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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

消滅危機  

2024-11-30 13:30:14 | 文化

>現代ビジネス   >じつは、日本人の「消滅危機」がいよいよ現実になってきた   >河合雅司 (作家・ジャーナリスト) によるストーリー・   >5時間・   

>この国の人口はどこまで減っていくのだろうか。   

>今年1年間の出生数が70万人割れになるかもしれず、大きな話題となっている。   

>そんな衝撃的な現実を前にしてもなお、多くの人が「人口減少日本で何が起こるのか」を本当の意味では理解していない。   

>ベストセラー『未来の年表 業界大変化』は、製造・金融・自動車・物流・医療などの各業界で起きることを可視化し、人口減少を克服するための方策を明確に示した1冊だ。   

>※本記事は河合雅司『未来の年表 業界大変化』から抜粋・編集したものです。   

>瀬戸際の日本企業に求められること   

>『未来の年表 業界大変化』第1部では、瀬戸際にある日本で各業界や職種にどんな「未来」が待ち受けているかを可視化した。   

>紙幅の限界もありすべてを取り上げられなかったが、各職種や業務内容に照らし合わせていただければ、それぞれの「未来」がおおよそ見えてこよう。   

>「人口減少」というのは即効性のある対応策がないだけに、言葉を聞くだけで気持ちが沈むという人も多いだろう。   

>それは従来の社会常識、過去の成功体験にとらわれているからだ。   

 

そうですね。   

 

>日本人が消滅せんとする、我が国始まって以来の危機なのである。   

>昨日までと同じことをしていてうまくいくはずがない。    

>現状維持バイアスを取り除き、社会の変化に応じて発想を変えたならば違った未来が見えてくる。   

>その先にこそ、人口減少に打ち克つ方策があるのだ。   

>誤解がないよう予め申し上げるが、「人口減少に打ち克つ」というのは、どこかの政治家が選挙公約で掲げるような「人口減少に歯止めをかける」という意味ではない。    

>過去の出生数減の影響で、出産可能な年齢の女性はすでに減ってしまっており、今後もどんどん少なくなっていく。   

>日本の人口減少は数百年先まで止まらないだろう。   

>この不都合な事実を直視するしかない。   

 

そうですね。   

 

>すなわち、ここで言う「人口減少に打ち克つ」とは、人口が減ることを前提として、それでも日本社会が豊かであり続けられるようにするための方策を見つけ出すことだ。   

>社会やビジネスの仕組みのほうを、人口減少に耐え得るよう変えようというのである。   

>日本は、諸外国と比べて外需依存度の低い国である。   

>一般社団法人日本貿易会の「日本貿易の現状2022」によれば、2020年の貿易依存度(GDPに対する輸出入額の割合)のうち輸出財は12.7%である。   

>コロナ禍前の20112019年を見ても1214%台で推移してきた。   

>ちなみに、2020年のドイツは35.9%、イタリアは26.3%、カナダは23.8%だ。   

>もちろん、日本企業の技術力が低くて海外では製品やサービスが売れないために低いわけではない。   

>むしろ高い技術力を誇っている。   

>日本は「加工貿易国」ではあるが、多くの企業は、あえて海外で利益を上げなくともやってこられたということだ。   

>日本は世界11番目の人口大国であり、国内需要だけで十分経営が成り立ってきたのである。   

>しかも、日本は外国人が極端に少ない“同質的な社会”である。   

2020年の国勢調査によれば日本人人口123398962人に対して、2747137人と2.2%ほどに過ぎない。   

>国内マーケットは日本語というバリアによって守られ、外国企業の攻勢にさらされることが少なかったということである。   

 

明治の開国に次ぐ第二の開国が必要ですね。   

 

>このように恵まれた環境に安住してきた日本企業の多くが、人口減少によって安定経営の源であった“虎の子のマーケット”を手放すのである。   

>天地がひっくり返るような一大事に直面しているのだ。   

 

現実の世界は千変万化していますからね。   

 

