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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

旧日本人・新日本人

2019-03-31 23:07:43 | 言語


>これは具体的に新日本人と旧日本人のビジネスに対する意識や姿勢がどのように違っているのか、行動の傾向によって意識の違いを示すものです。
>★旧日本人★
>メンタリティー
>【集団依存】 > 会社にぶら下がっている。>どうせぶら下がるなら「寄らば大樹の蔭」と考えている。>数を頼む  

社畜ですね。大きいことは、いいことだ。

>【絶対平等主義】>パフォーマンスの低い人の報酬や労働条件に、全員が「平等に」合わせるという「平等主義」>「出る杭は打つ」ものの、決定的な敗者も作らない

結果の平等ですね。出世争いはないのですか。

>【他律性】>自律性がなく、周囲の意見に従って自分の態度を決定する。>だから思考停止していても不便を感じない

そうですね。無哲学・能天気の民に適した協調体制ですね。思考停止していても時代遅れにならないのですかね。

>【論理性欠如】>論理とかセオリーに従わず、感情的、感覚的判断を行う >自分にとってメリットがあるか、自分の立場にプラスかどうかという近視眼的な基準で物事を判断する

理屈を言ってはいけないのですね。歌詠みになるのか。処世術が発達していますね。私利の道に迷いはないのでしょうかね。非論理で一生貫き通すのか。破綻はないのか。

>【目的意識の欠如】> 明確な目的意識を持たず、集団への依存心が強いので、自己を超克する努力などしない。>飲み屋で同僚とぼやき合って、マイナス方向のエネルギーを蓄積していく。

無哲学・能天気では、どうにもならないでしょうね。’我々は何処に行くのか’ という命題には縁がない。伝統的な浪花節調で行くのですね。

>【「知」に対する無感覚】 >「知」の決定的な重要性を意識していない。 >だから洞察力も判断力も磨けないし、自分で物事を考えようとしない >組織的な判断(稟議)を行い、責任を回避する >自分にとってメリットがあるか、自分の立場にプラスかどうかという近視眼的な基準でしか物事を判断しない  

日本人には意思がない。意思のない人には、責任がない。責任の所在を求めることもない。責任回避を得策と考えている。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。
見ることのできる内容は、’本当’ のこと、見ることのできないものは ‘嘘’ である。現実の内容は、頭の外にある。見ることができる。見ればわかる。非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。見ることかできない。ただの話である。話が分かる為には、その文章の理解が必要になる。それは、難しいことである。誰しも、’見て来たような嘘’ をつきたくはない。だから、自己自身の考えを述べることはしない。この状態がとりもなおさず思考停止の状態である。だから、洞察力も判断力も磨けない。

>【批判精神の欠如・内向性】>「目上の者を指さしてはならない」と思っている >自分の仲間なら、反社会的なことをしていても批判しない。 >「身内の恥は我が身の恥」として不祥事を隠匿する。>しかし、たいていはバレてひどい目にあう  

そうですね。権力者がいない。責任をもって問題を解決する人間がいない。意思がなくて恣意 (私意・我儘・身勝手) のある人間であっては、権力を持たせること自体が無謀としか考えられない。

>【権威主義・虚礼重視】 >たとえ無能で、年功で出世した者でも、あくまでもメンツにこだわる >メンツの後ろ盾になっているのはカイシャ。>肩書きを取ると、途端に無力になる

わが国は、序列社会ですからね。立身出世は励みの原動力ですね。序列本幹の大きさと本人の占める順位により人間の立派さがわかる仕組みになっている。序列を外れた人間は、何処の馬の骨かわからない。

>【親分肌の明るい笑顔】 > 性格は明るく、根拠なく楽観的。>人に好かれる。>それは資源をばらまいて、人にいい顔をするのが仕事だと思っているからである。>その資源は自分のモノではないのだが……  

