gooブログはじめました!

日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

齢をとってくると

2015-03-29 15:09:10 | 日記
齢をとってくると、葬式の出席に忙しくなる。このような心境は、若いころには想像できなかった。友人が死ぬこと自体がほとんどなかったからである。今では友人・親族が次から次へと他界するので、次は自分の番かと、つい考えてしまう。生きながらえて、粗大ゴミになるか。それとも、早いこと見切りをつけてこの世におさらばするか。それが、問題である。'齢取った、齢取った' と、周囲のものから褒められているのや、落胆さてるのやら。
人が死ぬことを、'天国に旅立つ' と表現する。地獄に落ちる人はあまりいないようである。天国が、本当にあるのだろうか。なくても、人はついそれを考えてしまうのであろうか。天国などには行かないで、ずうっとこの地にとどまって、草葉の陰から、じっとこちらの方を眺めているのではあるまいか。

現実は、頭の外にある内容である。非現実は、頭の中にある内容である。非現実の世界は、限りなく広がっている。仏教は、三千世界を考えている。
インド人は、前世・現世・来世を考えているが、前世の内容を展開するには、過去時制とその完了時制の文章構文が必要である。現世の内容を展開するには、現在時制とその完了時制の文章構文が必要である。来世の内容を展開するには、未来時制とその完了時制の文章構文が必要である。彼らの言語には、時制があるので、こうした各種の世界観の作文ができる。彼らは、自己発想の根拠を瞑想に求めている。だから、ガンジス川のほとりには、大勢の瞑想をする人々が見られる。'この子・アニマル (現実) は、◯◯さんの生まれ変わり (非現実)である' という考えは、インド人流の発想法である。

日本語には時制が無いから、非現実の話はできない。全ては、実況放送・現状報告の内容になる。幼児症であるかのごとく、日本人は '嘘・本当の世界' に住んでいる。現実の内容でないものは、全て真っ赤な嘘になる。誰しも嘘はつきたくない。人から相手にされなくなるからである。私もこの齢になるまで何回も僧侶の説法を拝聴させていただいたが、前世の内容や来世の有様の詳しい説明を受けた記憶はない。大体、世俗的な話で終わっている。それ以上の話は、日本語では無理なのかもしれない。

英米人も、過去の世界、現在の世界、未来の世界の内容を別々に持っている。インド人が自己の瞑想に発想の根拠をおいているのに対して、英米人は自己の体験 (経験)を発想の根拠にしている。だから、考えの内容が地についていて、信頼に足る '科学' になる。
英米人を説得するには、哲学 (非現実の内容) が必要である。哲学的に理想の世界を追求し、その一致を得ることで大同を得ることができる。理想の未来社会を建設するために、いろいろな協力策を提案して見る。そのなかで、小異 (現実)を捨てることも可能になる。彼らは科学に強いので、頼りになる力を得ることになる。だから、われわれ日本人には、英米流の高等教育である哲学の勉強が必要である。この励みは、我々の望んでいる世界の平和にも通じている。




.

積極的になろう

2015-03-28 12:10:18 | 国際・政治
社会は、相手が存在してのことである。
未来社会の建設は、相手と相談して合意に達しなければならない。
'自分さえ善ければ' の修身教育では、対処できない。

'我々はどこに行くか。' これは、哲学の命題である。その答えは、非現実の内容である。
過去・現在・未来の中の未来の世界について尋ねているのである。これらの三世界は、時制から発生している。
時制が無ければ、このような哲学的な (非現実の)発想もない。

特亜三国 (日本・韓国・中国) の言語には、時制が無い。だから、北東アジアの民は、無哲学・能天気である。
'我々日本人は、どこにも行かない'。 'どこ' というのは、'次の世' をさしている。日本人は、自分たちの世が、苔のむすまで変わらないことを願っている。
お変わりのないのが天下泰平の世の中で、万世の為に民は泰平を開こうとして欲しているのである。