>しかも『未来の年表 業界大変化』が繰り返してきた通り、それは単に実人口が減るだけでは済まない。   

>高齢化に伴って1人あたりの消費量が減るというダブルでの縮小である。   

>経営者の大半は人口減少の影響を想定しているだろうが、多くの人がイメージするより変化は速く、かつ大きくなりそうだ。    

>営利企業の場合、業種を問わずいずれ外需の取り込みを図らなくてはならなくなるだろう。   

>だが、闇雲に挑んで行っても、生き馬の目を抜く外国企業との競争の前に淘汰されるのがオチだ。   

>何事も準備が肝要である。   

>一方、縮小するからといっても国内マーケットはしばらく1億人規模を維持する。   

>早々と見切りをつけるわけにはいかない。   

>何より国民の安定的な暮らしの維持を優先されなければならない。   

>いま日本企業に求められているのは、(1)国内マーケットの変化に合わせてビジネスモデルを変える、(2)海外マーケットに本格的に進出するための準備を整える──という二正面作戦である。   

>国内マーケットの縮小と同時進行で勤労世代は激減していくので、この先、国内だけで勝負するにしても、人口が増えていた時代の経営モデルのままでは立ち行かなくなる。   

>無駄な抵抗を続けて時間をいたずらに消費するようなことはせず、思い切って変わったほうが展望を開きやすい。   

 

そうですね。   

企業家だけでなく、政治家が率先してわが国に未来社会の内容を明らかにして指導的機能を発揮すべきですね。           

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるでしょう。       

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。

「「権威主義」が悪の源でもなく、「民主主義」が混乱を生むものでもなく、それよりも、もっと根底にある日本人の習性である、「人」には従ったり(人を従えたり)、影響され(影響を与え)ても、「ルール」を設定したり、それに従う、という伝統がない社会であるということが、最も大きなガンになっているようである」 (中根千絵)    

 

日本人は氏名を正しく (?) 読むことができない。だから役所の書類にはフリガナ欄が設けてある。これをローマ字欄に換えるだけでも国語の改革になる。これは国の指導ですぐにでもできる国語改革である。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)          

 

 

 

 

 

 

 

 


酒井隆史氏  

2024-11-30 10:34:26 | 文化

>現代ビジネス   >なぜ多くの人が「クソどうでもいい仕事」に苦悩するのか…「忙しいフリ」が評価される深刻な問題   >酒井隆史 (大阪公立大学教授) の意見・   >2か月・   

>「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)」はなぜエッセンシャル・ワークよりも給料がいいのか?    

>その背景にはわたしたちの労働観が関係していた?   

>ロングセラー『ブルシット・ジョブの謎』が明らかにする世界的現象の謎とは?   

>「タスク指向」と「時間指向」   

>グレーバーは、イギリスの歴史家EP・トムスンの論文「時間、労働規律、産業資本主義」を参照しています。   

>この論文は、たとえばミシェル・フーコーの『監獄の誕生』を筆頭にそれ以降の研究に多大なる影響を与えました。   

>そこでトムスンは、ヨーロッパにおける時計の発明と浸透、そしてこの技術的変化と並行しながら起きていたモラルの変化──商人たちのなかに起きていた時間を有効に使わなければならないという変化──が、いかに18世紀の産業革命以降の動きのなかに組織化され、産業資本主義や近代国家の形成を可能にしたかを、説得力あるかたちで論じています。   

>人間の労働の「ナチュラルな」リズム   

>より詳細にいうと、中世後期以来の時計の発明と進化、同時期の商人たちの活動の活発化にともなう「時は金なり」に集約されるモラルの発展、そして産業革命以降の産業資本主義の展開と労働者の規律といった契機が絡み合って、ひとつの社会のかたちを形成するその過程を歴史学的に分析してみせました。   

>かれはこうした資本主義的モラルの浸透以前の仕事のありようを「タスク指向」と表現しています。   

>その特徴は、(1)時間労働よりも人間的にわかりやすい。   

>農民や労働者は、必要性をみてとりながら活動する。   

>(2)タスク指向が一般的な共同体では「仕事」と「生活」のあいだの境界線がほとんどない。   

>社会的交流と労働は混ざり合っており、労働日は仕事に応じて長くなったり短くなったりする。   

>(3)時計で計られた労働に慣れている人間にとって、このような労働態度はむだが多く、緊張に欠けているように映る。   

>トムスンはこういっています(グレーバーも引用している箇所です)。   

>人々がみずから労働生活を統制している場所であればどこでも、労働のパターンは激しい労働と怠惰とが交互にくり返されるというものだった(このパターンは現在でも、アーティスト、作家、小規模農家、そしておそらく学生もふくむ、一部の自営業者に残っており、それが「本来的な」人間の労働のリズムではないのかという問いを喚起してくれる)。   