性格は、赤子のように明るい。 何事もなってみなければわからないので、根拠なく楽観的である。人に好かれる ‘花咲じじい’ が理想の境地。

>【即物的】>所有という概念に執着する >無形資産の価値を理解しない

見えるものは、本物である。見えない内容は、嘘である。

> ・価値志向性
>【価値軽視】 >モノの「価値」をあまり深く考えようとしない > だからさし迫った危機意識を持たないし、価値観の違いを根拠にして他人に「NO」を言わない >「現状のままでいれば、常に明日という日は来るはずだ。何が問題で騒いでいるのか」と他人事に受け流している 

何事も、なってみなければわからない。待ちの姿勢でいる。思考停止では、予測は不可能に近い。

>【保守主義・前例主義・教条主義・拝外主義】 >「現状を改変してはならない」という信念を持ち、革新的なことは認めようとしない >自分たちと異なる立場は絶対に許容しない。 >新日本人を敵視する

お変わりのないのが、何よりなことです。詰め込み教育に改変の内容は無い。’我らは、何処に行くのか’ というような哲学的な命題は、考えたことがない。教養が足りないのかな。

>【ご都合主義・相対主義】>何事にも「白黒」をはっきりさせず、自分の態度を表明しない >付和雷同的に「他人がよいと言っているものはいいんだ」と思い込み、物事を実質本意に判断しようとしない

そうですね。自己に判断の基準がない。決断は、状況判断によるしかない。

>【中庸・無為無策を尊ぶ】 >決して「物事の大元を変更してはならない」と思っている。 > 前任者の責任を問うような方針変更は「過激」として排除され、「改革」は単なる弥縫策に矮小化される

日本人は、世界観を持っていない。だから、大元を変更することは考えられない。日本人には、現実があって非現実 (考え) がない。だから、Aの主張とBの主張の間を採って足して二で割る現実的な (世俗的な) 解決策を弥縫策としている。そして、これを中庸の徳と考えているようである。無哲学・能天気な人間にとっては、これも仕方のないことであります。しかし、本当の徳は、現実と非現実 (考え・理想) の間の適当な点を見出すことにあるのでしょう。非現実 (理想) の側にできるだけ寄せて決着点を選ぶことが人間としての務めであり、中庸の徳であります。そうでなければ ‘中庸’ は、月並みな (世俗的な) 手法であり、高く評価される理由などはどこにもありません。

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>★新日本人
>メンタリティー
>【自立・自制・自然】 > 精神的にしっかり自立している >自分をコントロールできる >自然でいられる >作為がなく、無理な負荷もなく、常に平静な心持ちでいられる

わが国の教育は、いわゆる詰め込み教育である。だから、学生は ‘受け売り専門の人’ になることは避けられない。社会は、没個性の人間で占められている。

>【自由な精神】 >「自分は何ものにもとらわれず、何でも思ったことができる」と考える、何物にもとらわれない自由な精神を持つ 

日本語には階称 (言葉遣い) があるから、序列人間になることは避けられないでしょうね。自由とは、意思の自由のことである。日本人には意思がないので、自由自体にも意味がない。不自由を常と思えば不足なし。

>【利他精神】> 他人に対する自然な思いやりを持つ 

‘あるべき姿’ (things as they should be) の内容が無いので、判断には自他の区別しかない。世界観が無いので、とかく話が狭くなる。

>【自己責任原則】 > 根拠に基づいて合理的に判断し、自己責任でリスクを取る

意思のない人間には、責任もない。意思がなければ、加害者意識もない。罪の意識もない。深刻な反省にも至らない。過ちを繰り返す。この道は、いつか来た道。

> 【自己認識】 >しっかりした自己認識を持つ。 >自分の得意不得意を客観的に把握する。 >得意な部分を伸ばし、不得意を克服しようと努力する  

見栄と外聞の観念を捨てるのですね。上下判断は、どうなるのですかね。

>【思慮】>知的好奇心を持ち、情報を収集する >論理的に推論して的確に判断・洞察する力を持つ 

日本語では、非現実 (考え) の内容を文章にできない。だから考え (非現実) は、脳裏に存在しない。実況放送・現状報告の内容のみを語る人になる。ナウな感じのする人になる。

>【合理主義】 >目的合理的に行動する

気分・雰囲気に左右されるので、理性的な行動をとることは難しい。意思がないので、恣意的な行動しかできない。恣意 (私意・我儘・身勝手) の自由は、’自由のはき違え’ として、禁じられている。

