 

>トランプ劇場には賛否があるのはよく分かりますが、ただ、正直、羨ましいと」とした。

 

そうですね。人の意見は千差万別ですからね。トランプ氏にはトランプ氏の意見がある。それは当たり前のことですね。            

 

> そして、「トランプ劇場を見せつけられ懐かしかった。   

>しみじみと石原節を思いだしながら、この国に必要なのは『勢い』であると。   

 

それは意思の力でしょうね。恣意の力では困ります。恣意決定では国民が迷惑します。         

 

>国政にさほど期待することはないが、せめて国民を鼓舞してほしいと。   

 

政治家には国民を鼓舞する理由 (リーズン) が必要ですね。リーズナブルにやってもらいたい。      

 

>もし、今、石原慎太郎氏がリーダーであったならばまた違ったのだろうと」と自身の思いを記した。   

 

我が国の日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答を出せる編集者の存在が必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。高等教育機関において自己の個人的見解示せば学位 (博士号など) が得られる。だが、自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走に迷走を続けて、いつまでたっても国家目標に到達しない。だから、わが国の政治家は若者にも夢と希望を与えない。     

 

 

 

 

 

 

 


ソン・ホチョル氏  

2025-01-27 07:00:13 | 文化

>朝鮮日報   >日本のラピダスよりも恐ろしいものとは【朝鮮日報コラム】   >8時間・   

> 「ラピダスは結局失敗に終わるのではないでしょうか。   

>業界では『ラピダスは詐欺』といった言葉も出回っています」。   

1年前、私的な席で出会ったある日本人記者は「国家安保に重要な半導体部門で日本は後れを取った」とし「2ナノメートル(nm1nm10億分の1メートル)半導体の技術確保までは険しい道のり」と話した。   

>そこで「そんな状況に置かれているラピダスに日本政府が膨大な税金を注ぎ込むのだとすれば、批判する記事を書かなければならないのではないか」と聞いたところ、彼は言葉なく話題を変えた。

 

批判精神 (critical thinking) はいつどこでも必要ですね。   

 

> 1218日、北海道千歳市の氷点下10度の凍土に建設中のラピダスの2ナノ工場を訪れた。   

34メートルの高い遮断幕に沿って建設現場を見て回り、正門の外から内側の様子を写真に撮ろうとしたところ、近づいてきた警備員に止められた。   

>「軍事施設でもないのに、仮に私有地だとしても、外から撮影する写真まで取り締まる権利はないのではないか」と言うと、警備員は「私は指示に従うだけ」と答えた。   

> まるで軍事施設のような工場を建てるラピダスは、トヨタやNTT、ソニーなど日本の最高技術を誇る企業が2年ほど前に共同で立ち上げた会社だ。   

>出資額はわずか73億円だが、日本政府は補助金として9200億円を投入した。   

>日本人から1人当たり8000円ずつ集めたことになる。   

>再びラピダスに金が必要になると、日本政府は最近1000億円を追加で支援するとともに「今年法律を改正してでもラピダスに債務、および利子支給を保証する」と明らかにした。   

>中国の官製半導体企業を批判しているが、ラピダスはこれに劣らない。

 

そうですね。   

 

> 実際、日本のマスコミや半導体の専門家たちも、ラピダスの失敗の可能性について明確に理解している。   

 

それでは太平洋戦争開戦の時と同じ状況ですね。   

 

>何といっても金、技術、そして人材が足りない。   

2027年度をめどに2ナノ量産設備を完成させるためには、資金として5兆円が必要だが、日本政府の補助金以外には大金が入ってくるめどがない。   

>米国IBM2ナノ技術を導入したものの、研究室水準の技術に過ぎない。   

>大量生産ラインで検証された技術ではないのだ。   

>日本には2ナノどころか、10ナノ、20ナノの生産ラインを運営したことのある人材もほぼ存在しないのが現実だ。   

 

それでは準備不十分ですね。   

 

> だが、日本の新聞やテレビで「特恵論争」や「税金の浪費」といった鋭い批判は見当たらない。

 

日本人には批判精神というものがないですからね。   

 

>背筋が寒くなる理由は、ラピダスではなく、日本の切実さのためだ。   

 

理由は日本人のメンタリィティですね。理詰めの議論が出来ないのが致命傷ですね。   

 

>日本の半導体戦略の舞台裏である半導体戦略推進議員連盟の甘利明会長は2年前、本紙とのインタビューで「40ナノしか作れない日本にとって、2ナノへの挑戦は『夢のまた夢』」とし「日本には最後のチャンス」と話した。   

 

結果は硫黄島か、沖縄戦か。   

<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り  

 

>成功の可能性が高くて挑戦するのではなく、日本の未来の国家安保にとって必ず必要だから手に入れるというわけだ。   

 

必要性は分かるが、可能性は分らない。   

日本人には可能性に対する追求の努力に欠けているのですね。理詰めの議論が出来ないのでしょうね。    

 

>一度方向性が決まれば、最後まで推し進める日本は半導体を諦めないだろう。   

 

太平洋戦争の時と同じですね。玉砕戦法ですね。原爆投下の悲惨な状態で終わりになるのか。      

 

> 補助金どころか、週52時間勤務制の例外も認めるよう求めた「半導体特別法」も白紙化に追い込んだ韓国の政治家たちはそうではないようだが、諦めない日本に対して感じるこの不安は、何も記者だけが感じているものとは思えない。   

 

そうですね。不安は諦めない日本にありますね。日本は1945年以来何も学んでこなかったようですね。   

 

>東京=成好哲(ソン・ホチョル)支局長   

 

ヒットラーは勝算を見込んで (理性判断) 戦争に突入した。

日本人は勝算を見込むことなく (盲目の判断) 戦争に突入した。

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。 

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。 

指導を受ける時期というのはどこでもそうですが、日本人は新しい模範とか新しい考え方を受け入れやすかった。あそこでは、基本になる考えを植え付けることができます。日本人は、まだ生まれたばかりの、柔軟で、新しい考え方を受け入れることができる状態に近かったのです。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使のものよりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。だが、日本人は彼が考えるような知恵遅れの民族ではない。日本語文法には時制 (tense) というものが無いのである。待てど暮らせど非現実 (考え・哲学) を搭載する構文は日本人の口からは出て来ない。つまり自己の考えの内容は文法上表せないのである。これが英米人の子供と違う所である。