>言い伝えによれば、月曜日と火曜日には、織機はゆっくりとした速度で「時間はたーっぷり、時間はたーっぷり(Plen-ty of Time)」と声を上げる。   

>だが木曜日と金曜日には「一日中、カタカタ、カタカタ(A day tlat, A day tlat)」と声を上げる[強調引用者]   

>それが「ナチュラル」な人間の労働のリズムではないか、とトムスンはいっていますが、たしかに、人類学の観察はこの推測を裏づけています。   

>人類はたいてい、ほうっておくならば、このように周期的な仕事の形態をとるわけです。   

>しかし『ブルシット・ジョブ』であげられた証言をみればわかるように、実際には、たとえそのほとんどがBSJであっても、たとえば週に1度とか、月に23度は必要なときがあるわけです。 [BSJ=Bull(雄牛) Shit ()  Job (仕事)]  

>基本的に待機しておくことが重要である仕事は、そもそも周期的形態をとるはずです。   

>そのような現実的な仕事のパターンに、「時間指向」(タスク指向に対立する近代的仕事を表現する概念です)の仕事の形態を押しつけようとするところに、ブルシット化の圧力が押し寄せてくるわけです。   

>そして「時間指向」の仕事のパターンの文脈には、時計によって計測された抽象的時間の浸透と、それを媒介とする労働者の身体や生活の規律があったわけです。   

>われわれの社会は、必要なときにガーッとやってそうじゃないときにはゆるくしているといった労働形態をゆるさない、仕事の性格おかまいなしに時間でいわば抽象的に区切る、そういう強制がはたらいています。   

>先ほどのトムスンの言葉にもあるように、「みずから労働生活を統制している場所であればどこでも、労働のパターンは激しい労働と怠惰とが交互にくり返される」。   

>ということは、逆にいうと、みずから労働生活を統制していない場所に、このような時間指向の労働形態があらわれるのです。   

>これがおそらく賃労働制と呼ばれるものと関係していることは、みなさんもなんとなくおわかりでしょう。   

 

家畜の労働と同じことですね。   

 

>「時間指向」と人間の限界   

>ここは大事なので、少しふれておきたいとおもいます。   

>みずから労働生活を統制する、ということは、いささかむずかしい専門用語では、「労働過程のイニシアチヴを直接生産者が握っている」と表現されたりもします。   

>資本主義以前の労働過程は、たいてい直接生産者が握っていました。   

>これは封建制においても変わりません。   

>「時間指向」の仕事は人間にムリを強いる   

>監視も管理もきつくないですし、画一化された生産方法が上から指定されていることもない。

>だから、働く人たちは、政治的にはどれほど従属していても、働く現場においては、みずからの才覚と裁量を発揮できる余地が多かれ少なかれあったのです。   

 

そうですね。   

 

>だから、日本でもヨーロッパでも、中世末期には、農民の余暇時間が大幅に拡張していたのですし、産業資本主義への移行期にあたる19世紀には、2つの慣習──タスク指向と時間指向──が激しい衝突をみせたのです。   

>ヨーロッパには19世紀前半には労働者のあいだに「聖月曜日」という習慣もありました。   

>労働者は仕事の終わった土曜から飲みはじめ、月曜も飲みつづけ、勝手に仕事を休んでしまうのです。   

>そればかりか、19世紀後半になってもアメリカにおいてすら、労働者はじぶんの休みたいときに休んで、じぶんの帰りたいときに帰るといった経営者の嘆きがたくさん残されています。   

>少し前にふれましたが、労働組合運動も、20世紀はじめまではこうした感覚の延長で、自由時間の増大をめざしていました。   

>賃労働のくびきから解放されて、じぶんのイニシアチヴのとれる時間を求めていたのです。   

>たとえば、わたしたちのまわりでもよく耳にしないでしょうか。   

>サラリーマンをやめてラーメン屋をやりたいとか、喫茶店をやりたいとか。   

>まわりはもちろん、止めます。   

>そんなにかんたんなものではない、いまより働く時間も長くなるし、不安定になるし、収入も減る、と。   

>ラーメン屋をやりたいと口にする人の本気度もさまざまでしょうが、そういいたくなる気持ちは多くの人々がもっています。   

>他人にいわれるまでもなく、そのようなリスクもデメリットも、たいていの人はわかっています。   

>しかし、それでも自営でいたいという気持ちのうちには、労働過程のイニシアチヴはじぶんが握りたいという願望がひそんでいるのです。   

 