>【プライド】>自分の仕事、仲間や自分の属する組織に誇りを持っている 

序列に基づく組織でない組織ができると良いですね。それには、哲学が必要ですね。

>【内的世界の充実を志向】> 心の豊かさを追求する。>豊かな文化(内的世界)を持っている 

日本人には、世界観がない。だから、豊かな内的世界を建設することも容易でない。現実離れのした話は、信じることが難しい。
英文法には、時制 (tense) というものがあるので、非現実 (考え) の内容を文章にすることができる。非現実の世界は、独立した三世界 (過去・現在・未来) に分かれている。それぞれの世界の空白を自分自身の考えで埋めて行けば、自己の世界観が出来上がる。これは、内的世界 (頭の中の世界) である。

>価値志向性
>【価値を追求する】 >「価値」って何? > 人はなぜ、何のために生きているのか=死生観 > 本物と偽物の違いが理解できるか=一流とは何か >世の中全体にプラスになるものは何か=公益に立った価値体系 

無哲学・能天気の状態では、価値判断は難しいでしょうね。価値は物質にしみ込んでいるものではない。個人が外から物質に付けるものである。

>【変革志向性 危機意識】 >現状認識力があるので、「常に進化しなければ競争に負ける」という健全な危機感を持つ。>だから変革を望み、価値を尊ぶ

‘我らはどこに向かうのか’ の問いに、答えが出せるのでしょうか。

>*****************************

 

 

マナー講師

2019-03-30 21:51:46 | 言語


>日本における「マナーの変化」に驚かされることが多くなりました。
>(中略)
>特にビジネスの世界では、多くの新しい「謎ルール」が出現しているようです。>例えば、日本独特のカルチャーとして、取引先を訪問するとお茶が出るわけです。>その場合に、「お茶を飲むのは失礼だからダメ」という考え方があるらしく、最近では「マナー講師」という怪しい職業の人などが真顔でそういう「指導」をするようです。

本当に、おかしな講師ですね。

>(中略)
>多くの「謎ルール」は問題があると思います。>例えば、日本独特の習慣として宴席での「お酌」というのがあります。これは今でも昔とは変わらない感じであります。ですが、最近は「ビールを注ぐ」際に、「ラベルを上に」しなくてはいけないという「新ルール」が加わっており、これをやらないと「目上の人が怒る」というケースがあるようです。
> (中略)
>キリンの瓶しかないので、サントリーの社員に出す際には、ラベルを「下向き」にするという(勿論その逆もあり、サッポロやアサヒも)ルールもあるそうですが、これもバカバカしいとしか言いようがありません。

‘バカになれ、バカになれ’ ということですね。’理屈を言ってはいけない’ と言う指導は、私も何回となく受けました。

>ケイレツ取引を強要するという意味では、独禁法違反ですらあります。
> (中略)
>乾杯でグラスなりジョッキを合わせる際には、「偉くない人」は「偉い人」の下から合わせるというのもあります。>これも昔はなかった謎ルールです。>乾杯というのは、一斉に音なり掛け声をかけて、ある種の喜びを表す「一体感のためのセレモニー」です。>若い人がそんな中で「自分のグラスが上にならないように気遣う」などという「冷めた計算」を強いられるのは、もはや乾杯とは言えない感じもします。

そうですね。‘日本の常識は、世界の非常識’ ということですね。

>飲み会の謎ルールとしては、日本酒を徳利で注ぐ場合は「注ぎ口」が上になるようにわざと反対に持って、「注ぎ口でない側」で注ぐのが丁寧だという「新ルール」も出現したそうです。>理由が実に奇妙で、「注ぎ口には毒を塗ってある危険があり、それを避けるように反対にするのが丁寧」だというのです。>ですが、江戸時代の話としてもそんな「毒殺」の伝説などというのは聞いたことはありません。>もしかすると韓流ドラマの宮廷陰謀シーンなどの影響かもしれません。