英米人は、彼らの哲学を持っている。その内容から導き出される現実対応策が提案される。未来社会の建設を画策しているのである。日本人は、こうした態度への対応に戸惑っている。'いかなる根拠があって'かが理解できない。
自己の哲学が無いから、対応はその場主義になる。つかみどころがないから、相手からの信用も得られない。腹心の友には成れない。このままで良いのか。良いはずがなかろう。我々には、英米流の高等教育が必要である。



軍隊が無いから、出動しなかった。は、事の次第・成り行きである。これは、意思のない人の平和への願いである。だが、棚から牡丹餅は落ちてこない。
軍隊はあったが、出動させなかったは、意思の力によるものである。
戦わずして勝つことが、最上の策であることは言うまでもない。それには対話が必要である。
力は、正義である。我々は、自己の力を示さなくてはならない。
優柔不断・意志薄弱では、問題に対処できない。つかみどころのない人間は、当てにならない。頼りにならない。
我々は、意思ある人間にならなくてはならない。信頼できる人にならなくてはならない。意思のあるところに方法はある。Where there's a will, there's a way.
さすれば、我々の願いはこの世において叶えられる。

相手のあること

2015-03-08 21:23:17 | 国際・政治
修身教育を行って、徳目 (お題目) だけを暗記させても、我々は幸福にならない。社会生活は、相手あってのことである。'自分さ善ければ、、、'の考えでは終わらない。

私の家の前には、中心線のある道路があって、横断歩道がついている。向かいの家に行くときには、私はそこを通ってゆく。横断歩道は歩行者優先であるから安全である。だが、絶対に安全であると言うわけではない。道路上の白線が自動車を阻止してくれるわけではないからである。走ってきた自動車の運転手が横断歩道の手前の停止線で停車してくれるならばという条件がついている。だから、道路交通法ばかりを知っていても、現実の安全は保証されないのである。相手次第であるという条件が常についている。
'武器を持っていなければ安全である' と教える人もいるが、それも相手次第だと教えるべきである。
我が国の '一国平和主義' が成り立つのも、相手国次第であると教えるべきである。
だます人は悪い人である。そうであるならば、だまされる人は善人か。人を信頼するのも、相手次第だと教えるべきである。
'自分さえ善ければ、、、' では、現実は善い世界 (あるべき姿) にはならない。徳のある生活を送るには、常に相手の行為に注意を払うこともまた不可欠である。この注意を怠れば、悲憤慷慨の繰り返しになることを忘れてはならない。

ーーーーー
ーーーーー

自分の国は、自分自身で護れ。自分自身の力を示せ。
自国の安全のために、外国人が血を流す事を期待するな。
我利我利亡者 は、理不尽である。日本人は外国の安全のために血を流す用意はできているのか。
虎の威を借る狐に成るな。その根性が汚い。信なくば立たず。

仁王は仏法の守護神である。仁王立ちになって、その強力な力を示す。彼らは不法に対する怒りを示している。が、好戦ではない。
力は正義である。(Might is right.) 弱者の怒りは歌詠みになる。強者の怒りは抑止力になる。
守護神を持たずして法を説くものはむなしい。得意の歌詠みも、ごまめの歯ぎしりに終わるか。
平和はこの世の全てではない。だが、戦争はこの世から全てを奪いとる。だから、戦争を抑止する力は必要である。戦わずして勝つのが、最善なのだ。






.