そうですね。    

 

>つまり「タスク指向」を「時間指向」が制圧するさいの歴史的な葛藤は、ここにもつらぬかれているわけです。   

>少なくとも時間指向の仕事のあり方がどこか人間にムリを生じさせるものだということです。   

 

そうですね。牛馬の苦役に似ていますね。      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


酒井隆史氏  

2024-11-30 00:36:33 | 文化

>現代ビジネス   >なぜ多くの人が「クソどうでもいい仕事」に苦悩するのか…「忙しいフリ」が評価される深刻な問題   >酒井隆史 (大阪公立大学教授) の意見・   >2か月・   

>「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)」はなぜエッセンシャル・ワークよりも給料がいいのか?    

>その背景にはわたしたちの労働観が関係していた?   

>ロングセラー『ブルシット・ジョブの謎』が明らかにする世界的現象の謎とは?   

>「タスク指向」と「時間指向」   

>グレーバーは、イギリスの歴史家EP・トムスンの論文「時間、労働規律、産業資本主義」を参照しています。   

>この論文は、たとえばミシェル・フーコーの『監獄の誕生』を筆頭にそれ以降の研究に多大なる影響を与えました。   

>そこでトムスンは、ヨーロッパにおける時計の発明と浸透、そしてこの技術的変化と並行しながら起きていたモラルの変化──商人たちのなかに起きていた時間を有効に使わなければならないという変化──が、いかに18世紀の産業革命以降の動きのなかに組織化され、産業資本主義や近代国家の形成を可能にしたかを、説得力あるかたちで論じています。   

>人間の労働の「ナチュラルな」リズム   

>より詳細にいうと、中世後期以来の時計の発明と進化、同時期の商人たちの活動の活発化にともなう「時は金なり」に集約されるモラルの発展、そして産業革命以降の産業資本主義の展開と労働者の規律といった契機が絡み合って、ひとつの社会のかたちを形成するその過程を歴史学的に分析してみせました。   

>かれはこうした資本主義的モラルの浸透以前の仕事のありようを「タスク指向」と表現しています。   

>その特徴は、(1)時間労働よりも人間的にわかりやすい。   

>農民や労働者は、必要性をみてとりながら活動する。   

>(2)タスク指向が一般的な共同体では「仕事」と「生活」のあいだの境界線がほとんどない。   

>社会的交流と労働は混ざり合っており、労働日は仕事に応じて長くなったり短くなったりする。   

>(3)時計で計られた労働に慣れている人間にとって、このような労働態度はむだが多く、緊張に欠けているように映る。   

>トムスンはこういっています(グレーバーも引用している箇所です)。   

>人々がみずから労働生活を統制している場所であればどこでも、労働のパターンは激しい労働と怠惰とが交互にくり返されるというものだった(このパターンは現在でも、アーティスト、作家、小規模農家、そしておそらく学生もふくむ、一部の自営業者に残っており、それが「本来的な」人間の労働のリズムではないのかという問いを喚起してくれる)。   

>言い伝えによれば、月曜日と火曜日には、織機はゆっくりとした速度で「時間はたーっぷり、時間はたーっぷり(Plen-ty of Time)」と声を上げる。   

>だが木曜日と金曜日には「一日中、カタカタ、カタカタ(A day tlat, A day tlat)」と声を上げる[強調引用者]   

>それが「ナチュラル」な人間の労働のリズムではないか、とトムスンはいっていますが、たしかに、人類学の観察はこの推測を裏づけています。   

>人類はたいてい、ほうっておくならば、このように周期的な仕事の形態をとるわけです。   

>しかし『ブルシット・ジョブ』であげられた証言をみればわかるように、実際には、たとえそのほとんどがBSJであっても、たとえば週に1度とか、月に23度は必要なときがあるわけです。   

>基本的に待機しておくことが重要である仕事は、そもそも周期的形態をとるはずです。   

>そのような現実的な仕事のパターンに、「時間指向」(タスク指向に対立する近代的仕事を表現する概念です)の仕事の形態を押しつけようとするところに、ブルシット化の圧力が押し寄せてくるわけです。   