あなたは、知識が豊富ですね。

>とにかく、この「徳利を反対に」というのも、最近では一部にこだわる人がいるらしいので困ったものです。

‘人のふり見て、我がふり直せ’ ですかね。

>こうした「謎ルール」の中でも、私が非常に心配しているのがハンコの押し方です。>日本独特の文化としてハンコというものがあります。>特に会社の中では稟議書とか回覧決済などと言って、多くの関係する部署の担当者がハンコを押し、最後に管理職や役員など「順番に偉い人」がハンコを押して決済する仕組みがあります。
>何よりも、そのように紙を回してハンコを押すということ自体が古いし非効率です。>ファックスやPDFでなく原本を回している間にビジネスチャンスは消えてしまうのが現代と思うのですが、百歩譲って、これは仕方がないとしましょう。>問題は、下役は上司に対して「お辞儀をしている」ように、「ハンコを上司の決済欄の方へ傾けて」、しかも「下になるにつれて傾けて押す」という「謎ルール」が生まれているとうことです。

礼儀正しい日本人の復活ですね。

>飲み会の謎ルールはまだ笑って済ませられるところがありますが、このハンコを傾けるというのは、問題です。>これはダメです。>とにかく、そんなことを有り難がる上司がいるというのでは、正しい判断のできる会社なのか心配になります。

そうですね。日本人であるならば、日本語に基づく ’序列メンタリティ’ (考え方) は避けられませんね。

>特に、お金の絡む決済書類であれば、捺印というのはイコール「承認と統制」という法律行為です。>例えば、統制というのは、要するにチェックです。>誤りはないか、公私混同はないか、法律違反はないかを確認する法的責任が伴う行為です。>統制が不要なら、起案者である若手と、決済者である部長や役員だけがハンコを押せばいいのですが、その間に課長とか係長のハンコが必要なのは「統制」つまりチェックのためです。>にも関わらず、係長が最終決済者の部長や役員のことを気遣ってハンコを傾けるというのは、そこにソンタクや不正の入る余地がある、そう感じざるを得ません。

そうですね。日本人には、忖度 (推察) がつきものですね。忖度は、聞き手本人の勝手な解釈でありますから、話し手には何の責任もありません。議論の対象には、なりませんね。

>一番そういうことをやってはいけない金融機関などで、この「ハンコのお辞儀」が広まっているという話を聞くと、もう「日本オワタ」という感じがします。

何処までも、礼儀正しい日本人ですね。礼儀作法の正しさは、地獄の底まで続くのかな。

> (中略)
>「謎ルール」が暴走する背景には、運動部気質とか、パワハラ体質といった悪しきカルチャーの影響もあるようです。>これはとにかく、社会が厳しく監視して、そのような謎ルールを強制すること自体がパワハラであり、コンプラ違反の温床だということを口を酸っぱくして言い続けないといけません。

口を酸っぱくするだけでは、効果がないでしょうね。謎ルールの発生はする機序を理解させる必要がありますね。

>もう一つ考えられるのは、「マナー講師」という職業の流行です。>こうした「外部講師」について言えば、サービスを依頼しているのは「悩んでいる若手」ではなく、「若手を教育したい人事部や経営陣」ですから、とにかく「できるだけ丁寧に」という姿勢になります。

本当に、日本人は丁寧ですね。

>その結果として、「謎ルール」を抑制するのではなく、「こうしたマナーはご存知ですか?」的なアプローチで、反対に暴走させる傾向があると思います。>本来は、経営者や管理職の研修の際に、「謎ルール」などを使って権力行使をするのは、グローバルな常識からは「アウト」だということを訴えていく、それが「マナー講師」の本来の姿ではないでしょうか。