徳目 (お題目)と世界観

2015-03-03 18:43:58 | 国際・政治
>シャーマン米国務次官は2015年2月27日、日本、中国、韓国が3月中に外相会談を開催するとした上で「首脳会談につながることが期待されている」と述ぺた。戦後70年に当たり、歴史問題をめぐる対立を解消し,3カ国が米国と足並みをそろえることが地域の発展にとり好ましとの考えも示した。ワシントンのシンクタンクで戦後70年をテーマに講演した。(引用終り)


アメリカ人の行動指針は、'小異 (中傷) を捨てて大同 (哲学)につく' ことである。
特亜三国の言語には時制が無く、民の脳裏には世界観が無い。だから、世界の 'あるべき姿' が、発想できない。そして、大同が無いので小異を捨てることができない。小異への確執が、北東アジアの不安定要因になっている。

世界観のない人の行動指針として、この地域の民には修身教育が必要になる。
修身教育として徳目を教える。とかく、'自分さえ善ければ' に陥りやすい。悲憤慷慨する。社会性を持つ態度を保つことが難しい。
世界観があれば、次に移行する世界の内容を考えることができる。世界観が無ければ、'世界平和' も単なるお題目の一つに過ぎない。未来の世界の内容を脳裏に展開できないからである。世界観の内容を他者と共有できれば、社会的協調性は保たれる。さすれば、'自分さえ善ければ' にはならない。他者と協力して 'We can change.' (われわれは、変革できる) と言うことができる。希望ある生活を手にすることができる。国際的社会人が誕生する。


   >十一日に公表された一三年度予算の概算要求には、全校配布の費用が盛り込まれた。さらに、一三年度中に省内に有識者会議を立ち上げ、改訂版をつくる方針だ。「モラルを教えることは大切だが、心のノートが本当に役立つとは思えない。子どもに刷り込もうとする大人の思い上がりではないか。学校で現実に起きていることを題材に、子どもたちに考えさせることが大切だ」。都内の中学の男性教諭(60)は指摘する。「教育が政治の道具に使われる危険を感じる」 (2013.1.12 東京新聞)

子供たちには、考える力がない。
大人たちにも、考える力がない。
それで大人たちは考える。子供たちを助けようとして、
大人たちには、幼いときに受けた刷り込みが今役立っている。だから、この便利な方法を我が子にも教えようというのだ。
子供たちには、考えさせることが大切だ。だが、考えさせても答えは出て来ない。
‘実況放送・現状報告’の言葉からは、’あるべき姿’の内容は出て来ない。
だから、我が国では、大人も子供も同次元の考えになる。所詮、子供の国か。
‘あるべき姿’は、英米流の時制を使った考え方から出てくる。
英米の哲学からつぎつぎと繰り出されてくる米国政府の提案が、我が国にとって悩みの種になっていることに想いを致せ。この難題克服の手段が解明されれば、我が国民にモラルを教える方法のカギになる。





狂信と恐怖

2015-03-03 18:41:55 | 国際・政治
>シャーマン米国務次官は2015年2月27日、日本、中国、韓国が3月中に外相会談を開催するとした上で「首脳会談につながることが期待されている」と述ぺた。戦後70年に当たり、歴史問題をめぐる対立を解消し,3カ国が米国と足並みをそろえることが地域の発展にとり好ましとの考えも示した。ワシントンのシンクタンクで戦後70年をテーマに講演した。(引用終り)


アメリカ人の行動指針は、'小異 (中傷) を捨てて大同 (哲学)につく' ことである。
特亜三国の言語には時制が無く、民の脳裏には世界観が無い。だから、世界の 'あるべき姿' が、発想できない。そして、大同が無いので小異を捨てることができない。小異への確執が、北東アジアの不安定要因になっている。

世界観のない人の行動指針として、この地域の民には修身教育が必要になる。
修身教育として徳目を教える。とかく、'自分さえ善ければ' に陥りやすい。悲憤慷慨する。社会性を持つ態度を保つことが難しい。
世界観があれば、次に移行する世界の内容を考えることができる。世界観が無ければ、'世界平和' も単なるお題目の一つに過ぎない。未来の世界の内容を脳裏に展開できないからである。世界観の内容を他者と共有できれば、社会的協調性は保たれる。さすれば、'自分さえ善ければ' にはならない。他者と協力して 'We can change.' (われわれは、変革できる) と言うことができる。希望ある生活を手にすることができる。