>そして「時間指向」の仕事のパターンの文脈には、時計によって計測された抽象的時間の浸透と、それを媒介とする労働者の身体や生活の規律があったわけです。   

>われわれの社会は、必要なときにガーッとやってそうじゃないときにはゆるくしているといった労働形態をゆるさない、仕事の性格おかまいなしに時間でいわば抽象的に区切る、そういう強制がはたらいています。   

>先ほどのトムスンの言葉にもあるように、「みずから労働生活を統制している場所であればどこでも、労働のパターンは激しい労働と怠惰とが交互にくり返される」。   

>ということは、逆にいうと、みずから労働生活を統制していない場所に、このような時間指向の労働形態があらわれるのです。   

>これがおそらく賃労働制と呼ばれるものと関係していることは、みなさんもなんとなくおわかりでしょう。   

 

家畜の労働と同じことですね。   

 

>「時間指向」と人間の限界   

>ここは大事なので、少しふれておきたいとおもいます。   

>みずから労働生活を統制する、ということは、いささかむずかしい専門用語では、「労働過程のイニシアチヴを直接生産者が握っている」と表現されたりもします。   

>資本主義以前の労働過程は、たいてい直接生産者が握っていました。   

>これは封建制においても変わりません。   

>「時間指向」の仕事は人間にムリを強いる   

>監視も管理もきつくないですし、画一化された生産方法が上から指定されていることもない。

>だから、働く人たちは、政治的にはどれほど従属していても、働く現場においては、みずからの才覚と裁量を発揮できる余地が多かれ少なかれあったのです。   

 

そうですね。   

 

>だから、日本でもヨーロッパでも、中世末期には、農民の余暇時間が大幅に拡張していたのですし、産業資本主義への移行期にあたる19世紀には、2つの慣習──タスク指向と時間指向──が激しい衝突をみせたのです。   

>ヨーロッパには19世紀前半には労働者のあいだに「聖月曜日」という習慣もありました。   

>労働者は仕事の終わった土曜から飲みはじめ、月曜も飲みつづけ、勝手に仕事を休んでしまうのです。   

>そればかりか、19世紀後半になってもアメリカにおいてすら、労働者はじぶんの休みたいときに休んで、じぶんの帰りたいときに帰るといった経営者の嘆きがたくさん残されています。   

>少し前にふれましたが、労働組合運動も、20世紀はじめまではこうした感覚の延長で、自由時間の増大をめざしていました。   

>賃労働のくびきから解放されて、じぶんのイニシアチヴのとれる時間を求めていたのです。   

>たとえば、わたしたちのまわりでもよく耳にしないでしょうか。   

>サラリーマンをやめてラーメン屋をやりたいとか、喫茶店をやりたいとか。   

>まわりはもちろん、止めます。   

>そんなにかんたんなものではない、いまより働く時間も長くなるし、不安定になるし、収入も減る、と。   

>ラーメン屋をやりたいと口にする人の本気度もさまざまでしょうが、そういいたくなる気持ちは多くの人々がもっています。   

>他人にいわれるまでもなく、そのようなリスクもデメリットも、たいていの人はわかっています。   

>しかし、それでも自営でいたいという気持ちのうちには、労働過程のイニシアチヴはじぶんが握りたいという願望がひそんでいるのです。   

 

そうですね。    

 

>つまり「タスク指向」を「時間指向」が制圧するさいの歴史的な葛藤は、ここにもつらぬかれているわけです。   

>少なくとも時間指向の仕事のあり方がどこか人間にムリを生じさせるものだということです。   

 

そうですね。牛馬の苦役に似ていますね。      

 

 

 

 

 

 

 


思考法  

2024-11-30 00:02:15 | 文化

>現代ビジネス   >「熱があっても出社する」ことを美徳とする日本人現代にも蔓延する「昭和すぎる価値観」に囚われていませんか?    >山川恭弘の意見・   >10時間・   

>近年注目が集まっているアントレプレナーシップ。   

>「起業家精神」と訳され、高い創造意欲とリスクを恐れぬ姿勢を特徴とするこの考え方は、起業を志す人々のみならず、刻一刻と変化する現代社会を生きるすべてのビジネスパーソンにとって有益な道標である。   

>本連載では、米国の起業家教育ナンバーワン大学で現在も教鞭をとる著者が思考と経験を綴った『バブソン大学で教えている世界一のアントレプレナーシップ』(山川恭弘著)より抜粋して、ビジネスパーソンに”必携”の思考法をお届けする。   