そうですね。
日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。日本語の会話を覚えるためには、言葉遣いを覚えなくてはならない。言葉遣いを覚えるには、世俗の上下関係 (序列関係) を覚えなくてはなりません。日本人の礼儀作法は、序列作法になっているので、世俗の上下関係を覚えていないと、礼儀正しい日本人にはなれません。人を見損なってはいけないという想いは、日本人にとって脅迫観念の域にまで達しています。マナー講師は、そうした苦悩を背負う日本人のための救世主に違いありません。だが、そこまで説明するマナー講師はいないでしょうね。
西洋人の価値判断は、考え (非現実) の内容を基準にしています。考えの内容は、’あるべき姿’ (哲学) が基準になります。それを守るために信仰心があります。一人一人に哲学は必要であります。Everyone needs a philosophy.
日本人の価値判断は、現実の内容を基準にしています。現実の内容は、序列が基準になっています。それを守るために謎のルールが存在します。’できるだけ丁寧にすること’ です。
どうして日本人には考え (非現実) がないかということになりますが、それは日本語の文法に関係があると思います。日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、非現実の内容を文章にすることができません。それで、日本人は、無哲学・能天気の状態でいます。
英語には時制があるので、英米人は、哲学的です。非現実の独立した三世界 (過去・現在・未来) を表現できます。三世界の内容を語れば、それは世界観 (world view ) を語ったことになります。現実と非現実を語る人は、思慮の深い人です。現実のみを語る人は、浅薄な人間になります。


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外交を知らない

2019-03-29 13:09:34 | 政治

>ロシアは近年、北方領土問題に対する姿勢をより硬化させている。>2016年にソチで行われた日ロ首脳会談で、安倍首相は過去の対ロ政策では交渉は1センチも進まなかった――として、従来の発想にとらわれない「新アプローチ」を提言し、8項目の協力提案も打ち出した。

何事も、相手国が主導する交渉になりますね。

>これは「難問を解決するには、まず日ロ間で経済などの関係を改善して良い雰囲気をつくることが先決」というロシア側の提案を受け入れたものだ。>しかし、この日本政府の対応は、ロシア側に間違ったサインを送ったと言っていい。>つまり、ロシア側が対日姿勢を強硬化するほど、日本は譲歩するということであり、実際、交渉はその通りに進んでいる。

強硬に出れば、日本は譲歩しますからね。日本人は議論が出来ないから、反論する相手をねじ伏せるようなことはしない。

>ロシアによる良好な雰囲気づくりが領土問題解決に寄与した例として、とくに中ロ関係を挙げる。>ロシアと中国は40年間にわたって領土交渉し、04年に最終的に国境線を画定できた。

‘めでたし、めでたし’ ですね。

>それは、01年にロ中善隣友好条約を締結して友好関係や信頼関係を強めたからで、日本もまず、ロシアとの協力を強化し、信頼関係を深める必要がある――と説くのである。

それは、ロシアの巧妙な罠ですね。日本人は、良好な雰囲気づくりに努力する。それ以外に計算はない。

>しかし、現実は違う。>ロシアが中国との国境線の最終画定を急いだのは、経済的、軍事的に急速に強大化している中国を恐れたからだ。

そうですね。中国の急成長は、ロシアにとっての恐怖ですからね。これは効き目がありますね。

>中国は1858年のアイグン条約、60年の北京条約で日本の面積の4倍の領土をロシアに奪われた。>現在でも中国の歴史書では、この2条約を不平等条約としている。>ロシアは国際法よりも歴史を重視する中国が、この領土問題を持ち出すことを最も恐れて国境線画定を急いだのである。

中国政府の指導による反ロシア運動というものはないのでしょうかね。

>つまり、信頼関係とは逆に、中国への不信感や恐れが国境線画定の理由だったのだ。

そうですね。相手国への不信感や恐れがあれば、急いで対処することが必要になりますからね。

>ロシア人は、緊張感を与える相手に対しては一目置いて尊敬する。

そうですね。中国は、ロシアに緊張感を与えていますね。日本は、緊張感を与えない。尊敬されることもない。

>しかし、日本のように言いたいことも抑え、すり寄る相手は喜んで利用する。

日本人は、ナイーブというのかな、外交というものを知らないですね。人のためになるということなのかな。鴨が葱を背負って出てくる形ですね。

>そして内心は蔑視し、対等な交渉相手とは見なさないのである。

そうですね。日本人の態度は今も昔も変わりませんね。日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。
 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。
 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)


