>オトナンサー >文科省が「博士数を3倍に増やす」というが…博士号の取得者の “就職” が困難を極めるワケ 近畿大・島崎敢 (しまざき・かん) によるストーリー・ 1日・
> 文部科学省が3月26日、2040年に人口100万人当たりの博士号取得者数を2020年度の約3倍に引き上げる目標をまとめた「博士人材活躍プラン~博士をとろう~」を公表しました。
> 同省によると、「博士人材活躍プラン」は、大学院の改革を進め、より多くの学生が博士課程に進むことを目指すとともに、産業界と連携し、博士号取得者の社会進出を支援することで、社会に技術革新をもたらすのが目的とのことです。
> 一方、事故防止や災害リスク軽減に関する心理的研究を行う、近畿大学生物理工学部・准教授の島崎敢さんが、自身の経験を基に、この計画の課題を指摘します。
>博士向けの求人が不足
> 文科省が、2040年に人口100万人当たりの博士号取得者数を2020年度の約3倍にし、世界トップレベルに引き上げるという既視感がある目標を掲げました。
> 日本の科学技術を発展させるには、研究開発力を持った博士は多いに越したことはありません。
>しかし、文科省はこれまでも同様の取り組みを続けてきており、大学院生の数は1990年代初頭のすでに3倍近くに上っています。
> 一方、博士号取得者向けの求人は3倍にはなっていないため、博士の就職難が深刻化してきた経緯があります。
>この状況を打開しつつ、博士人材活用プランを成功させるためには、単純計算で博士の求人を1990年代の9倍にする必要があるのです。
そうでしょうね。しかし、わが国においては ‘人手不足’ はどこにでもあるが、’頭脳不足’ は聞いたことが無い。手先・目先の仕事に頭脳がいらないからでしょう。
> 文部科学省 科学技術・学術政策研究所が2022年、2018年度に日本の大学の博士課程を修了した人を対象に、2020年時点の雇用状況などを調査した報告書(※1)を公表しました。
> この報告書によると、博士課程を修了した人の67.2%が「正社員・正職員」として働く一方、28.9%が「契約社員、任期制研究員」「パートタイム労働者」「派遣労働者」といった非正規雇用に就いていたということです。
> 文科省の「博士人材活躍プラン」は、単に博士号取得者数を増やすだけでなく、彼らが活躍できる場を確保することも重要な柱としています。
>しかし、少子化の影響で大学は今後15年間で100校近くが閉鎖されるという予測もあり、博士人材の主な受け入れ先であった大学のポストは減少していくばかりです。
> 従って、民間企業の求人を今の何倍にも増やさねばなりませんが、専門分野を深く狭く極めた博士人材は、逆に言えばつぶしが利かない人材でもあります。
>その上、賃金の高い彼らを、民間企業がそんなにたくさん求めるだろうかという疑問も残ります。
民間が博士を望んだわけでもない。 博士は政府の育成計画によるものであるから政府の研究費で雇ったらよいでしょう。
> ポストが限られているのに博士が計画通り増えれば、需給バランスが崩れ、博士の待遇の悪化を招いてしまうかもしれません。
>実際、こうした事態はすでに起こり始めているように思います。
>就活時に大量の書類を作成
> さて、博士の量産が加速していく中で、当事者の博士たちはどのような影響を受けてきたのでしょうか。
>ここでは、当事者の一人でもある私が博士の就職活動について実情を紹介しようと思います。
> なお、個人の経験を多く含むため、「違う」と思う人もいるかもしれません。
>また、優秀な人材を増やすという方向性は間違いではないと思いますので、文科省の取り組みを一方的に否定する意図はありません。
> 理化学研究所などの国内トップクラスの研究所でも、研究者の8割近くが任期付きの有期雇用で働いており、研究職では若手の人は滅多に終身雇用をしてもらえないのが実情です。
>実際に、私も3~5年程度の有期雇用職を転々としてきました。
>ちなみに、この業界では40代までは若手扱いで、場合によっては50代でも若手と呼ばれることがあります。
大器晩成ということですかね。
英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。思春期の到来とともに発達する言語能力を待ってこの教育は行われる。英文法の中の時制 (tense) を活用して非現実の内容を文章に表現する訓練である。子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。英米流の高等教育は子供から大人に変わる人間に哲学を獲得させようとする仕組みである。すると浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。だからどこの国でも英語の高等教育に力を入れることになる。
哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。日本語は現実の内容だけを表す言語である。日本式の判断だと、見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。嘘ばかり (きれいごと) を語っては学習に力が入らない。だから思考停止になっている。日本人は相変わらず無哲学・能天気の民となっている。わが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する者はいない。
今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっている。これらは高等教育の賜物である。
当の日本人の若者はいまなお国内の序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。難関出身者が序列社会で優位に立つ話ばかりで持切りである。注意力不足で井の中の蛙になっている。国際取引で印欧語族の知識人を相手にして苦戦を強いられることになる。
現実は只ひとつ。それに比べて、非現実 (考え) は無数ある。論文の内容は一人一人違っている。考えは人人により違うからである。矛盾を含まない文章は全て正しい考えを示している。内容の違いは個性の表れである。それで個性豊かな社会が形成される。
序列競争は没個性でなくてはならない。異次元の戦いであっては競争に不公平が起きるからである。学生は他人の受売りとその後追いで受験戦争に備える。同次元で序列を激しく争う結果、金太郎飴のような同じ顔をした若者が続々と輩出される。序列には色がない。だから没個性の社会が形成される。
だがしかし、細い序列の階段を昇り詰めることを人生の成功と考えない方が良いですね。成功の道は多岐にわたると考えるべきですね。
トットちゃん (黒柳徹子氏) のように小さい時から自分の好きなことだけをやっていれば、仕事に興味深々で神経は集中して能率は上がるし、それ相当の成果が期待できますね。その上、個性豊かな社会が形成されます。