>『バブソン大学で教えている世界一のアントレプレナーシップ』連載第69回   

>『「日本人は臆病です」…米国の起業家教育No.1大学で教鞭をとる著者が語る「成功できる人」と「成功できない人」との決定的な“差”とは』より続く   

 

日本人には意思がない。自己主張の手段がないから臆病にならざるを得ませんね。      

意思は未来時制の文の内容である。日本語の文法には時制 (tense) というものが無い。   

 

>アメリカで教鞭を取っていた時期   

2023年の秋、大学のティーチングパートナーから、相談がありました。   

>「心が打ちのめされて、とても講義ができる状態ではない。   

>ちょっとの間、代講をお願いしたい」   

>もちろん、すぐに引き受けました。   

>その理由がすぐにわかったからです。   

>まさにハマスがイスラエルに攻撃をした時期でした。   

>アメリカでもその報道が過熱しています。   

>それが大きく影響していることは明らかです。   

>周囲の反応も、私と同様のものでした。   

>実は日本の方がドライ?有給休暇の理由   

>アラブ、イスラエルにルーツを持つ学生、大学の運営関係者、先生は珍しくありません。   

>彼ら、彼女らは、講義の席で「この攻撃をどう思うか」といった質問を投げかけてきます。   

>そして、本来の講義そっちのけで、議論が始まります。   

>どちらが正しいかはわかりません。   

>それぞれの立場もあります。   

>しかし、「そこで誰かが傷ついている」ことは必ず、議論に上ってきます。   

>これが日本の大学、教育機関ならどうでしょう。   

>まず学生たちの議論は、やんわりと、あるいはばっさりと打ち切られてしまうのかもしれない。   

>「それぞれに正義があるので、軽々に議論できない」   

>「政治的な話題は学問にふさわしくない、本日の講義とは関連がない」   

>教壇に立つ先生自身も正解を持っていないだけに、その場を収められる自信がないということもあるでしょう。   

>また先生が、あるいは学生がその事件で傷ついて、休むとなったら?   

>あからさまに言葉に出さないまでも「そんなことで休むなんて」という雰囲気になるかもしれません。   

 

我が国には個人主義がない。だから個人のリーズン (理性・理由・適当) は軽く見られる傾向にありますね。    

 

>学生にしても「そんな“簡単に”休むな」と言われるかもしれません。   

>一例ですが、日本にある慶弔休暇という制度は肉親やそれに類する人が亡くなった場合にしか認められていません。   

>とても仲がよく、人生の大半をともにしている大親友が亡くなっても、慶弔休暇はありません。   

>有給休暇を使うにも、微妙な空気になるかもしれません。   

>「肉親でもないのに?」と。   

 

そうですね。いちゃもんは常に存在しますね。序列順位昇進の差しさわりになりますね。     

 

>一概にアメリカが良いという気はありません。   

>よく欧米型社会はドライでビジネスライク、日本型社会のほうがウェットで人間らしさがあると思われがちですが、必ずしもそうではないということの一例です。   

 

そうですね。日本人には個人主義がないから紋切型でやるしかない。   

 

>高度経済成長期の意識は「色濃く」残っている   

>これは会社の仕組みや働き方に起因しているだけではありません。   

>働く人の意識も大きく影響しています。   

>知人の日本での体験談ですが、数年前、あるイベントで登壇する予定だった人が、インフルエンザを発症したというのです。   

>予定されたスピーチを知人が代行したそうですが、当日、客席にその登壇予定だった人がいるというのです。   

>驚いた知人はスピーチ後に彼に駆け寄り「何をしているのか」と聞いたそうです。   

>「だって、熱も引いたし」   

>軽く答えが返ってきて、言葉を失ったと言います。   

>インフルエンザには、タミフルやリレンザといった症状をあっという間に抑え込む薬が存在します。   

>このインフルで登壇を諦めた人は、症状が治まったので、会場に足を運んだわけです。   

>きっと、本来なら登壇したかったのでしょう。   

>もしかしたら、「たかが熱が出たくらいで、休んでいる」ことに後ろめたさがあったのかもしれません。   

>気をつけなければならないのは、症状が治まっても「感染能(病を感染させる能力)」は維持されていること。   

>症状がなくても人にうつしてしまう状態です。   

>最近でこそあまり聞きませんが、日本では、熱があっても出社することを、ある意味当然と見る風潮がありました。   

>風邪で休むと「それくらいで……」と上司に嫌味を言われる、そんな環境も影響していそうですが、「それくらいで休む人」と思われたくないという個人の気持ちも大きく影響しているのでしょう。   