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日本だけの常識

2019-03-28 22:08:47 | 政治


>日本では、教科書・教室・授業・知識をお上によって決められていることが、当たり前だ。

そうですね。わが国は序列社会ですから、お上の権威は絶対ですね。

>しかし、少し世界に視点を向ければ、それは日本だけの常識であって、かなりおかしなことだと気づく。

そうですね。’日本の常識は、世界の非常識’ になりますかね。

>特に、子どもたちの内発的意欲を引き出す学びを大切にしているスウェーデン、デンマーク、ドイツ、オーストラリアでは、子どもたちが「考える力」を大切にしており、先生が教えるという発想はほとんどない。

現実の内容は、頭の外にある。それは、誰でも見ることができる。見ればわかる。
非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。それは、見ることができない。ただの話である。話が分かる為には、その文章を理解することが必要である。
見ることのできる内容は、’本当’ のことである。見ても見えない話の内容は、’嘘’ である。誰も、’見て来たような嘘’ をつく人間にはなりたくはない。だから、自分の考え (非現実) を語ろうとしない。これが、思考停止の状態である。内発的な考える力がないから、日本人には詰め込み教育が必要になる。受験勉強で、暗記に拍車がかかる。その結果、受け売りの専門家が多数輩出する。彼らは、没個性の人達である。

>ましてや、宿題や課題を押し付け、子どもたちを拘束することもない。

それは、結構なことですね。

>日本においても、「主体的・対話的で、深い学び」として、教育改革が謳われているが、これは特殊なことでもなく、むしろ、江戸時代の寺子屋のように、子どもたちをのびのび育てるという本来の学びのありかたへと原点回帰していくことにある。

日本人には、意思がない。意思は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制 (tense) というものがないので、日本語の脳裏には未来時制が存在しない。だから、日本人には、意思がない。
意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 意思のない日本人には、方法がない。だから、わが国では、教科書・教室・授業・知識をお上によって決めていただくことが当たり前になっている。
全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。矛盾を含まない文章は、すべて正しい考えを表している。だから、正しい考えは、一つではない。考えは、人さまざまである。その違いは、個性の違いを表している。意思のない日本人は、没個性の人になる。
矛盾を含んでいる文章も、その矛盾を取り除けば、正しい考えとなる。だから、正しい考えを得るために、対話が役に立つ。
日本人には、意思はないが恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。恣意は文章にならないで、バラバラな単語 (小言・片言・独り言) のままでいる。バラバラな単語には、意味がない。
自由とは、意思の自由のことである。だが、恣意の自由は認められていない。恣意の自由は、’自由のはき違え’ になる。だから、わが国においては、’不自由を常と思えば不足なし’ となり改革は行われない。
現実の内容のみを語る人は、浅薄な人である。現実と自己の考え (非現実) を並べて示し、その中庸を選んで主張する人は考えの深い人である。自己の考えのない人には、’中庸の徳’ もない。
なぜ日本人には考えがないのかといえば、非現実の内容を文章にできないからである。非現実の内容を文章にするためには、時制が必要である。時制のある文章は考えの内容を表し、独立した非現実の三世界(過去・現在・未来) となる。これを世界観 (world view) という。理想の世界の内容 (things as they should be) も、この中にある。時制のある言語では、個人の考え (非現実) も貴重な存在としてその価値を認められている。時制のない日本語で話すと、前世・現世・来世の内容も綺麗ごとになる。その展開は不可能である。だから、僧侶は受け売りの専門家になっている。
我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学んで、文法における時制の大切さを十分に理解しなければならない。さすれば、意思の表現も可能になり、世界観を語ることも可能になる。そして、教育改革を実現することもできる。


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お金のない世界

2019-03-28 12:12:18 | 政治

>◆なんでも無料になったら、みんな取りたい放題、使いたい放題になって、モノが足りなくなって奪い合いの暴動が起きるのでは?
>最初は興味本位で必要以上のモノを持ち帰る人がいるとは思いますが、自分に必要のないモノを持ち帰る意味がないことにすぐに気づきますので、そういう人は必要最低限のモノを感謝や敬意の気持ちで持ち帰るように変化すると思います。

取り放題・食べ放題の食堂では、自分一人では食べきれないほどの料理量を取る人が見受けられますね。

>食べきれない食料を持って帰っても意味ないので。>またモノが足りなくなったら、みんなで作ればよいと思います。

食べるのは良いが、自分で作るのは嫌ですね。

>地球上の資源や食料は、自分に必要以上のものを求める人や企業によって過剰に消費され、結果余らせ捨てられているのが現状です。

そうですね。

>企業は利益をあげるために、無理してモノを大量生産し、在庫まで余らせて商売をしてきましたが、お金のない世界ではもうそんな必要はありません。

未来の予測は、難しいですからね。

>人々が本当に必要なモノを、最低限の資源で効率良く生産すればいいのです。

それは、アニマルの世界と同じですね。余分な労力を費やすことは無い。

>◆お金のない世界とは、物々交換の時代に戻るということ?
>そうではありません。モノやサービスに数値化できる価格のような価値を設けませんので、今までのように価値100のAと、同じ価値100のBの間でしか交換取引が成立しなかった前時代的なモノの移転は行われません。>欲しいモノがあれば、ただもらえばいいのです。

‘求めよ、さらば与えられん’ ですか。極楽浄土の生活ですね。

>特に何かを代わりに提供する必要はありません。>ですので、もらってばかりの人も出てきます。

それは、結構なアイディアですね。でも、提供する側は、大変ですね。その方は、大丈夫なのですか。

>けれども、お金のない世界ではそれでもいいのです。>本人がそれでよければ。

乞食の生活は、そうですね。積極性がない。

>◆暴力はなくならないのでは?
>なんのための暴力でしょうか。>仮に、モノや資源を奪うための暴力だとすると、モノや資源が人々が必要とする以上に存在していれば、発生しないのではないでしょうか。

生産は、過剰ばかりではなく、過小な場合もありますからね。過小な場合の考察はどうなっているのでしょうかね。

>もし足りないのであれば、みんなで作ればよいと思います。>それまでは少しみんなが我慢すればよいと思います。

‘欲しがりません。勝つまでは’ でしたね。’我慢だ、待っていろ、嵐が過ぎりゃ、、、、’ ですか。

>世界的に足りてないのに、自分勝手な私利私欲でもらってばかりの人は尊敬されません。

‘衣食足りて、礼節を知る’ ですね。足りていないのに、礼節は無理か。

>また、どこで何が足りないのかの情報をリアルタイムで把握するシステムは必要になるかもしれません。

それは、金のかかるシステムですね。

>足りない情報を検知したら、すぐに有志が集まって生産すればいいのです。

そんな有志は、幸福な王子達ですね。

>◆権力者や独裁者はいなくならないのでは?
>地位や名誉を欲しがる承認欲求の強い人は、お金のない世界になってももちろん一定数いると思います。>地位や名誉というよりは、感謝や尊敬を欲しがる人ですね。

権威主義 (authoritarianism) の人たちは、感謝や尊敬よりも地位や名誉を好んでいますね。

>今までの独裁者のように、人から搾取したり、人を強制的に働かせたりする、そんなリーダーはいなくなります。

猿山のボスは存続するでしょうね。

>そういうリーダーの元でわざわざ働く人はいないからです。

ボスの意に反すると、大変なことになりますね。

>どうせなら尊敬できて楽しそうで毎日笑顔のリーダーの元で、一緒に楽しく仕事したいと思うでしょうから、そんな独裁者のようなリーダーはお金のない世界ではいなくなります。

猿山のボスには金がない。

>◆お金がなくなっても、人から競争心は消えないのでは?
>はい、消えないと思います。>人より良いモノを作ったり、人より良いサービスを生み出したり、人より早く走ったり、人より上手に歌ったり、ポジティブな競争はどんどんすべきと思います。

ネガティブな競争も考えられますね。

>ただし、お金のない世界では、相手を殺傷してまでの競争になることはないと思います。

そんなことは、無いと思いますよ。オスたちは、メスを争って殺傷することもあります。

>何に勝ち、何を得るためでしょう。

自分の子孫を残すためです。この方策で、我々は太古の昔からやってきた。

>資源や食料が足りないのであれば、みんなで作るか、みんなで分け合えばいいのですから。

そうですね。でも、人の考えはさまざまですからね。矛盾を含まない考えは、すべて正しい考えです。

>◆お金がなくなると、生活レベルは落ちる?
>自分次第です。>何をもって「落ちる」というのかによりますが、落としたくないなら、生活に必要なモノやサービスをもらい続ければよいと思います。