 

そうですね。自己主張をしなければ滅私の努力になるので、いちゃもんは避けられますね。滅私奉公は日本人の間では美徳とされていますね。序列順位の昇進に繋がりますね。         

 

>バブル期には「24時間、戦えますか」というキャッチフレーズの強壮剤がヒットしました。   

>それより前、高度経済成長期には、モーレツ社員という言葉がありました。   

>サービス残業は当たり前、土日も会社のためにがんばる、そんな風潮が当たり前にあったのです。   

 

全ては序列の競争ですね。向上心から出ていますね。   

 

>これを「昔の話」と片づけられるでしょうか。   

 

昔話ではないですね。今でも日本人は日本語の中に生きている。個々の発言は日本語に基づく序列メンタリィティから出て来るものですね。         

 

 

 

 

 

 


長期休暇  

2024-11-29 06:08:30 | 文化

>プレジデントオンライン   >「日本人の仕事の仕方」と大違い世界の一流が「長期休暇」を取っても仕事に支障が出ない4つの理由   >越川慎司によるストーリー・   >3時間・   

>世界の一流は長期休暇をどう捉え、何をやっているか。   

>クロスリバー代表の越川慎司さんは「欧米人は『家族愛』を大事にしているため、アマゾンCEOのジェフ・ベゾスや、Facebookの創業者マーク・ザッカーバーグのように、世界の一流は長期休暇を使って家族旅行に出かける人が多い」という――。   

>※本稿は、越川慎司『世界の一流は「休日」に何をしているのか』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。   

>世界の一流が「長期休暇」を取っても仕事に支障が出ない理由   

>欧米企業と日本企業の休み方で、大きく異なるのが「長期休暇」の存在です。   

>日本企業には、ゴールデンウイークやお盆休み、年末年始などがあり、それぞれ約1週間、長ければ10日前後の休みがありますが、欧米企業の場合は、もう少し長い休みを取ることができます。   

>私が勤めていたマイクロソフト本社は北米のシアトルにありますが、北米の企業では、11月の第4木曜日のサンクスギビング(感謝祭)からクリスマスまでがホリデー期間になっており、一般的なのは12月の第2週までの2週間の休みですが、ホリデー期間の1カ月をすべて休む人もいます。   

>ヨーロッパの企業の場合は、アメリカよりも長い休暇を取る傾向があり、フランスやスペインでは、ほぼ全員が1カ月程度の休みを取っています。   

>ヨーロッパでは、長期休暇の取得は労働者の当然の権利という考えが根付いていますから、長く休むことに「後ろめたさ」を感じる人はほとんどいません。   

>日本人の目から見ると、「1カ月も会社を休んで、仕事に支障はないのか?」という素朴な疑問が浮かんでくると思います。   

>日本のビジネスパーソンが、1カ月連続で長期休暇を取ることは限りなく不可能ですが、世界の一流は優れたタイムマネジメント・スキルを発揮して、しっかりと休める状況を自ら作っています。   

>日常的にお互いが情報共有して、チーム全体で協力し合う仕組み   

>そのポイントは、次の四つにあります。   

>【ポイント①】仕事の優先順位を見極めて、重要なタスクは休暇前に確実に完了させている   

>【ポイント②】チームメンバーとの情報共有を徹底して、スムーズな引き継ぎを可能にしている   

>【ポイント③】この人がいないと仕事が回らないという「個人依存」の状況を作らないために、日頃から仕事の標準化に努めている   

>【ポイント④】日常の仕事の中で「協力し合う仕組み」を作り上げている   

>彼らは、日常的に業務の効率化を目指しており、それが効果を発揮していることが長期休暇の取得を可能にしています。    

>日本企業では、自分の仕事をチームメンバーと共有することを嫌がり、独占状態を作ることを好む人が少なくありませんが、こうした「個人依存」の状況は個人が休めなくなるだけでなく、メンバーの仕事にも影響が出てしまいます。   

>欧米の企業では、日常的にお互いが情報を共有して、チーム全体で協力し合う仕組みができているから、無理なく長期休暇を取ることができるのです。   

>長期休暇の目的は「家族愛」を深め、「自己啓発」に努めること   

>彼らが長期休暇で大切にしていることは、大きく分けて二つあります。   

>一つは家族や親戚、親しい仲間たちとの時間を楽しむことであり、もう一つは自己啓発や教養を深めることです。   

>土日の休みだけではじっくりと取り組めないことを、長期の休みを使って実践しているのです。   

>【家族との時間】家族と一緒に過ごす時間を増やす   

>サンクスギビングでは、家族や友人が集まってターキー(七面鳥)やチキンを食べるのが恒例行事となっており、クリスマスは日本人にとっての正月のようなもので、家族全員が集まって楽しい時間を過ごします。   

>私もマイクロソフト時代には、上司や同僚のエグゼクティブからサンクスギビングに招待されて、1日に5軒もハシゴしたことがあります。   

>そんなときの彼らは、会社では見たことがないほどのリラックスした表情をしており、心の底から家族との時間を楽しんでいる様子を目にして、こちらまでハッピーな気分になりました。   

>仕事から離れて家族との時間を楽しむために、長期休暇を使って家族旅行に出かける人もたくさんいます。   

>アマゾンCEOのジェフ・ベゾスや、Facebookの創業者マーク・ザッカーバーグも例外ではなく、家族と過ごすリラックスタイムをSNSにアップして、世界中を笑顔にしています。   

>欧米人は「家族愛」を大事にして、家族と一緒に過ごす時間を少しでも多くすることを心がけていますが、世界の一流のビジネスパーソンにも、まったく同じことがいえます。   

>ビル・ゲイツの楽しみながら教養を高める習慣   

>【自己啓発・教養】仕事とは関係のない本を積極的に読む   

>世界の一流ビジネスパーソンは、長期休暇を心身のリフレッシュだけでなく、教養を深める機会と考えています。   

>休暇中も能動的に学ぶ姿勢を保って、さらなる成長を目指しているのです。   

>脳科学によると、新しい知識や経験に出会うと、脳の神経ネットワークが活性化して、創造性やストレス耐性が高まるといわれています。   

>彼らは楽しみながら教養を高める習慣を身につけています。   

 

そうですね。   

困難に直面した人の態度が二つに分かれる。

どうしてできないかを考える人と、どうしたらできるようになるかを考える人である。

前者は現実 (事実) の内容の詮索である。後者は非現実 (考え) の内容の新規作成である。非現実の内容の構文には時制 (tense) が必要であるが、日本語の文法には時制というものがない。   

前者の人はいくら考えても解決できるようにはならない。彼は現実肯定主義者だからである。だが後者の人には問題解決の可能性がある。だから、日本人には英語の勉強が必要である。  

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるでしょう。      

 

>辛い修行と考えるのではなく、楽しみながら学ぶことで、自分を癒してくれるエンターテインメントにしているのです。   

>ビル・ゲイツは読書家として知られており、離婚したという事情もあるのでしょうが、長期休暇は読書三昧の日々を送っています。   

>動物学の本など、自分の仕事とはあまり関係のない分野の本を積極的に読んでいるようで、彼が読んだ本の情報が世に出た途端にベストセラーになっています。   

>有名なのは、米国のエコノミストであるマルク・レビンソンが著した『THE BOX』(邦題・コンテナ物語)のケースです。   

>この本は2005年に出版され、船のコンテナのサイズを世界統一にしたことで、生産効率が20%もアップした……というイノベーションがテーマですが、ビル・ゲイツが「事業経営やイノベーションの役割についての固定観念に活を入れてくれた」と絶賛したことで、世界的にヒットしています。   

 

固定観念に活を入れることは日本人には難しいでしょうね。   

 

>世界の一流は、ほぼ例外なく、読書を自己啓発と教養の柱に据えています。    

 

そうでしょうね。   

 

---------- 越川 慎司(こしかわ・しんじ) 株式会社クロスリバー代表 元マイクロソフト役員。   

>国内および外資系通信会社に勤務し、2005年に米マイクロソフト本社に入社。   

2017年にクロスリバーを設立し、メンバー全員が週休3日・完全リモートワーク・複業を実践、800社以上の働き方改革の実行支援やオンライン研修を提供。   

>オンライン講座は約6万人が受講し、満足度は98%を超える。   

>著書に『AI分析でわかったトップ5%リーダーの習慣』、『AI分析でわかったトップ5%社員の習慣』(共にディスカヴァー・トゥエンティワン)、近著に『29歳の教科書』(プレジデント社)がある。    

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