Take (取る) , Take (取る) の生活ですね。

>ただし、その生活レベルが、お金のない世界において、過剰だったり贅沢すぎたりすると、周りの人から奇異な目で見られるかもしれません。

それは、’我が道を行く’ (Going my way) でしょう。

>それでよいかも含めて自分次第です。

自己の群れを離れると、生活できなくなるかもしれませんね。

>◆人は他人より優れていたいと思いたい動物なのでは?
>人は人としての自分の役割を担いたい動物だと思います。

それは、そうかもしれませんね。猿山のサルたちはそうですね。

>役を担うことで、人から認められ、必要とされ、褒められたい動物だと思います。

それは、そうですね。しかし、それは、自己のグループ内のことに限られますね。

>お金は、そうしたあらゆる人を一方向の物差しで測り、金額の大小で優劣をつけようとします。>本来、人の数だけ物差しの数もあるべきなのです。

そうですね。野生の王国においては、そのようになっているでしょう。

>◆誰もやりたがらない仕事は誰がやるの?
>お金のない世界では、誰もやりたがらない仕事ほど積極的にやりたがる人が増えると思います。

それは、どうでしょうかね。疑問です。

>友達同士でキャンプに行った時の最後のお片づけを想像してください。
>みんなで楽しんだんだから、汚れたりきつかったりする作業だけど、誰一人としてサボらずみんなでやりますよね。>お金がないとそうなると思います。

それは指導者がいて、グループ全体を指導するからでしょう。

>◆お金がなくなると不便になるのでは?
>いちいちレジで支払ったり、銀行口座の管理したり、家計簿つけたり、財布持ったり、振込とか、引き落としとか、支払期日とか、ツケ払いとか、、、お金がある方が面倒で不便かと思います。

何事も、’自然に帰れ’ ですね。

>◆まずはベーシックインカムや再分配でもよいのでは?
>お金の尺度による格差や劣等感が人々から消せない限り、補助金的な救済措置の要素が強く、その場しのぎの取り組みにしかならないと思うようになりました。

何事も、’自然に帰れ’ ですね。

>遠回りせずに一気にお金をなくした方が合理的かと思います。

革命により、お金を廃止した国がありましたね。金持ちと貧乏人がいなくなった。野生の王国が出現したまたね。皆がアニマルになった。’自然に帰れ’ ということか。

>◆労働の対価がなくなった時、頑張る意味は?
>人からのありがとうではないでしょうか。

それは、人から感謝を得ることは難しいでしょうね。’人は、為して当然のことをするだけだ’ と考えている民族もいますからね。’日本人は、ありがとうを言いすぎる’ と批判しています。

>◆社会主義や共産主義との違いは?
>すべて自分次第なところです。>どんな仕事をしようが、どんなモノやサービスを受け取ろうが、それを選ぶのも、どう行動するのかも、すべて自分次第で自由に決められます。

アニマルのようなものですね。恣意的な動物に変化しますね。

>ある意味、資本主義より自由な世界だと思います。

そうですね。野生の王国のようですね。

>◆お金がなくなったら、パニックが起こりそう
>お金がなくなる前に、世界全体での事前の周知徹底が大切です。

人人により、考えはまちまちですからね。言語により、考え方が全く変わりますからね。

>新世界の分かりやすいビジョンの提示、自由で可能性に溢れた数々のライフスタイルパターンの提案、起こりうるリスクの事前共有とリスク発生時の相談窓口の設置、世界中で何が足りていて何が足りていないのかの定点観測システム、などなど、しっかりシュミレートして検討を重ねれば、天変地異などの災害対応に比べれば、事前に検証できることが多いので、さほど難しいことではないと思います。

新世界の分かりやすい内容が、存在するのでしょうかね。見たこともありませんね。

>やると決まれば数年内に実現可能かと思います。

ずいぶん楽観的ですね。内容が決まらないうちに、やるとなるのですかね。


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